熱闘甲子園 今昔物語 30 栄光の足跡 18

44回選抜高校野球大会(昭和47年選抜)

【概要】
1972
327日~47日出場27チーム
入場曲「また逢う日まで」
優勝日大桜丘(東京)準優勝日大三(東京)

【はじめに】
4
年ぶりに、伝統のユニホームを、聖地甲子園に見せた倉敷工。
前年の秋の中国大会決勝(宇部市野球場)で、鳥取工を65で破り、中国王者(昭和38年以来2回めの優勝)として、甲子園に乗り込んだ倉敷工。その、原動力は身長168cmのエース山本次祥。下半身のバネを生かし「伸び」「切れ」のあるストレートが武器。(当時の)小山稔投手コーチは、「山本は身長が低かったけど、投手としては抜群でした。」
山本は苫田郡加茂町から、親元を離れ、在学中は、小沢監督の自宅に下宿していた。

倉敷工21簑島(1回戦)
簑 島 010 000 000 1
倉敷工 010 000 01X 2
倉敷工投手 山本
本塁打

投手力の差が、勝敗を分けた。倉工は、簑島の奥田、沖村の両投手から四死球10を奪う。倉工、残塁10ではあるが二塁打1を含む4安打で勝利。エース山本、簑島打線を5安打に抑える。

倉敷工31今治西(2回戦)
倉敷工 100 002 000 3
今治西 100 000 000 1
倉紙工投手 山本
本塁打

倉工は、今治西の矢野投手から、三振8を喫するが二塁打4を含む、8安打で快勝。エース山本、今治西打線を2安打に抑える。

倉敷工、準々決勝に進出。準々決勝の相手は、強豪東北。
小沢監督は、この東北をマークしていた。

つづく
随時掲載

お願い

本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
()現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(
)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)

岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

令和5年度おいまつ会役員総会

5月22日、倉工おいまつ会館において、「令和5年度おいまつ会役員総会」が開催されました。
総会は、藤原洋造企画委員の司会のもと、木村義夫副会長の開会宣言があり、日下誠会長の挨拶、続いて横田寿弘名誉会長(校長)の挨拶。
そして、三好修一副会長が、議長に選出され、議事に入りました。
なお、各議事については、全てが承認されました。
閉会では、生田岩雄副会長の挨拶で、お開きとなりました。

議事内容

  1. 令和4年度 会務報告
  2. 令和4年度 決算報告
  3. 令和4年度 監査報告
  4. 令和5年度 事業計画
  5. 令和5年度 予算案
  6. その他

2名の、企画委員が新しく選出されました。
役員名簿の見直しを、行う事が決定されました。

熱闘甲子園 今昔物語 29 栄光の足跡 17

倉敷が泣いた翌日、地元新聞「山陽新聞」に掲載された評について、その全文を紹介する。

チャンスに打てず
惜しい小山の力投

倉敷工 000 000 000 0
静岡商 011 000 00X 2

【評】
倉敷工は、春に続いてまたしても決勝進出を阻まれた。
静岡商得意のバント戦法に苦杯をなめた。静岡商は、二回一死から、松島が左前打。戸塚も中堅左へ安打。俊足の松島は判断よく三進。寺門は2-1後のウエストボール気味の球を、投前に、スクイズ。松島が楽にホームを踏んだ。さらに、三回は先頭の新浦が四球に出たが、青木の投ゴロで二封された。
青木は、すかさず二盗。ここで、佐藤は1-2から、倉敷工の深い守備の裏をかいてドラックバント。これが、内野安打となって、一三塁。藤波は1-1から外角高めのウエストされた球を飛び上がってスクイズを成功させた。倉工バッテリーはスクイズに来ると読んで外したのだが、藤浪の執念にしてやられた。ここらあたりに、高校野球でのバントの重要性をまざまざと見せつかれた。肘が痛いという小山だったが連投の疲れも見せず、球は良く走り、カーブの切れもよかった。
それだけに、わずかなスキを突いた静岡商のソツのない攻めは、光った。その追加点は、連日炎天下で力投を続け気力だけで、投げている新浦にとって、大きな支えになった事だろう。新浦は、長身から快速球を投げ込んで当たっている倉工打線と、真向から勝負して完封した。
倉敷工もさすがに優勝候補。敗れたとはいえ、持てる力を出して戦った。終盤得点こそ結びつかなかったが、その粘りは、たいしたものだった。惜しまれるのは七回。この回小山の四球、中村の右翼線二塁打で、無死二三塁と詰めよった。ところが、ここで思いもよらぬ不運があった。
富永の打球は、一二塁間を抜いたかかと思われたが、二塁手に、横っ飛びに好捕されて、一塁で刺された。しかも、三塁走者の小山は、いったんホームに、突っ込みかけたがコーチャーの静止にあって三塁に戻った。その間、中村はすでに、三塁へ。小山は、追い出されるような格好で三本間に挟殺された。まずい走塁ではあったが、ここは二塁手の好プレーを讃えるべきだろう。結局、倉敷工は勝機に一発が出ず、惜敗したが速球投手新浦に対してバットを短く持ったミート打法。そして、小柄な小山投手の、力投などが、強く印象に残った。
(昭和43年8月21日付。山陽新聞より)

【おわりに】
3年生の春、強打の銚子商を、完封した試合を自らベストピッチと語る、黄金の左腕小山稔。
しかし、そのベストピッチより、痛みと苦しみの中、歯を喰いしばって投げ続けた、高校最後の夏の姿こそコンビナートよりも、美観地区よりも、全国に誇る(黄金の左腕)の名に、相応しかったのかもしれない。
「岡山県代表、倉敷工業高等学校ピッチャーは小山くん小山くん」
小山と倉敷の熱い夏は終わった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会