熱闘甲子園 今昔物語 67 栄光の足跡 55

第94回選抜高校野球大会
【概要】
2022年3月18日~3月30日出場32チーム
入場曲「群青」
優勝 大阪桐蔭、準優勝 近江

大阪桐蔭の打線は、一回敵失と適時打でわずか8球で先制点を奪うなど4完投で疲れが見える近江の山田を三回までに攻略。4本塁打を含む16安打で大量18点を奪った。近江は、序盤で主導権を握られ動揺したが、打線にこれまでのような粘りはなく、守備も4失策と乱れた。

一回戦 2022年3月19日
和歌山東 000 001 000 07 8
倉敷工  001 000 000 01 2
(延長11回)
投手
和歌山東 麻田―田村―麻田―山田-森
倉敷工  高山―近藤

(お願い)
この試合の内容については、当HP「栄光の足跡54号」を参照して下さい。(前号)
【選抜への道1】
第94回選抜高校野球大会の選考委員会が開かれ倉敷工の「13年ぶり11回目」の出場が決まった。
攻守にバランスが取れたチーム。2021年秋の県大会で優勝し、中国大会でベスト4入りした実績が評価された。
聖地を踏むのは、2009年の春以来。
金光大阪との打ち合いを11対10の延長逆転サヨナラで制した。この年の開幕試合は、今も語り草だ。
その豪快さは、今の世代と重なる。
当HPでは、「選抜への道」と題して、次号より県大会から振り返ってみる事にする。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 66 栄光の足跡 54

第94回選抜高校野球大会
【概要】
2022年3月18日~3月30日出場32チーム
入場曲「群青」
優勝 大阪桐蔭 準優勝 近江
大会初日第2試合
和歌山東8対2倉敷工
大阪桐蔭は、投打がかみ合い圧倒的な力を見せた。
先発の左腕前田は、先発した準々決勝から中2日空き余力十分。角度のある直球と、大きく曲がるスライダーを武器に、近江打線を翻弄した。七回まで、被安打2、11奪三振、失点も失策がらみの1点だった。八回からは、ここまで2試合に先発した大型右腕川原を、救援させ、反撃の糸口すら与えなかった。

【はじめに1】
『倉敷工13年ぶり11回目選抜出場』
和歌山東投手陣の粘りが、勝機を生んだ。
和歌山東主戦投手、麻田は、力強く腕を振り、計9回を被安打4、1失点。ともにピンチで救援した、田村と山田の両左腕は変化球を大胆に使った。無失策で守備も堅かった。倉敷工の高山も力投したが、最後に力尽きた。

和歌山東 000 001 000 07 8
倉敷工  001 000 000 01 2
延長11回
倉敷工投手 高山―近藤
本塁打

倉敷工は、同点の延長11回に力尽きた。
十回まで1失点と粘投していたエース高山は、この回、先頭からの3連打で勝ち越しを許すと、さらに、4長短打を浴びるなど一挙7点を奪われた。
自慢の打線は、すべて短打の5本に、封じられた。
三回に、藤井の中前適時打で先制した後は、相手エース麻田らを捉え切れず、高山を援護できなかった。
倉敷工としては、八、十回の1死一二塁の好機を生かしたかった。和歌山東は、山田、森岡の1、2番コンビが共に、3安打と活躍し、十一回は打者11人の猛攻で一気に勝負を決めた。終盤のピンチを小刻みな継投でしのぎ、勝利を引き寄せたといえよう。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 65 栄光の足跡 53(二人のOB 2 最終回)

第81回選抜高校野球大会
【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
開幕試合 倉敷工11―10金光大阪
二回戦 中京大中京6―5倉敷工

【OB紹介2】
『岡本良一』
倉敷市下津井出身
倉敷工-明治大学―川崎重工
倉敷工、明治大学、川崎重工神戸とプレーヤーとしてもアマチュア球界のトップを張った男。
社会人野球、川崎重工神戸時代「1977年社会人野球ベスト9」に輝く。三塁手。
『野球への恩返しを』
昭和43年、倉敷工2年生で、春夏の甲子園共にベスト4。
黄金時代を築く。明治大学へ進学。「なんとかせい」の故島岡吉郎監督の指導を受けながら、三塁手として活躍。
30歳の現役引退後に、「野球への恩返しをせい。」と周囲に勧められて審判の道を歩む。
社業でも大いに手腕を発揮。関西支社長などの要職を経ている。
選手として、会社員として、そして審判として、歴戦をくぐり抜けた男。岡本良一は言う。
「やっぱり、自分が球審をした中では、松坂が一番やないかと思いますね。」
『横浜対PL学園の球審』
例えば、1998年夏の第80回記念大会で、松坂大輔を擁する横浜とPL学園の準々決勝(延長17回)の球審を務め、岡本良一球審は、その試合において松坂から一発でボークを取っている事でも有名。その横浜が、今度は「松坂大輔のノーヒットノーラン」で知られる京都成章との決勝でも球審を務め、甲子園決勝の球審5試合など幾多の各場面に立ち会っている。
あの夏、松坂大輔のまばゆい夏。
延長17回の準々決勝に臨んで、隠れた主役の一人でもあるはずの球審に、大観衆や大声援、あるいは空の色や雲の形の記憶はない。名審判岡本良一。
岡本良一は、兵庫県高野連の審判部長として後進の育成に力を注ぐ。
兵庫県高校野球抽選会の前、5月に71歳で死去。
2023年6月15日。前審判部長、岡本良一さんの冥福を祈り、出席者全員が黙とう。また、高校野球発展のために功績のあった、大きな賞が贈られた。
忘れまじ野球の鬼
名審判 倉工OB岡本良一
お願い「栄光の足跡51号」を、参照して下さい。

1998年 第80回記念大会準々決勝 横浜対PL学園 右端が、球審の岡本良一さん

【参考】
1998年第80回記念大会準々決勝
横  浜 000 220 010 010 000 12 9
PL学園 030 100 100 010 000 10 7
投手
横浜 松坂
PL学園 稲田―上重

横浜は、延長17回、途中出場の常盤が右中間に2点本塁打を放ち勝ち越し、熱戦に終止符を打った。
横浜エース松坂も序盤に速球を狙われて失点したが、最後まで渾身の力投で完投した。PL学園の粘りも見事。延長に入っても二度追いついた。松坂から13安打した打線も素晴らしかった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会