大願成就 己に勝つ野球 2

平成13年4月。倉工野球部に、将来性豊かな有望選手が多数入部して来た。
その一年生たちの、意識は高く全員が、「倉工で、甲子園に行くんだ。」という目標を持っての入学だったという。そうした中に、一年生渡部和博がいた。渡部は、不治の病に苦しむ親友の元を訪れた。白血病だった。
そして親友に誓った。「絶対に甲子園に行くから。そして、お前を必ず甲子園に連れて行ってやるから、早く良くなってくれよ。」
それ以後渡部は、ことある事に『オレたちは、絶対に甲子園に行くんじゃ。』とチームメイトに訴え続けたのだった。
さらに、渡部は授業が終わって、自転車で練習グランドに向かう時、顔の表情が一変。非常に厳しい顔つきになったという。
(渡部は、倉工卒業後、明治大を経て社会人野球住友金属鹿島で長く野球を続けた。)
倉敷工監督和泉利典は、「選手の動きを見ていると、手応えを感じましたね。このチームで、絶対に甲子園に行くんだ。行かなければならないと。いうならば、背水の陣だったでしょうか。」
しかし、倉工は、順風満帆には程遠く、夢の甲子園までは茨の厳しい道が待っていた。

つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)
協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 1

夏の全国高校野球選手権大会は、幾多のドラマを生んで来た。
そして、人々の記憶に深く刻まれる熱闘は、時代ごとに生まれた。
こうした中、第85回大会に出場した倉敷工。対駒大苫小牧との熱戦は、深く人々の記憶に残っている事だろう。
この試合は、「倉工のベストゲーム」と言われ、強烈な印象を残し、高校野球ファンの心に刻まれている。
2003年第85回大会一回戦

倉敷工   0000
駒大苫小牧 0710
ノーゲーム

倉敷工   012 101 000 5
駒大苫小牧 002 000 000 2

四回途中で、0対8。大差を付けられていた倉敷工に天が味方した。台風接近に伴う激しい雨で、10年ぶりのノーゲーム。
翌日の、仕切り直しは、二回の先制後、小刻みに加点し、5対2で初戦突破した。卒業後、社会人野球JFE西日本で活躍したエース陶山大介が、鋭い高速スライダーで強力打線に立ち向かい、被安打6 奪三振9の好投。前日とは別人のようなできに「立ち直りが凄い」と多くの高校野球ファンは言う。
2回戦も突破し、35年ぶりの8強まであと1勝に迫る躍進だった。
一方、全盛期を築いた駒大苫小牧にとっても語り草となるゲームだったといえよう。この時の野球部長は、後の倉工監督中山隆幸。監督は、ベテランの域にかかった和泉利典。
当、HPは、第85回大会に甲子園出場した倉工チームを振り返ってみる事にする。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

春風爽快 キセキの春 29 最終回

第81回選抜高校野球大会 大会初日第一試合

金光大阪 210 120 003 001 10
倉敷工  100 301 013 002 11
平成21年(2009)3月21日
第81回選抜に出場した倉敷工。
試合は、リニューアルされた甲子園の開会式直後で、異様な興奮が、生き物の様に球場全体を覆う中で始まった。
両チームは、お互いに、1回から激しく点を取り合うサバイバルな試合を展開。
積極果敢な攻めと粘り強い守りで、先行する金光大阪に、倉工が、喰らいつく。
「諦めるな。どんな事があっても、諦めるな。」ベンチの倉敷工中山隆幸監督のゲキが、聞こえて来るような熱戦。結局、延長12回劇的なサヨナラ勝ちを、決めたのだった。その、試合直後の事。


倉敷工業高校の事務室に、1本の電話が入った。電話の主は卒業生でもなく、倉工関係者でもなく、全く面識のない人からだった。
その人は、ガン患者だった。
選抜での倉工の決して諦めない逆転劇を見て感動。
「病気と戦う勇気を、貰った。」という。
「どうか、中山監督をはじめ、選手の皆さんや、関係者の皆様に、どうぞよろしくお伝え下さい。」と、ていねいな、言葉を残して、電話を切ったという。
一方、中山監督にも、別のガン患者から、同様な、お礼の言葉が寄せられたのだった。
「思い切り振り切れ。」春の選抜で、鮮やかなサヨナラを生んだ「あの一球」には、中山監督と、球児たちの熱い信頼の物語が、秘められていたのだ。
オフの長く、地味な打撃練習が、春の光の中で鮮やかに、花を咲かせたといえよう。
にわか仕込みの、甲子園戦法より、平素から培った、自己能力の、認識が重要なのだ。
倉工は、晴れの舞台センバツでその事を、鮮明に見せた。
新化を続けた倉工が、ドキドキする感動ドラマを、また伝えてくれた。

おわり

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本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」