昭和20年8月15日、終戦。
戦争は数多くの人命と財産を奪い、野球界でも不出世の大投手・沢村栄治らの名選手が散っていった。しかし、終戦は今日の野球繁栄のスタートでもあった。
〚野球ができる喜び〛
「戦争には負けた。しかし、これから平和な時代が来る。生徒たちと一緒に野球ができる」
敵機来襲におびえる心配のない空を見上げ、つぶやいた1人の教師がいた。玉島商野球部部長、福井哲二である。戦争中、適性運動の部長で、しかも英語の教師という立場で、言うに言われぬ苦労を味わった。福井の胸に、昭和11年全国中等学校野球大会県予選で玉島商が初優勝したときの興奮がよみがえった。
〚倉庫にボールやバットが〛
福井は、野球部を解散した昭和18年に学校の倉庫へこっそり隠していたボール、バット、グラブなどを取り出した。終戦の日からわずか2、3日後のことだった。
「まさか、たった2年で再び野球がやれるようになるとは、嬉しかった」
福井は感慨深げに、その時のことを思い起こす。呼びかけにより、元の部員たちも徐々に戻ってきた。
〚復活に燃える球児〛
〚名門チームも練習再開〛
関西中、岡山一中(現・朝日高校)など戦前の名門チームも、終戦後の立ち上がりは早く、この秋からすでに練習を再開している。
岡山は6月29日に空襲を受け、旧市内の大部分が焼失。まさに焦土からの復活だった。岡山一中は焼け跡の空き地で、関西中はイモ畑になっていたグラウンドを整備してからの出発だった。

現在の岡山市北区内山下付近にあった岡山市公会堂(現:岡山県庁)から公会堂筋(県庁通り)を西望。 焼け残った建物は画面左から天満屋、中国銀行、日赤病院。画面右手前は岡山市立岡山女子商業学校(現:岡山県立図書館)の跡。
こうして、終戦後最初の野球大会が開催されることになっていく。
つづく(随時掲載)
参考文献
『球譜一世紀』
『灼熱の記憶』
参考
毎日新聞
山陽新聞
協力
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
おいまつ会





