捲土重来 平成8年の夏 22

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会

決勝  倉敷工 VS 岡山城東

球史に残る激闘となった 岡山城東 との決勝。序盤の失点にも、倉工ベンチは、エースを続投させる。倉工ナインは、エースを励まし、エースは終盤から、本領を発揮する。そして、勝負の延長12回を、迎えた。

倉敷工 100 030 200 002
城 東  011 103 000 00

延長12回表、 倉敷工 の攻撃。この回の先頭打者 西川 が、執念のレフト前で、出塁する。無死一塁。ここで当たっている 3番坪井 が、打席に立つ。しかし、指揮官は送りバントを指示。 坪井 送りバント成功。
一死二塁。 4番福原 が、打席に立つ。3塁側倉工応援スタンドは、全員総立ちで、「 福原よ、打ってくれ 」の祈り。 福原 は、2年生時からのレギュラー。元々、打撃には定評があったが、下半身の使い方に難があった。
そこを、 中山 隆幸部長、 和泉 利典監督 が、軌道修正。本人の努力も、合い重なって、今では 倉工4番スラッガー に成長した。スラッガーは、狙っていた。延長に入って、マウンドに戻っていた 岡山城東 のエース坂本 の、外角スライダーを。その、外角スライダーをライト線に運ぶ。打球は早く、ライトが追い付けず、打球の後を追う格好となった。その間に、 西川がホームイン。 西川 両手を握り締め、両脇を締めて身体を、小刻みに震わせての ガッツポーズ。打った 福原 は、二塁へ。一死二塁。続く5番藤原 は、レフト前ヒット。 福原 は、三塁で止まり、一死一三塁。 6番 高本 も、ライト前ヒット。 福原 ホームインし、この回2点めを上げる。
一死一二塁。 7番強肩巧打の白神 もライト前ヒット。 藤原 果敢にホームに突入するも、好返球で、タッチアウト。二死一二塁。 8番渡辺 の打球は、浅い左中間へ。 岡山城東 の センター永井 が、ダイビングキャッチ。
これで、三死となる。延長12回表が、終わって 倉敷工8点 岡山城東6点。
甲子園が、見えている。延長12回裏、守備につく 倉工ナイン に、3塁側倉工応援スタンドから、大きな拍手が、送られた。ベンチでは、 中山 隆幸部長 和泉 利典監督 が、噴き出る大汗を、タオルで拭った。

つづく 随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協力
小山  稔 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸 氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正 氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 21

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会
決勝  倉敷工  VS  岡山城東
【 どちらも、2チームとも 甲子園 に出場させてやりたいですね。 】
この言葉は、 元 倉敷工監督 小沢 馨 氏( 故人 )が県大会決勝の解説で、良く好んで使っていた言葉である。「 甲子園の夢の大きさ。 」「 賭けるものの大きさ 」を、知り尽くしているだけあってその言葉には、重みを感じさせる。
小沢氏 は、甲子園でも解説を行った。試合は、延長戦に突入。炎の闘志と団結力で、選抜甲子園4強の、 岡山城東 に挑む 倉敷工。その闘志と団結力は、全国屈指の、エースを欠きながらも、勝ち進んだ 昭和36年夏( 当 HP 昭和36年夏のドラマ を参照して下さい )を、呼び起こす。

倉敷工  100 030 200 00
城 東   011 103 000 00

試合は、 6対6 のまま、延長戦に突入。 倉工エース中原 は、序盤にこそ、失点したが、ここに来て 制球力 球威 が、さらに良くなって来ている。延長戦に入っても エース は本領を発揮しているのだ。 中原 を支える物。それは、3塁側倉工大応援団。スタンドからは、『 中原、中原がんばれよ 中原 』あるいは、『 頼むぞ 中原 』の大声援。倉工大応援団が、 中原 を支える。しかし 真に中原 を支えるものが、もう一つある。真に 中原 を支える物。それは、背中の 倉工エースナンバー 1を付けたユニホームにある。このエースナンバー 1 が、 中原 を支えているのだ。 倉工のエース と言うものは、序盤にどんなに打たれても、最後までマウンドに立ち続けるのが、 真のエース。あるいは、どんなに、 肩 や 腕が痛たかろうとも、投げ続けるのが、 倉工エース の宿命。昭和43年夏。
腕も折れよとばかりに、甲子園97イニングを投げ抜いた 黄金の左腕小山 稔投手( 当 HP 青春ヒーロー を参照して下さい )
また、昭和50年選抜甲子園で、40度の高熱を発し、フラフラになりながらもマウンドを死守した 兼光 保明投手( 当 HP 風雲の奇跡 涙の甲子園 を参照して下さい )そこには、 倉工歴代エース の継投がある。
歴代エースは、 倉工エース の 宿命 を背負い投げ抜き、そして倉工エースの 誇り と 喜び がある。試合は、 延長12回 に入った。
この回の先頭打者は、 2番西川 からだった。

つづく  随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参 考
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協 力
小山 稔 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

 

捲土重来 平成8年の夏 20

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会

決勝  倉敷工 VS 岡山城東

六回が終わって、 倉敷工4点 岡山城東6点。岡山城東が2点をリード。
倉敷マスカット球場は、内野スタンドほぼ満員。
両校、凄まじい応援合戦が、繰り広げられている。
かつて、昭和30年40年代、倉敷工小沢監督、岡山東商向井監督の 両雄 が戦った 岡山県球場。
バックネットを境に両校の 応援合戦 は、神宮球場の 早慶戦を彷彿させた。
岡山県高校野球黄金時代だった。
試合は、序盤の失点にも、倉工ベンチはエースを続投させる。ナインは、エースを励まし続ける。
迎えた、七回倉敷工の攻撃。
ここで、倉敷工は同点に追いつく。
その原動力は練習をして来た成果を発揮できた事にある。

倉敷工  100 030 2
城 東   011 103 0

七回表、倉敷工の攻撃。
この回先頭の 2番西川 は、セーフティーバントを、試みるも、城東エース坂本の好フィールディングに会い、アウト。一死。
3番坪井 は、外角を右に打ち返した。
球は、ライトライン上に落ち、坪井 は2塁へ。打ち抜いた一撃だった。一死2塁。
4番福原 は、フルカウントから、フォワボールを選ぶ。
ここで、右打ちのうまい 5番藤原 が打席に立つ。 藤原 の打球は、右中間を真っ二つに破った。
坪井福原 が帰り、 6対6 の同点とする。
打った 藤原 は、三塁打で、一死3塁。
ここで 城東ベンチは、投手交代。
6番高本 の当たりはショートゴロ。 藤原 ホームに突入するも、タッチアウト。二死1塁。
7番白神 は、内野ゴロで三死となる。
これまで 倉敷工ヒット10本 岡山城東9本。
大いに盛り上がる、倉工応援スタンド。
中山隆幸部長、和泉利典監督。このコンビは、早くから、 打倒岡山城東 を目指していた。
打撃練習では、 エース坂本 を想定し センター返し を徹底。
外角の球は、右打者なら、右( ライト方面 )へ打ち返す事。
この徹底した指導が、七回坪井 藤原 に練習の成果が出たのだった。
勝つ事の 秘訣 は、「 一つの事を、徹底する 」にある。
燃える 【 夢 】を賭けて、 倉工ナイン は、戦い続ける。

つづく 随時掲載

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本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参 考
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協 力
小山 稔  氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」