春風爽快 キセキの春 15

2009(平成21)123

 この日は、321日から阪神甲子園球場で開かれる第81回選抜高校野球大会の、選考委員会があり、出場32校が決まる日だった。
 私、当HPは、午前中で仕事を切り上げ、会社の弁当もそこそこに倉工第2グランドに向かったのだった。倉工に、車を置き第2グランドへ。
まだ、午後1時ごろだった。誰もいないと思っていた。ところが、第2グランドに着くと、すでに多くの報道陣がいた事に驚いた。【もう、この時間にこんなに多くの報道陣がいるのかと。】そうしていたら、若い女性が近寄って来た。
「倉工の関係者の方ですか。」
私は、「はい。関係者と言えば関係者でしょうか。」すると、その女性は、「これから、倉工の事を、色々と教えてくれませんか。」【倉工と呼んでくれる事が嬉しかった。】と聞かれたので「はい。いいですよ。もし、わからなかったら学校に問い合わせもできますから。」と答えた。
すると、その女性は名刺を取り出そうとしたので、私も名刺を用意した。「毎日新聞の
坂根と、申します。」【えっ毎日新聞】私は、直立不動になってしまった。帽子を取って「お世話になります。どうぞ、よろしくお願いします。」と深々と頭を下げた。【何だか、倉工を代表して、毎日新聞に挨拶をしている感じになった。】
春の選抜は毎日新聞が、夏の甲子園は朝日新聞が主催である。坂根真理記者は、次から次へと質問をして来た。
「倉工って、会社企業から見てどんな学校ですか。」ドキっとしたが、私は次の様に答えた。
「倉敷市の南には、工業地帯水島コンビナートがありますが倉工の卒業生の約7割はその水島の企業に就職していまして深刻な不況でも即戦力として期待され卒業生の働きぶりが企業と学校の信頼関係を強めていると思いますね。一言で言えばアイドルでしょうか。」
すると「アイドルですか。」「私の職場にも、倉工の卒業生がいますが卒業生でないのに(倉工甲子園じゃなあ。)とか(倉工は、今年はどんなんかなあ)あるいは(この前倉工が、新聞テレビに出ていましたよ。)とよく言われるんです。これからも地元に愛され応援してくれるアイドルの様な存在であってほしいと願っています。」メモを取る坂根真理記者。質問は、さらに続いた。
 「倉工の生徒さんがよく行くお店ってありますか。」
「はい。又一というラーメン店があります。そこの、大将は大の倉工ファンですしね。」
「それでは、明日、私をそこに連れて行ってくれませんか。」
こうして、話をしていて後ろを振り返ってみたら、いつの間にかユニホームを着た選手や監督中山隆幸そして保護者らが集まっていた。
報道陣、保護者らを合わせると、約100人近い人数であったであろうか。
そして、午後340分倉工から、第2グランドに、第一報が入った。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承ください。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(
当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

 

春風爽快 キセキの春 14

明治維新140年記念 第39回明治神宮野球大会平成20年11月15日(土) 於神宮球場

倉敷工000 000 000 0
西 条010 000 01× 2

倉敷工の完敗。全国屈指の好投手西条エース秋山(現阪神タイガース)の前に、倉工打線が沈黙した。西条は、2回、二死から9番佐伯の三塁打と、一番井下の適時打で先制。8回にも、佐伯の、適時打で追加点を挙げた。
倉敷工は、エース山崎が粘投したが、打線が3安打に抑えられ完敗だった。

観戦記
この神宮大会は、秋の中国地区大会を制した倉敷工や、北海道、東北そして関東地区等各地区の代表校が明治神宮球場に集まった大会です。(高校10校)また、大学の部では東京六大学代表や、東都六大学代表等10校が集い、明治神宮日本学生野球協会が主催する大会であります。
この、明治神宮野球大会に出場する倉敷工を応援しようと、いつも倉工を応援して下さる「倉工野球部私設応援団」が用意したバスに便乗して神宮球場に、向かいました。バスの中には「私設応援団」「野球部保護者」「おいまつ会会員」等、ほぼ満員に近い状態でした。早朝に神宮球場に到着した倉工応援バスを待っていて下さったのは、「おいまつ会関東部会」の皆様。早速、挨拶を交わすおいまつ会会員。こうして関東部会と合同応援として神宮球場に入りました。『おう、ここが神宮球場か』と思った次第です。
神宮球場と言えば東京六大学のあの早慶戦。あるいはヤクルトスワローズの本拠地ですから。試合は「おいまつ会関東部会」が作成したメガホンを中心として応援。『かっせ、かっせ倉工』を連呼。試合は負けてしまいましたが、おいまつ会関東部会大河内勝会長が役員会で応援を呼び掛けたそうです。
また、昭和36年卒竹内一夫さんは、倉工在学中応援団部に所属。
この試合の応援の陣頭指揮を取ってくれました。試合終了後、神宮球場の前で大河内会長から『選抜までに、チャンとした応援体制を取って下さい。』と激励を受けた次第です。倉工ヒット3本のうちセンター前ヒットを打った4番三木大知君は、『西条は、いい投手だと聞いていました。それなら、ストレートを狙って打ってやろうと思っていました。そうしたら、センター前に打てました。』と、報告を受けた次第です。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長、監督」