大願成就 85熱闘甲子園の奇跡 32 最終回

この頃、倉工野球部OB会に派閥争いがあったのは事実。

昭和の時代、4季連続甲子園出場をはじめ、ベスト4三回、ベスト8二回など華やかな時代を知るOBにとって、ちょっと甲子園から遠のくと、どうしても現場の指導者に目が向いてしまうもの。筆者の私にも、「今の監督コーチらを代えて新しい監督スタッフで、甲子園を狙いたいんです。」との声を実際に耳にした事がある。監督和泉利典は、「ここで、甲子園に行かなければ、私も中山も辞めさせられたところだったんです。」と。
(高野連に、監督登録をすると、誰でも監督が可能)
和泉と、中山にとっては、まさしく背水の陣だったのである。それを見事、大願を果たした和泉と中山のコンビ。両名にとって、まさしく大願成就の甲子園出場だったのである。(このチームで、甲子園2勝)ここで、倉工野球部を称える、新聞記事を紹介したい。

【もう一度甲子園倉敷工に期待】
倉敷市62歳主婦
十二月二十三日朝、ゆっくり洗濯物を干していたら、十人ほどの白いユニホーム姿の生徒が、ビニール袋と火箸を持ち、缶拾いをしている姿が、目に止まった。
近くに練習場がある、倉敷工業高校の野球部員だとすぐにわかった。地域の環境美化にと、月に一度はしているらしい。みんなで取り組む、「ささやかな行為」の、「なんと大きなことか」と、とてもうれしく感じた。五月には、地域住民が出て一斉に川掃除をする。「ゴミは捨てないよう。みんなで、川をきれいにしましょう。倉敷市。」と、立て看板があっても、缶にペットボトル、弁当や総菜を食べた後の空き袋。果ては、自転車の投げ入れまでと。心のない人々の散乱の跡がある。
地域を愛する彼らも、切なく感じていることだろう。
声を上げてのシートノック。砂ぼこりを浴びての泥だらけの駆け込み。勉強と野球と家族の声援を胸に、ナイターまでして練習に励む青春。甲子園出場の夢をまた見させて下さい。神聖な運動場に出入りの態度。脱帽しているささやかな姿を。
大きな声で、挨拶してくれる君らの声を、エリアの住民は、よく知っています。
山陽新聞(平成16年1月9日)より。原文のまま

筆者の私は、この記事(コピー)を、部長中山隆幸から、譲り受けたのだが余白の部分に、本人の直筆で次のように書いてあった。
『倉工野球部を讃える記事。大変喜ばしい限りである。もっと、心を使おう磨こう整理しよう強くしよう必ずや、すぐにも甲子園に行ってみせる。そして、皆様のご期待に答えられるよう全力をつくす。精進野球部長中山隆幸』
この感動を残したい熱き心の選手たちが、創り出す数々の感動ドラマは、生涯忘れられない思い出として心に残るであろう。
監督和泉利典部長中山隆幸にとって、まさしく大願成就の甲子園出場だったのである。ちなみに、和泉は聖地甲子園で監督として7試合。中山は部長として7試合、監督として2試合、合計9試合を戦った事になる。伝統ある倉工野球部史において、和泉の試合数7は、歴代3位。中山の試合数9は2位という金字塔を打ち立てたのだった。

おわり

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

センバツ甲子園 11回延長 初戦突破ならず

第94回選抜高校野球大会に出場した硬式野球部の皆さん、手に汗握る熱戦をありがとうございました。
応援してくださった皆さん、ありがとうございました。
初戦突破とはなりませんでしたが、夏につづく一戦だったと思います。

今回のセンバツ出場に際し、後援会より同窓生の皆様に募金のご案内を送付させていただきました。
多数の方々に御協力いただきました。心より感謝申し上げます。
今後とも母校倉工を支援していくため、おいまつ会の活動に御理解御協力を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

藤井 チーム初安打で先制点 倉敷工「対応力」でしぶとく(山陽新聞)

倉敷工、センバツ初戦突破ならず 延長11回、和歌山東に2―8:山陽新聞デジタル|さんデジ (山陽新聞)

倉敷工 強打沈黙、9回まで2安打 エース奮闘も延長11回力尽きる(山陽新聞)

倉敷工のエース高山 気持ち乱れた「思わぬ落とし穴」 センバツ(毎日新聞)

センバツ2022 1回戦 倉敷工「攻めたぎる」貫く 延長で涙、奮闘にスタンド拍手 /岡山(毎日新聞)

第94回選抜高等学校野球大会開幕 福島貫太主将選手宣誓

第94回選抜高等学校野球大会が開幕しました。
開会式では、母校倉敷工業高校福島貫太主将が選手宣誓を務めました。
各社の報道をご紹介します。

センバツ甲子園出場に際し、同窓生の荒木竜二倉敷市議会議員が同席し、伊東倉敷市長から激励の言葉をいただきました。

センバツ開幕 倉敷工福島主将宣誓 「野球ができることに感謝」(山陽新聞)

センバツ 3回の“感謝”選手宣誓に込めた思い 倉敷工 福島主将(NHK)

【全文】倉敷工・福島貫太主将が堂々の選手宣誓 「ありがとう」が聖地に響く(Yahooニュース・高校野球ドットコム)

【センバツ】倉敷工の福島主将が選手宣誓「やりきれた。100点だと思います」(スポーツ報知)

