大願成就 己に勝つ野球 18

平成15年8月4日。倉工ナインは、この日の午前、倉工体育館で開かれた壮行会に出席した。全校生徒約1000人や教職員を前に檀上に並び、沖島弘光校長から「全力プレーで倉敷工の名前を全国にアピールしてほしい。」と励まされた。そして、校歌斉唱、応援団のエールを受けたナインは、夢舞台へと向かった。

組み合わせ抽選会は、大阪市北区のフェスティバルホールで午後4時から行われた。会場は、地方大会を勝ち上がった47都道府県49校の選手、監督らの熱気であふれた。倉敷工主将須田洋光が、舞台の中央の抽選台に歩み寄りくじを引いた。くじの結果を知らせるアナウンスをすると客席のチームメイトから大きなどよめきが起こった。倉敷工は、南北海道代表の駒大苫小牧と対戦する事が決まった。組み合わせ抽選会の後、各校主将は会場地下のリサイタルホールに場所を移し、対戦校同士でっちりと握手を交わし健闘を誓いあったのだった。

【駒大苫小牧の横顔】
1964年創立の私立校。野球部も同年の創部。
春夏連続甲子園出場。夏は、2年ぶり3回め。悲願の初勝利を目指す。春の選抜では、初戦で惜敗した経験が生き1点に対する執着心が選手に浸透している。

【倉敷工和泉利典監督】
大会初日でなくて良かった。相手のデーターはあまりないが、何度も甲子園に出場していると思うので、これから情報を収集したい。この数日で打撃の調子も上がって来たが、投手力を中心に守り勝ちたい。

夏の甲子園出場が決まると、全チームの野球部部長には激務が待ち受けている。中には、途中で部長を交代する事もあるという。「とにかく、その日のうちにベンチ入り選手を報告せんといけんし。それが、またつらいんですよ。しかも、ユニホームを新調せんといけんし。」と中山隆幸部長。「睡眠時間が、大会までに、毎日3時間程度だったんです。」一体、どんな激務なんだろうか。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 17

昭和42、43年。旧倉敷、玉島、児島の3市が合併。
新しい倉敷市が、生まれた。以後、倉敷市は工業に観光にと発展を遂げ、全国にその名を知らせる。甲子園で数々のドラマを演じ、倉敷という名を、全国に知らせた倉敷工。時を同じくして、昭和42、43年春夏の4季連続甲子園に出場した倉敷工が、全国制覇に迫ったのが昭和43年。甲子園春夏連続ベスト4。正しく倉敷工の黄金時代。また、倉工の試合時間になると商店街から人が消えたほど。その快進撃は、倉敷の街に満ち溢れるエネルギーと歩を合わせるかのようだった。
しかし、惜しくもあと一歩で夢に届かず。その日倉敷が泣いた。
(当、HP。カテゴリーの中、青春ヒーロープレイバックを参照して下さい。)
こうした華やかな時代を知る多くの倉工ファンやOBたちは、甲子園から遠のくとどうしても現場の指導者に期待と激励、あるいは不安等を兼ねた目が向いてしまうもの。これも名門校ゆえの事だろう。全国でもその様な事はどこにでもある。こうした中、倉工OBの3人が暖かい手を差し伸べたのだった。

「周囲の雑音なんか気にせず、自分の思うようにやりたい事を思いっきりやったらええんじゃ。」こう声をかけ励ましたのは、坂本七郎OB会理事、藤原勝利コーチ、永山勝利OB会副会長(前倉敷工投手コーチ)の3人。
『坂本理事は昭和20年代、藤原コーチと永山副会長は30年代の卒業生』中山隆幸部長、和泉利典監督の2人のコンビは次の様に話す。「助かりました。この3人がいなかったら、どうなっていた事か。だから、どうしても甲子園に行きたかったんです。」2人のコンビは、今でも感謝の気持ちを、持ち続けている。

