白球100年 岡山の野球 10 「初陣 倉敷工4強入り 1」

〚 小さな町のチームが 〛
戦争の爪痕が色濃く残る昭和24年。
感激の初陣を果たしたチーム、倉敷工業野球部。
岡山県勢初のベスト4。
まだイ草のにおいが漂う小さな町のチームが、大きく、確かな第一歩を大甲子園へ。
〚 無 欲 〛
実力以上の力を引き出す無欲。
先を見て、足元をすくわれる欲。
昭和24年夏。甲子園出場を果たした倉敷工ほど、微妙な勝負のあやを体験したチームはないだろう。
昭和16年に創部された倉敷工野球部は戦中廃部。22年に野球好きが集まって再結成されたばかり。
開会式で、他県の選手が「倉敷ってどこ? 東北? 九州?」。
戦前の活躍予想も、出場23校中22番目のありさま。
それでも、好投手・小沢馨の得意球、縦のカーブ(ドロップ)は、小気味よく捕手・藤沢新六のミットに吸い込まれた。打線も尻上がりに調子を上げ、熊谷(埼玉)、高津(大阪)と連破。八強まで進んだ。

「小さな大投手」と呼ばれた倉敷工の小沢馨投手 昭和24年9月

〚 勝てるわけがない 〛
8月17日。迎えた準々決勝。
相手は、中京商(愛知)以来の3連覇を目指す小倉北(福岡)。春夏通算16勝を挙げた好投手・福島一雄を擁し、洗練された野球を展開する強豪だった。
知名度は雲泥の差。スタンドを埋めたファンも、倉敷工の勝利よりも善戦を期待していた。
倉敷工ナインも、この日「勝てるわけがない」と荷物をまとめて宿舎を出発。負けたら道頓堀辺りを観光して帰るつもりだった。だが、この開き直りが幸運を呼び込む。

小倉北 020 102 001 0  6
倉敷工 010 102 110 1  7
(延長12回)

息詰まるシーソーゲーム。
倉敷工の守備の乱れに乗じて、重盗、スクイズと多彩な攻めで先手先手と攻める小倉北に対して、2回、6回の藤沢新六の2本の本塁打をはじめ、長打で食い下がる倉敷工。
9回、ついに福島投手を降板に追い込んだ。
延長10回、二死満塁から横山剛の遊ゴロの間に決勝点を挙げ、熱戦に終止符を打った。

倉敷工の健闘を報じる山陽新聞 昭和24年8月18日付

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つづく  随時掲載

参考文献 『球譜一世紀』
『灼熱の記憶』

参 考  毎日新聞
山陽新聞

協 力  岡山県立倉敷工業高等学校
硬式野球部OB会
おいまつ会

令和8年度おいまつ会役員総会

令和8年5月17日(日)15時から倉敷ステーションホテルにて役員総会を開催しました。
議事は次の通り。

令和7年度会務報告
令和7年度決算報告
令和7年度監査報告
役員異動・紹介
令和8年度事業計画
令和8年度予算案

会長 日下誠(S44化学)

名誉会長 久松敬司校長

副会長(議長) 三好修一(S43精密)

事務局長 間野聡(S63電気)

会計 小野剛志(H23機械)

監査委員 守屋文明(S46電気)

ソフトテニス部OB会長 佐田野勝(S46化学)

バスケットボール部OB会長 鬼丸哲雄(S46精密)

副会長 三宅香(S49繊維)

企画委員 柳田哲(S51化学)岡山県議会議員

企画委員 塩田 健(H2精密)倉敷市会議員

企画委員 荒木竜二(S59電気)倉敷市議会議長

副会長 秋岡義典(S55電気)

副会長 和泉利典(S53精密)

副会長 中山隆幸(S54機械)

 