センバツ開会式 選手宣誓の倉敷工・福島貫太主将「テーマは感謝」(Yahooニュース・センバツLIVE)

参考
倉敷工業高校甲子園試合成績

大願成就 85熱闘甲子園の奇跡 31

当、HPは第85回夏の甲子園に出場した倉敷工の足跡をもう一度検証してみることにする。

【倉敷工8強届かず】

3回戦
倉敷工 000 000 000 0
光星学院100 010 000 2

倉敷工は、3回戦で光星学院(青森)に0対2で惜しくも敗れた。
エース陶山は、無四死球で力投したものの、相手投手の緩急をつけた巧みな投球に打線が、散発4安打と抑え込まれ、三塁を踏む事も出来なかった。
和泉利典監督は、「とにかく打てなかったですねえ。」
一方、中山隆幸部長は、「とにかく、打てそうで打てなかったんです。」とコメントした。

【最後まで逆転信じ】

三塁側倉工アルプススタンドを埋めた3千人の大応援団も戦っていた。
グランドの選手と一体となって、この試合も最後まで逆転を信じ大声援を送り続けた。先制点を許す苦しい展開を変えたいと倉工野球部3年石本勝志が、汗びっしょりになりながら大太鼓を打ち鳴らし続けた。
石本は、降雨ノーゲームになった駒大苫小牧との試合で、大雨による通行止めで、応援団が試合に間に合わず、8点差をつけられた段階で「もう、ダメかもしれない。」と、不覚にも泣き出してしまった。しかし、石本は諦めず、再試合で勝利した選手たちを見て「選手と一緒に戦っているという気持ちが足りなかった。」と気が付いたのだった。
石本は、「もう応援の手は止めない。」と心に誓ったのであった。

【応援団選手に心からありがとう】

逆転を信じる倉工スタンド。九回一二塁に走者を送ると総立ちになった。
最後の打者が、併殺に倒れると「ああー」という大きな悲鳴とため息が漏れたが、やがて大きな拍手に変わった。涙ぐむ人もいたが、多くは優しい笑顔でスタンド前に一礼する選手たちを迎えた。
「ありがとう」
「よく、やったあ」
慰労や感謝の言葉が次々とかけられた。
三塁コーチャー、そして伝令としてチームを支え、8回に代打で出た赤沢亮平の母親は「甲子園で打席に立つなんて緊張したでしょうね。今まで頑張ってきたから。」
また、応援団長西洋祐は、駐車場で涙が止まらなかった。
「ぼくらは、甲子園で応援できる幸せを貰った。選手たちには、心からありがとうと言いたい。」と話した。

―お知らせー

次回、32号で、山陽新聞に載った倉工野球部の活躍を讃える記事を紹介して『大願成就』を最終回とします。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 85熱闘甲子園の奇跡 30

当、HPは第85回夏の甲子園に出場した倉敷工の足跡をもう一度検証してみることにする。

大甲子園球場。三塁側倉工応援アルプススタンド最上部で、仁王立ちする男がいた。頭には、倉工応援団の鉢巻き。倉工学生服に身を包み、視線の先は、常にグランドに。いや、視線の先は倉工ナインに向けられている。
手には、伝統の応援団旗を持ち倉工ナインを鼓舞。しかも、素足のまま。
この、仁王立ちの男こそ、倉工応援団旗手古米竜士。
台風10号の影響で、強い風が吹く中、アルプス席の最上部で伝統の団旗を持ち続けた。台風10号の影響の突風で、掲げた応援団旗のポール部分が曲がってしまうアクシデントが発生。それでも、ポールを短くして団旗への風の負担を軽くして掲げ続けた。古米は、岡山大会からずっと団旗の担当。ダンベルで鍛えた両腕で、風をまともに受ける団旗をしっかりと支え続けたのだった。「今までで、一番重いです。」と古米。
何度もよろけそうになったが、球場最上段に設置されている看板に身体を押しつけて、必死に持ちこたえた古米。「風がきつくて大変だけど、選手も同じ条件。気合いを入れて踏ん張り、しっかりと持ちます。」と古米。
ノーゲームになった前日の試合は、高速道路の停滞などで駆け付けることができなかったが、「甲子園で応援する夢がかなってうれしいです。」と満足そうに話した古米竜士だった。

大甲子園に、球場アナウンスが轟く『岡山県代表倉敷工業高等学校旗手古米くん』
山陽子ども新聞の子ども記者5人が、倉工ナインを取材した。その中岡山市南輝小学校五年松岡優太君の記事を紹介します。

【応援団かっこいい】
ぼくは、倉敷工業高校応援団長の藤田真司さんにインタビューした。
取材するのは、初めてで応援する人がたくさんいて圧倒されたからドキドキした。応援団の団員は14人。「どうして、応援団になろうかと思ったのか。」と聞くと「かっこいいから」と答えてくれた。
大きな声で、全員心を一つにして、頑張っている姿を見て感動した。
応援する時は、「野球部とブラスバンド部の人と息を合わせることと、旗を正確に振る事に気を付けている。」と教えてくれた。応援団が持っている旗は、とても重そうに思えたが、応援団の人はしっかりと持っていたので、すごいなあと思った。練習は、六月中旬から本格的にしていたそうだ。毎日の練習の成果が出ていて、野球部、ブラスバンド部と良く合っていたと思う。ぼくも、将来応援団に応援してもらえるような野球選手になりたい。

(本文、ひらがなを漢字に変えています。)

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」