大願成就 己に勝つ野球 26

第85回全国高校野球選手権記念大会
倉敷工VS今治西

倉敷工7年ぶり9回目の甲子園出場。今治西は、22年ぶり8回目の出場。
こうした名門同志、古豪同志の対戦は多くの観衆を集める。この日発表された観衆は、45,000人。それだけに、両校の応援合戦はすさまじい。
「スタンドは超満員でしたが、気持ちは余裕がありましたね。」と倉敷工中山隆幸部長。(中山は、部長、監督として甲子園で9試合を戦った。)
今治西の愛媛大会のチーム打率は、3割8分を超える強打のチーム。
一回戦で日大東北を3安打完封したエース豊嶋投手に対し、倉敷工は三回まで内野安打1本に押さえられていた。しかし、豊嶋投手を攻略できたのはマネージャー兼記録員の一宮周平の研究があったからである。

倉敷工 000 301 000 4
今治西 001 101 000 3

一宮は、宿舎で今治西のビデオを見ていた。
「初球はいつも甘い」相手投手の癖を見抜き、ナインに伝えた。
四回、須田洋光の打席。
一宮は、ベンチの片隅で試合前田中勇気に書いてもらった「魂」という字を握りしめていた。
「初球だぞ。初球を行け」その初球、須田は外角のストレートをフルスイング。
打球は、中前に。処理を焦った相手の失策を誘い逆転に成功。
「よっしゃ~」読みどおりの展開に一宮の握り拳にさらに力が入った。

新聞に『倉工鮮やか逆転』
『相手投手のくせ研究』と出た。

勝ちが目前に迫った九回裏。
二死から内野安打で、同点の走者が出た。

この試合、三度目の伝令に行った赤沢亮平は、ナインの顔を見た。
余裕のある笑顔を確認すると、三塁側を指して投手の陶山大介に言った。
「一人でやるな。俺たちは、勝つためにここにおるんじゃ。」

指先にある、超満員倉工アルプススタンドからは、「レッツゴー陶山」の陶山コールが、響いていた。
一呼吸置いた陶山はカウント3ボール2ストライクから、この試合一番のスライダーを決めた。
すると、バックネット裏にいた大観衆は、一斉に立ち上がって拍手をしたのだった。
倉敷工は、8強入りを懸けて、青森光星学院と対戦する事になる。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 25

五万観衆の歓声がとどろく。センターポールに緑の校旗がはためく。
折しも、沸き起こる校歌の吹奏。「水島灘の沖行く白帆も~」
大甲子園にこだまする勝利の賛歌。聞く度に、いいなあと思う。
(おいまつ会会員名簿より引用)
第85回全国高校野球選手権記念大会第9日目、二回戦春の四国大会優勝の強豪今治西と対戦した倉敷工は、再三のピンチを耐えながらチャンスでは見事な集中打を見せ4対3で逆転勝ちした。

倉敷工000 301 000 4
今治西001 101 000 3

1点を先制された四回表。倉敷工はビックイニングを迎える。
松本の安打。渡部の四球で一死一二塁とする。続く須田は一回戦に続き中前打。相手野手の失策もあり2者が帰り勝ち越し。清水も中前打で3点目。また、競り合いの展開では、アウトカウントを増やしても走者を先の塁に進めた方が効果的な時もある。その倉敷工の決勝点は、六回。
一死から、左前打で出た一塁走者を、バントで送った。
「併殺が頭をよぎったので、バントで得点圏に走者を進め、相手にプレッシャーをかけたかった。」と和泉利典監督。ここで萩原が、走者が二塁に進んだ事で浅めに守っていたセンターの頭上を抜く適時二塁打を放つ。倉敷工は、駒大苫小牧との一回戦でも、二回一死一塁から送りバントで走者を進め、先制適時打につなげた。
和泉監督は、「一死一塁からのバントは、うちにとっては通常のプレー」と話した。
そのランナー二塁のこだわりが、難敵今治西を倒したのである。
新聞に、『倉敷工粘った守った』『倉工鮮やか逆転』『倉敷工今治西に競り勝つ』等と出た。
三塁側倉工応援アルプススタンドでは、倉敷工倉敷南高松農の3校が合同で演奏した。倉敷工吹奏楽部柚木律子顧問が、97年に倉工に赴任した時、倉敷南顧問と「もし、甲子園に出たら合同で演奏しよう。」と約束を交わしていた。また、日頃から交流のある高松農も加わり合計約90人の部員が演奏を繰り広げたのである。
柚木顧問は、「7年越しの約束が実りました。」と満足そうに部員の演奏を指揮したのだった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 24

ヒーロー赤沢亮平
大きな声で、勝利に貢献する倉敷工三塁コーチャー。
和泉利典監督から、甲子園でのベンチ入り選手が発表されるのと同時に背番号が配られた時の事だった。指揮官から「赤沢亮平」と呼び出された。すると、誰よりも大きな声で「はあい」と大声を上げ背番号14を受け取った。その大声が、仲間にも笑顔を与えた。
赤沢は、中学生の時「倉敷ビガース」のエースとしてチームを中四国大会優勝に2度導くなど大活躍。それだけに、ナインの心理状態や苦悩が、よくわかる選手。レギュラーの座は逃がしたが「チームの役に立ちたい」と側面からの支援に全力を注ぐ。
対駒大苫小牧戦。六回裏、無死一二塁のピンチ。顔をこわばせてマウンドに集まる内野陣のもとへベンチを飛び出し全力疾走で駆け寄った。
開口一番「いや~。昨日、彼女に振られちゃったよ。」一瞬の沈黙の後、内野陣に笑顔が戻った。「こんなピンチはどうってことない。何て事ない。何点取られてもいいから、野球を楽しもう。」直後、相手打線を2三振と盗塁死に抑え最大の危機を脱した。「野球は9人でやるものではない。」が持論。「力を抜け。」三塁コーチャーボックスから大きな声が途切れる事はない。指揮官からも「一番野球を知っている。」と太鼓判。
二回裏の攻撃で当たりは浅かったが、迷わず二塁走者を先制の本塁へと向かわせた。「センターがボールを弾くような気がした。だめでも次の回は俊足の大森だから。」後に、倉敷工監督に就く事になる中山隆幸部長は「チームを一つに、まとめてくれる。」と全幅の信頼を置く。仲間は「亮平は、10人目のレギュラー」と言う。
赤沢は、三塁を蹴って本塁に帰れるタイミングを研究。練習試合で外野手の肩の力と走者の走力を見て、回せるタイミングを探した。それには打球と走者が、一つの視野に入れる位置取りが大事であろう。
こうした赤沢を、大会のダイジェスト番組「熱闘甲子園」のキャスターを務める長嶋三奈氏が取材に来た。長嶋氏の父は長嶋茂雄元巨人監督。その取材の模様と試合で三塁コーチャーの中から、大声と右手をグルグル回すコーチャーぶりが「熱闘甲子園」の中で放送されたのである。
次の相手は今治西。「僕の笑顔でリラックスしてくれるのなら本望。これからも、選手のプレーしやすい雰囲気を作りたい。」と赤沢。
三塁コーチャーボックスが自分のポジション。背番号14赤沢亮平、なるべく長く甲子園にいたい。しかし、伝令に行きベンチに帰るとぐっと白球を握りしめ、バットにチラッと目をやる事もあったのはなぜなのだろうか。
【岡山県代表倉敷工業高等学校三塁コーチャーは、赤沢君】
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)
協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」