第85回全国高校野球選手権大会に、7年ぶり9回目の甲子園出場を勝ち取った倉敷工。エース陶山大介について、永山前投手コーチは、次の様に話す。(当、HP。カテゴリーの中、昭和36年のドラマを参照して下さい。)
「陶山は、精神的に逞しくなりましたね。自分が先頭に立ってやるんだと。マウンドはグランドより高いわけですから、マウンドに立っている以上はナインの信頼も必要ですし。チームの精神的な軸になってやった事が甲子園出場に結びついたんでしょう。」
一方、部室ではマネージャーの一宮周平が準備に追われていた。こうして、影で支えた一宮の功績も大きい。
JR倉敷駅に、【祝がんばれ倉敷工業】の横断幕が掲げられた。

つづく
随時掲載

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参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

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小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 16

第85回全国高校野球選手権岡山大会を制した倉敷工7年ぶり9回めの甲子園出場。

決勝戦が終わった時の事。倉敷高校の選手が、倉工ベンチに、千羽鶴を持って来た。「これを、甲子園に持って行って下さい。甲子園でも頑張ってな。」
そう言われた主将の須田は、「ありがとう。甲子園でも頑張るから。ありがとな。」両校はお互いの、健闘を称えあったのだった。
倉敷マスカット球場の外では、家族や仲間たちが、喜びを分かち合った。そこに、通用門からOB藤原勝利コーチが、優勝旗を持って出て来た。すると、一斉に歓声が上がり拍手が湧き起こった。そして、記念の写真を撮り合った。和泉利典監督は、「いやあ、みんなで苦労して来ましたからね。」中山隆幸部長は、「感無量です。勝った瞬間和泉監督に抱き着いちゃって。」と話した。
午後6時ごろ、倉工ナインのバスが優勝旗と共に凱旋。
たくさんの人々が待っていた。歓声と拍手。早速、主将の須田が沖島弘光校長に優勝旗を渡した。すると、さらに大きく高い歓声と拍手。目に涙を浮かべた女性教師は、「7年前甲子園に行ったんですけど、また今回も行けると思うと喜びで嬉しいです。」
また、ある保護者は「応援して下さる皆さんのおかげです。」

その夜、後援会を立ち上げた。沖島校長が「しっかりした応援体制を組んで行きたい。」と挨拶。そして、津山工ラグビー部監督として花園に14回出場した名将芦田潤治教頭が、脇を固める。
和泉監督は、今まで苦しかった思いをかみしめた。「余韻に浸る暇はないんです。準備周到して来て、目標を持って努力し達成できた事が嬉しいです。」

その後、倉工ナインは、倉敷市営球場で強化練習を行った。
「そんなぬるい事をしていたら甲子園で勝てるか。」
和泉監督の大声がグランドに響いた。
こうした中、倉工野球部OB会には大問題が発生していた。
「OB会も崩壊していたでしょうね。」と和泉監督。
一体何があったのだろうか。

つづく
随時掲載

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参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

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小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

増田葵選手、東京五輪お疲れさまでした。

東京オリンピックは無事閉会式を迎えることができました。
母校倉工の卒業生、増田葵さんは競泳女子800メートルリレーに出場し、惜しくも決勝には進出することはできませんでしたが、力強い泳ぎを見せてくれました。
増田さんの今後の活躍を同窓生一同応援しています。

大会後の記事が読売新聞に掲載されていましたのでご紹介します。
増田 出し切った 女子800リレー9位敗退 : ニュース : 岡山 : 地域 : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

