三回裏に、悪夢が待ち受けていた。
秋山が、投げどもストライクが入らない。
押し出し。適時打。味方のエラーなどが出てメロメロ。
三点を与えて、三宅正にマウンドを譲った。
「目をつむって、真ん中へ放れ。」
と、言っても全然ダメだった、と監督だった松三暁平。
三宅正も打たれて、この回七点。四回、再びマウンドに戻った秋山だったが、今度は五安打を集中されて、四点を奪われ、七回には中西に、ダメ押しのランニング本塁打を浴びた。
秋山だけを責められない。打線は、わずか三安打。
秋山同様に、大荒れだった高松一の新井投手から、計十二四死球ももらいながら、三点しか援護できなかった。
三塁手だった山本操は、「何が何やらわからないうちに終わってしまった。」と話す。
結局、岡山東は三対十二の大差で負けた。
ナインは、人目を避けるように、夜行で帰岡した。
岡山東 100 020 000 3
高松一 007 400 10X 12
秋山登は、「球場全体を揺るがす歓声と一緒に、自分の体が浮き上がるような気がした。」と、回想する。
〚名門校へ。岡山東商〛
しかし、秋山、土井は、この日の屈辱をステップに、大学、プロ野球で大きく羽ばたいていく。
「いい経験になった。」と、口を揃える秋山、土井の二人。
また、初めて甲子園に出場したことにより、有望選手が次第に集まるようになり、やがて、四十年の選抜優勝に結び付いていく。
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つづく
随時掲載
参考文献
「球譜一世紀」
「灼熱の記憶」
参考
毎日新聞
山陽新聞
協力
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
おいまつ会









































