青春ヒーロー プレイバック 10

小山 稔物語

「 昭和43年のチームが、史上最強のチームです。」と小山は、胸を張る。
俊足巧打の 土倉。 バントの名手 山口。 強肩捕手で主将の 藤川。 不動の4で長打の主砲 武。 エース小山は、右打席でも左打席でも打てるスイッチヒッター。
広角打法の 中村。 意外性の男 富永。 2年生のレギュラー、チーム一の張り切り男岡本。 渋い打撃が魅力の 亀山。 さらに、野球を愛する心は誰にも負けず、また野球への探求心が旺盛な 角野。この角野が、3塁コーチャーズボックスに立ち、ランナーをホームへと導くのだ。そして、倉工のエースナンバー 1 をつけた 小山 の力投。
甲子園への視界は良好。 ライバルは、エースで4番の 奥江秀幸選手(大洋ホエールズ入団)のいる、岡山東商。まさに、闘魂と百戦錬磨が知略を巡らせ、執念を燃やす竜虎の激突になるのは、必至の予選である。こうして、史上最強チームの夏が始まった。

50回全国高校野球選手権大会 岡山県大会
50回大会記念大会として、全国都道府県の代表校に、沖縄の代表を加えて48校が甲子園切符をつかむのだ。

2回戦   倉敷工 6 - 0 岡山日大

3回戦   倉敷工 4 - 1 理大附 

準々決勝  倉敷工 10 - 6 笠岡商

準決勝  倉敷工 2 - 0 倉敷商

決勝は、ライバル 岡山東商。岡山県の二大都市、岡山市の代表 岡山東商。
倉敷市の代表 倉敷工業。両校の戦いは、早慶戦の様な特別なものがあるのだ。
岡山県高校野球黄金時代の絶頂期である。
先攻を取った倉工は、一回表 4番 武 が2点タイムリーで先取点を上げる。勢いに乗る倉工は、五回にも 武 の2点タイムリーで4点。主砲 武 が4打点の大活躍で快勝。
投げては、エース小山が完封。倉敷は、市民の大歓声に包まれたのである。
そして、倉工ナインは小沢監督を胴上げして、喜びを爆発させたのだ。
甲子園2年連続6回め、前人未到の 4季連続甲子園出場を果たしたのである。

決勝  倉敷工  4 - 0  岡山東商

母に誓った、プロ野球選手。少年の日の夢。一抹の不安を抱えながら肩の痛みをこらえて投げ続ける 小山。深紅の大優勝旗をつかみに、史上最強チームが聖地へと向かった。

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4季連続甲子園出場を決め、小沢監督を胴上げする倉工ナイン。
写真の、一番右にいるのが、 4番 武 渉選手

 

つづく  随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参 考
瀬戸内海放送 番組 「夢 フィールド」
山陽新聞社      「 灼熱の記憶」

協 力
角野 充氏
小山 稔氏

 

正門から母校を見て

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正門付近から、正面玄関を見ますと思わず目に飛び込んで来る大きな物があります。

それは、今年全国大会に出場した各部の懸垂幕であります。いったい何本あるのかと数えてみました。すると、国民体育大会が2本。全国高校総合体育大会が5本。全日本卓球選手権大会など、7本もあり合計14本の懸垂幕が掲げられていました。

その懸垂幕を目にした時、「 やっとるな!」 「 がんばっとるな!」 と感じずにはいられません。近年、県立高校にとって、また文武両道を目指す倉工にとって全国大会の舞台に立つ事は非常に厳しいものがあると思います。その難関を乗り越えて晴れの全国大会に出場した選手の皆さん、おめでとうございました。また、惜しくも全国大会に出場できなかった選手の皆さんも、その悔しさを持って卒業できる事はとてもいい事です。どうか、その悔しさを忘れずに、また悔しさをバネに代えて各方面で頑張って下さい。それにしても、懸垂幕に登場した各部をはじめ、毎日毎日選手の指導に汗を流されている顧問、監督さんには、本当に頭の下がる思いです。

今後も、おいまつ会は懸垂幕にも注目して行きます。

がんばれ 倉工
 目指せ文武両道
    倉敷工業

祝 国民体育大会出場
カヌー部
水泳部

祝 全国高校総合体育大会出場
陸上競技部
ウェートリフティング部
   カヌー部
卓球部
水泳部

祝 全国高等学校ボーリング大会出場
ボーリング

祝 高等学校選手権大会
ボーリング

祝 高体連加盟全国高等学校選抜大会
ボーリング

祝 全日本卓球選手権大会
卓球部

祝 全国高等学校選抜大会
卓球部

祝 全国高等学校7人制ラグビー大会
ラグビー部

祝 全国高等学校弓道選抜大会
弓道部

青春ヒーロー プレイバック 9

小山 稔物語 

昭和43年の倉敷市。工業都市として、みぞうの発展を遂げ また 観光都市としても全国にその名を知られる。水島コンビナートでは連日フル操業が続く。
こうした中、倉敷のシンボルとして、あるいはアイドルとしてその存在価値を高めて行く倉工野球部。 「今度こそ、全国制覇を。」 と、倉敷市民は熱い期待を寄せるのだった。
特に、エース小山に寄せる熱い期待と信頼は絶大なものであったに違いない。
「倉工のファンは、熱狂的で特別なファンなんです。」 と小山。「練習を終えて帰宅していると ( 小山、今帰っているんか。気をつけて帰れよ。) とかですね、( おおい、小山がんばれよ。)とね。」 「毎日、たくさんの人が声をかけてくれて、本当に嬉しかったです。」と、小山は言う。小山は、今現在も感謝の心を持ち続けている。
全国制覇に向けて走る、倉工ナイン。当然、練習の厳しさも一日一日と増して行く。

グランドの周囲には、のどかな田園地帯が広がっていた。田んぼからは、カエルの鳴き声が
聞こえる。ところが、その田んぼの中にボールが飛び込んで行く事があった。すると部員たちは先を争う様に田んぼの中のボールを拾いに行くのだった。当時は 「水をのんでは、いけない。」と言われていた時代。ところが、部員たちは何と、田んぼの水を飲んでいたのである。
小山もその一人。 「田んぼの中に、ボウフラがいましてね。そのボウフラを手でかき分けて手で田んぼの水をすくって飲みました。もしかしたら、一匹や二匹のボウフラを飲んだかも知れませんね。」と、苦笑いする小山。田んぼで農作業をしていた、おばさんがその光景を見て「 まあ、可哀想に。倉工の野球部は田んぼの水を飲んでいる。 」と、周囲に漏らしていたのも事実である。その、おばさんが田んぼに農作業に出かける時、麦茶を用意してボールを拾いに来た部員に、そっと飲ませていた事もあるそうである。そして、 「倉工、頑張って。」と、一声。 倉敷に満ち溢れるエネルギーと、歩を合わせる快進撃を、いや 全国制覇を倉敷市民は期待していた。

つづく     随時掲載

お願い   本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参 考   瀬戸内海放送 「夢 フィールド」

       山陽新聞社   「灼熱の記憶」

協 力   小山 稔氏