大願成就 己に勝つ野球 15

倉敷工 底力の勝利 序盤のミスを立て直す

倉敷工 002 017 000 10
倉 敷 120 200 011  7

初回、倉敷高校の先頭打者は、倉工エース陶山の甘いスライダーを見逃さず右中間に二塁打を放つ。
三進後、スクイズバントは空振りになったが、倉工捕手萩原がボールを見失ったのを見ると、倉敷高が先制のホームを踏む。倉敷高は、
2回と4回に連打やスクイズで、それぞれ2点を追加。試合のペースは、倉敷高が握っていた。それでも、すかさず反撃に出る倉敷工の勢いに少しづつ焦りを募らせていた。倉敷工の打線が火を噴いたのは6回。四球や失策で同点に。
さらに、一死満塁で打席に立ったのは捕逸で先制点を許した萩原。萩原のリクエスト
(ポパイ)が鳴り響く。しかし、この試合は、2打数ノーヒット。
「得意な真っすぐを打とう。」三球めの直球を鋭く振り抜くと、打球は遊撃手の横を抜け中前に転がった。
三塁から須田。二塁から清水が帰り、ついに逆転に成功。沸き上がる三塁側倉工大応援団。
「怪我で苦しんだあいつが打ったんだから絶対負けられない。」萩原の適時打に奮起した西野、大森、松本ら上位打線が、
4連打を浴びせ、結局この回7点を奪って試合を決めた。エース陶山は、終盤になっても球威は衰えず、粘りの投球。守備も堅守で盛り立てる。
「レッツゴー陶山ダンダダダン」三塁側は、全員総立ちでメガホンを打ち鳴らし、マウンドの陶山を見つめた。最後の打者に出した萩原のサインは、外角ストレート。陶山渾身のストレートを投げ込むと主審の右手が上がった。「ストライーク」
すると萩原が、一目散に陶山の元に走った。野手陣もベンチからもマウンドへ走り全員がもみくちゃに抱き合ったのだった。一方ベンチでは、中山隆幸部長が和泉利典監督に抱きついた。二人のコンビは抱き合った。これこそ【大願成就】三塁側は、大歓声に揺れた。涙ぐむ控え部員。声を嗄らして叫び続けた在校生。大きな笑顔の父母。応援席は、倉敷工の
7年ぶりの甲子園が決まると雨と涙でずぶぬれになった。新聞に『倉敷工猛打で夏切符』【倉工強打で頂点】『7年ぶり信じていた』【倉敷工集中打で逆転】と出た。

つづく
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小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
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増田葵選手 東京オリンピック 競泳女子800メートルリレー予選

東京オリンピック、競泳女子800メートルリレー予選第1組に増田葵選手が出場しました。
日本代表チームは、五十嵐千尋選手、白井璃緒選手、池本凪沙選手、増田葵選手の順で繋ぎ、記録7分58秒39で予選9位でした。

競泳女子800メートルの記録(NHK)

大願成就 己に勝つ野球 14

倉敷工 猛打で夏切符

第85回全国高校野球選手権岡山大会は、倉敷マスカット球場で決勝が行われ倉敷工が、倉敷高校を降し7年ぶり9回目の夏の甲子園出場を決めた。雨が降りしきる中、両チームとも点を奪い合う熱戦を展開。倉敷工は、前半リードを奪われたが、六回に死力の集中打で一挙7点を挙げ逆転し逃げ切った。

第85回全国高校野球選手権岡山大会
決勝戦
倉敷工002 017 000 10
倉 敷120 200 011 7

倉敷工が、六回一挙7点を奪い逆転した。相手守備の乱れを突き、4安打を効果的に連ね、打者12人を繰り出す猛攻。
追いすがれば、突き放される嫌な展開。加えて強い雨。
「こんなはずじゃない。まずいなあ。」倉工ナインの胸中に焦りと、マイナス思考が増幅しているように見えた。2点を追う六回の攻撃の前、危機を感じ取った和泉監督は、ナインをベンチ奥に集めた。そして「目を閉じろ」と指示。
「倉敷の選手を見てごらん。気持ちよくバットを振ってるよ。」
そして、「信じろ。最後に勝つのは絶対に、君らだ。」
指揮官の叫びにナインはプラス思考を取り戻す。凄まじい気迫で打席に入ると、相手守備が乱れ始める。2四死球と、3適失でまず同点。そして、萩原の2点適時打を口火に、4安打を叩みかけ、7点をもぎった。先発全員安打は、公式戦初めて。
シード校が次々と敗れた『戦国岡山大会』純白とエンジ色の伝統のユニホームは最後まで生き残った。

7年の時を超え、古豪が夢舞台に立つ。そこには、3塁側倉工大応援団の姿があった。「レッツゴー陶山ダンダダダン」「レッツゴー陶山ダンダダダン」大応援団は、全員総立ちでエースを見つめた。倉工が、いや倉敷が涙した平成15年の夏。
そして抱き合った。そして涙して笑った。当HPは、この熱戦を次の【大願成就15号】でも再度振り返ってみる事にしたい。