白球100年 岡山の野球 9 「祝 関西高甲子園初出場 4最終回」

〚 関西の甲子園初出場 〛
関西の甲子園初出場は、昭和23年8月13日。

全国の強豪に交じって更新する関西ナイン(左端) 昭和23年8月13日

開会式直後、関西はいきなり開幕試合に臨んだ。相手は、同じく初出場の石巻(宮城)だった。大応援団も開会式からアルプススタンドに陣取り、試合開始を待った。

〚 伝説の第一球 〛

プレーボールは午前10時20分。
先頭打者は、角南攻。
試合開始のサイレンが響く中、石巻・毛利投手の第1球。「絶対成功させる自信があった」というセーフティーバントを、三塁線へ鮮やかに転がした。
2番打者・吉田和之への第1球。さらに角南は、すかさず二盗。

県予選、東中国大会で見せた関西高が得意とした奇襲攻撃の成功に、ナインの緊張は一気にほぐれた。
この角南の第1球のセーフティーバントは、「角南の第1球」あるいは「角南のセーフティーバント」として、今なお語り継がれている。

〔関西-石巻〕4回表無死1、3塁から角南の3ゴロの間に3走の岡田生還(昭和23年8月13日)

関 西  310 300 200   9
石 巻  000 031 110   6

2回戦の相手は、天王寺(大阪)。
開催地・大阪代表だけに、大観衆は5万人を超え、バックネット裏まで天王寺の応援で埋まった。
「相手応援団の大歓声で、スタンドが揺れているようだった」と、エース吉田は振り返る。
エース吉田は、緊張からか球が走らず、初回に2点を奪われる。
華やかな天王寺高に対し、野武士軍団のような関西。2回に集中打で4点を奪い逆転した。
エース吉田は、持ち前の外角に落ちるカーブを武器に立ち直り、2回以降は無失点に抑え切った。
準々決勝では、大会ナンバーワン投手・福島一雄を擁する小倉北に、0対2で惜敗。しかし、初出場でベスト8。関西の快進撃は、予想をはるかに上回るものだった。
勢いに乗った関西は、秋の福岡国体でもベスト8入りを果たす。
無名だった岡山の名を全国に知らしめた関西の活躍は、戦後復興期の岡山球界にとって、願ってもない船出だったと言えよう。

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つづく

参考文献
「球譜一世紀」
「灼熱の記憶」
毎日新聞
山陽新聞

協力
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
おいまつ会

 

白球100年 岡山の野球 8 「祝 関西高甲子園初出場 3」

〚倒れたエース〛
昭和二十三年夏 東中国大会決勝

関西  101 002 011|6
倉敷工 102 000 000|3

昭和二十三年の東中国大会決勝で、関西と優勝を争った倉敷工。そのエースが、翌年甲子園で活躍する小沢馨だった。

小柄ながら力投した小沢は、敗戦が決まり、ホームベースを挟んで整列したとき、関西ナイン一人一人と握手を交わし、「岡山の代表として頑張ってください。」と声を掛けた。

しかし、すでに疲労も限界を超えており、最後の選手と握手を交わしたところで、小沢はばったりとグラウンドに倒れ込んでしまった。

ひたむきに戦う姿と、勝負の後の爽やかさ。高校野球の素晴らしさを教えるエピソードでもある。

その後、小沢は関西ナインのためにと、自ら打撃投手を買って出たという。

〚初陣 関西高校〛

関西高校が甲子園の檜舞台に雄姿を見せたのは、昭和二十三年八月十三日、開会式直後の開幕試合であった。

相手は、同じく初出場の石巻(宮城)。汽車や船で駆け付けた大応援団も、開会式からアルプススタンドに陣取り、固唾をのんで試合開始を待った。試合が始まった。

そのとき、関西に――「伝説の第一球」が起こる。

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つづく(随時掲載)

参考文献:「球譜一世紀」「灼熱の記憶」
参考:毎日新聞、山陽新聞
協力:岡山県立倉敷工業高等学校 硬式野球部OB会 おいまつ会