伝説の夏がある。
勝敗を超えて今でも語り継がれる名勝負。昭和36年夏の甲子園。
奇跡の大逆転劇となった、倉敷工業 対 報徳学園の試合は、今でも夏が来るたび話題に上がる。
36年の倉工は、岡山県の秋季大会と選抜大会を制しており、夏の大会も優勝候補の筆頭とされていた。また、岡山県や中国地区の多くの関係者から、「今年の倉工は、全国制覇ができるのでは」と、高い評価を受けていたのである。
エースは、34年の夏の甲子園、国体の大舞台を一年生で経験している、剛球左腕の森脇。また、打撃陣では核となる不動の4番で、長距離打者の鎌田らがいて、破壊力は群を抜いていた大型チームであった。
この様な大型チームを作り上げたのは、のちに名将の名前を欲しいままにする、監督 小沢 馨。弱冠30歳の青年指揮官だった。
この様な、大型チームに突然のアクシデントが襲うとは、誰が予想できたであろうか。それは、バント練習中に起こったのだ。
- つづく - 随時掲載
お願い 本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂く事をご了承ください。
協 力 岡山県立倉敷工業高等学校 硬式野球部OB会