つづく
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小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
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大願成就 己に勝つ野球 13

2003年(平成15年)7月29日
第85回全国高校野球選手権岡山大会決勝。
決勝の朝。倉工ナインは、早くから倉工第2グランドに集合していた。また、多くの報道陣も集まっていた。
一連の練習の後、主将の須田洋光がナインを集合させた。「今日は、決勝だけどいつも通りで行こう。自分に勝つという事だけ考えて。あとは、挑戦者。自分ができる事をしっかりやって、笑顔でしっかり楽しく、野球をやろう。」と訴えた。バックネット裏には、OBで甲子園97イニングを、一人で投げ抜いた小山稔氏も駆けつけていた。
小山氏は、RSK山陽放送での、高校野球解説者として活躍していた。「決勝に上がってくるチームは、それなりに力があるから。先取点を取った方が有利ですね。」
一方、部室では、マネージャーの一宮周平が、氷をたくさん入れたクーラーボックスに栄養剤を詰めていた。
一宮は、「とにかくチームがベストの状態にして行きたいです。」と裏方に徹していた。
和泉利典監督は、バッティングマシンを低めに調整した。
ボールが、ホームベースに当たるようにセット。決勝の相手倉敷高校尾崎投手の低めへのボールを見極めるためであろう。
各打者は、打席に立って、バットを振らず、ボールを最後まで見る訓練をしたのだった。
元、倉敷工監督の小沢馨氏は次の様に述べた。
「投手はいい。守りもしっかりしている。特に、左打者が非常に勝負強い選手が揃っている。投攻守が揃っているチームは、そう作れません。いいチームを作っています。」
10時30分。倉工ナインを乗せたバスは、倉敷マスカット球場へ向かったのだった。7年ぶり9度めの甲子園を目指して。

つづく
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参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

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小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 12

準決勝 倉敷工VS関西

関西は、チーム打率4割を超え、一試合平均9点を奪う強打のチーム。この関西打線の前に倉敷工エース陶山大介が仁王立ちした。完全に関西打線を抑え込んだ。
腰に不安のある陶山は、試合開始30分前に腰痛を和らげる飲み薬2錠を飲み、患部に高価な湿布薬を貼り、さらに、座薬を入れてマウンドに上がった。
和泉利典監督は、「物事に動じず、淡々と自分のペースを守る。イメージトレーニングは、必要ないぐらいプラス思考。」と抜群のマウンド度胸を褒めた。

85回全国高校野球選手権岡山大会
準決勝
倉敷工 100 010 100 3
関 西 000 000 000 0

倉敷工エース陶山が、関西の強力打線を完封した。
制球がさえ、球速140を超えるストレートと、右打者の外角へのスライダーを生かして、9三振を奪い、被安打2に押さえた。
一回、西野の中前打のあと、牽制悪送球や3四死球を得て
押し出しで先制。
五回は、3安打で1点。
七回は、先頭打者の
陶山が、右翼線2塁打。
一番打者、当たっている西野に
倉工ベンチは、送りバントを命じる。
一死3塁。二番大森へ出したサインは、セーフティースクイズ。大森が、一塁線に見事なスクイズを決め、追加点を奪った。試合巧者らしさを見せる倉敷工。

陶山は、「何も考えてなくて、思いっきり投げたのが良かった。外のスライダーが良かったです。」と話した。
この試合を審判長がバックネット裏で見ていた。試合終了後、中山隆幸部長は、本部室に挨拶と明日の決勝の確認に行った。
そこへ、審判長が本部室に戻って来た。
開口一番。「わしは、びっくりした。こんな圧巻なピッチングは初めてじゃ。」
こうして倉敷工は、決勝戦に進出したのだった。
狙うは、7年ぶり9度目の甲子園。二人のコンビは、ぐっと握り拳に力を入れた

つづく
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山陽新聞

毎日新聞
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小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」