熱闘甲子園 今昔物語 80 栄光の足跡 68 (倉工の3元号 1)

第94回選抜高校野球大会
【大会期間】
2022年3月18日~3月30日
【倉工の3元号】
13年ぶりに、選抜に出場する倉敷工。
昭和32年(1957)の初出場を皮切りに、今回が11回目の選抜出場で、令和になって初めての甲子園。昭和、平成、令和の各時代にドラマを残し、地元で「倉工」と称される伝統校の新たな物語に胸を膨らませるファンは多い。
3元号にまたがる逸話の数々を振り返る。
『打撃強打猛打の倉工』
今年のチームは、「攻めて攻めて攻めたぎる」がテーマ。
ならば、「打撃の倉工」を象徴する二つの試合を、伝統を受け継ぐ選手たちに伝えたい。

『昭和50年、第47回大会』
開会式直後の、中京との開幕試合。
名門中京を相手に四回までに13点を奪い、一時は、11点差をつけて楽勝ムード。
だが、後に近鉄に進む投手の兼光保明は風邪をこじらせての登板だった。
「地に足がついていなくて、頭もボーとしていました。」と兼光は当時を振り返る。
防御率0点台のエースが、四回、五回に計9失点。八回裏には同点にされたが九回に、1点を取って、16対15で逃げ切った。救援を受け、ライトを守った兼光は、意識がもうろうとし、「スコアーボードを見ると、どちらも大量点を取っているんですね。勝っているのかどうかも計算できなかった。」という。
「みんなが、僕の不調をカバーしてくれました。」と懐かしく昔話をしてくれた。

『平成21年、第81回大会』
これも、開会式直後の開幕試合。
金光大阪を相手に、壮絶な打撃戦。
九回裏に3点差を追いつき、さらに1点リードされた延長十二回裏に2点を取って11対10のサヨナラ勝ちを収めた。
「試合を絶対に諦めるな。」と鼓舞した倉工ベンチの声は、今も生き続けている。

金光大阪戦。十二回裏にサヨナラ打適時打を放ち、喜ぶ日下太希。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 79 栄光の足跡 67 (春切符 3)

第94回選抜高校野球大会
【大会期間】
2022年3月18日~3月30日

【春切符3】
『選抜へ始動』
『部活動の制限』
『オンラインで練習共有』
倉敷工は、出場決定後初の練習を行った。
新型コロナで、県立学校の部活動が制限される中、ナインはオンラインを活用。
「合同トレーニング」などで、汗を流し13年ぶりの選抜へ始動した。
1、2年生計60人の部員は、朝から走り込みやキャッチボールで、それぞれ体を動かした後夕方から、ビデオ会議システムを使った練習に参加。画面越しに、高田康隆監督が見守った。
股関節のストレッチや、体幹強化に取り組んだ。
約1時間半の練習の最後は、素振りで締めくくった。
主将の福島貫太は、「中国地区代表のプライドを持ち、自分に厳しく、高いレベルの努力をして行こう。」と仲間に呼び掛けたのだった。
コロナ対策として、県立学校では、おおむね1か月以内に公式大会が予定されている部活動以外は、活動が中止されており、(この時点では)倉敷工の練習再開の見通しは、立っていなかった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 78 栄光の足跡 66 (春切符 2)

第94回選抜高校野球大会
【大会期間】
2022年3月18日~3月30日

【春切符2】
『13年ぶりの春』
待望の瞬間が、ついに訪れた。1月28日夕方。
13年ぶりの選抜出場の知らせが届いた倉敷工では、ナインが帽子を高々と投げ、喜びを表した。
1941年創部の古豪倉敷工。春夏合わせて甲子園で、岡山県勢最多の25勝を誇る。
「歴代の先輩全員の思いを背負って戦い『攻めて攻めて攻めたぎる』プレーを甲子園でも貫く。」主将の福島貫太は、引き締まった表情で、抱負を語った。
『攻めて攻めて攻めたぎる』
新チーム移行後、バットを握る時間は格段に増えた。福島や日向ら中学時代に硬式のクラブチームなどで、中軸を担った打者が揃う現2年生。打撃メインの練習にかじを切ったのは当然だろう。
「入学時から、振る力は光っていた。」と高田康隆監督は、認める最大の武器を磨いた。
マシンを相手に、重い木製バットで速球を打つ早朝の自主練。放課後は、軽くて細いノックバットを振って、早いスイングを体に沁み込ませ竹製バットでサンドバックを叩く事で、ボールを押し込む感覚を養った。中軸の若林晴斗は、「持ち味のパンチ力や長打力が、ワンランクアップした。」と実感。
「攻めて攻めて攻めたぎる」
チームカラーのスローガンが生まれたきっかけは、昨年夏の敗戦にあると思える。
Aシードで臨んだ岡山大会で、春と前年秋の県大会で勝利した城東に不覚を取った。受け身に回り、足をすくわれる典型的なパターンだった。走塁にしろ攻撃にしろ、消極的なプレーが目立ち、なりふり構わず向かって来る相手に屈した。
先輩の無念を胸に秘め、新チームは始動した。

13年ぶりの選抜が決まり喜びを爆発させる、倉敷工ナイン。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会