大願成就 己に勝つ野球 23

第85回全国高校野球選手権大会2003年(平成15年)8月15日
阪神甲子園球場

倉 敷 工012 101 000 5
駒大苫小牧002 000 000 2

ノーゲームだった前日、抑え込まれた倉敷工が、駒大苫小牧エース白石投手を攻略。二回、西野の中前打で1点を先制。三回にも、須田の二塁打と敵出で2点。その後も、大森のスクイズで萩原がホームを踏み加点。エース陶山は、2失点と力投。駒大苫小牧は、三回に桑原の中前打で1点に迫ったが、好機で適時打を欠いた。

卒業後、社会人野球JFE西日本で活躍する事になるエース陶山大介が鋭い高速スライダーで強力打線に立ち向かい被安打6、奪三振9の好投。前日と別人のような出来に「立ち直りがすごい」との声が上がった。倉敷工は、2回戦(今治西)も突破し、35年ぶりの8強まであと1勝に迫る躍進。
(当HP大願成就で今治西戦も紹介予定です。)
2006年も決勝に進出するなど、全盛期を築いた駒大苫小牧にとって語り草となるゲームとなった。

『倉敷工投打にはつらつ』『スタンド興奮の渦』と新聞に出た。「あと一人、あと一人。」3点リードの九回裏倉工3塁側アルプススタンドでは、スクールカラーの緑色のチューリップハットをかぶり、燃えるような真っ赤なTシャツを身に着けた約2200人の大応援団から、赤と青のメガホンを打ち鳴らし、マウンドの陶山を後押しするように大声援が沸き起こった。最後の打者の打球を遊撃手渡部和博がしっかりとグラブに収め、須田洋光が一塁ベースを踏んだ瞬間、倉工ナインの勝利を祝福するかのように雨のばらつく曇り空から太陽の光が差し込んだのだった。スタンドの大応援団は、肩を組み合いあい、校歌が高らかに響き渡った。
つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 22

第85回全国高校野球選手権大会 大会2日目 第2試合
7年ぶり9回目の純白のユニホームを甲子園に見せた倉敷工。
倉敷工は、駒大苫小牧(南北海道)との一回戦に臨んだが、四回途中で降雨ノーゲームとなった。大差で負けていた倉敷工にとって、もう一度チャンスが与えられる天の恵みになった。

倉 敷 工 000 0
駒大苫小牧 071 0×

この点差で仕切り直しとなり、相手チームのことを考えると倉工ナインには複雑な思いが残るだろう。だが、ここは甲子園。
岡山県の代表校として、気持ちを切り替え勝負に徹してほしい。

この日の夜のミーティングの時だった。和泉利典監督は、選手全員にレポートを書かせた。「力を発揮できなかった原因」、「明日への心を整備」などを中心とした内容だった。
そのミーティングは、5時間以上にも及んだという。
捕手の萩原竜一は宿舎でこの試合のビデオを見ると、自分の構えやミットが真ん中に入り、陶山に投げにくくさせていたことに気がついた。「次は、どんどん内角に攻めるぞ。」萩原は反省を踏まえ、強気の内角攻めを誓った。「将来は、指導者として野球の素晴らしさを教えたい。」と熱く語る。
「弱気は最大の敵。敵は相手ではなく、自分自身にある。」
伝えたい経験が、また一つ増えた。

この試合で、一本の安打を記録した松本勝志は、「ノーゲームになって正直助かった。もう一度試合ができるチャンスを与えられたのだから、次はできることを一生懸命やりたい。」

田中勇気は、「これからと意気込んでいたので気持ちをくじかれた気もするが、堅実に得点する野球を取り戻したい。」と話した。

倉工ナインは、雪辱に燃えたのだった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」