春風爽快 キセキの春 16

2009年(平成21年)1月23日
この日は、待ちに待った春の便りが届く日である。校内は、朝から慌ただしさを増した。大勢の報道陣が来校する事が、予想されているからである。
特に校長室。「校長室の、トロフィー等を入れているショーケースはそのままでしたが、机や椅子などは、全部外に出しましてね。約50人の報道陣を迎え入れるようにしたんです。」こう語るのは、倉敷工監督中山隆幸。一方、倉工第2グランドでは、午後3時ごろからぞくぞくと保護者野球部OB等が集まり始めた。野球部OB会では、三宅会長、岡田副会長、そして藤原、永山の前コーチ等そうそうたる顏ぶれが見える。
3時40分、私、当HPの隣にいた人が、「今、選考委員会から電話がかかってきて、校長が対応しているそうです。」と周囲に伝えた。
3時52分。第2グランドの向こうに背広姿が見えた。
その背広姿は、真っすぐに、そして足早やにこちらに歩いて来ている。
福田憲治校長だ。福田校長は、マウンド近くにいた中山を見つけると、何かヒソヒソ話をした。そして中山が、『集合』と、大きな声をグランド中に響き渡らした。
選手たちは、福田校長の前に円陣を作った。
「吉報を、報告したい。代表に選ばれました。チーム一丸の粘りの野球を甲子園でも見せて下さい。」と、選抜出場を報告。
すると、選手たちは、「よっしゃー」「やったー」と。
そして、主将頼宏樹の「甲子園に行くぞ」の掛け声で帽子を投げ上げ喜びを、爆発させたのだった。続いて、中山を、胴上げ。「わっしょい、ワッショイ、わっしょい」そして、駆け付けた保護者や野球部OBら約100人の祝福を受ける中、「よっしゃー」と声を上げたり、お互いに抱き合ったりして感激を分かち合ったのだった。
昨年3月まで20年間倉敷工監督を務め夏2回の甲子園(甲子園で、7試合を戦う)に、導いた総監督和泉利典も中山に次いで胴上げされ「ピンチの時もプラス思考ができるのが、チームの強み」と、目を細めた。

報道陣に囲まれた中山。「感無量。先輩たちの苦労が頭に浮かぶ。胸が熱くなった。倉工の現役時代甲子園に行く事ができず悔しくて悔しくて。指導者になって、甲子園に出る事が夢だった。」と感極まった様子。春夏通算の甲子園勝利数は、24勝で県内トップ。古豪の復活に早くも「憧れの甲子園で1勝を」と地元の夢は膨らんだ。
『夢を夢のままで終わらせない』
誰もが、夢と思い半ば諦めていた甲子園への道。それを実現させ、先に繋げる力。そこにあるのは、未来に目を向ける姿勢だ。自分たちの、可能性を信じ夢の実現に挑んだ倉工ナイン。その熱いまなざしが見据える先に、道はつづく。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

祝 日本高野連表彰「諦めない野球」

新型コロナウイルスの影響で、中止となった全国高校野球選手権岡山大会。

その代替大会、夏季岡山県高校野球大会の組み合わせ抽選会に合わせ、日本高野連の表彰伝達があり、前倉敷工監督の中山隆幸氏に「育成功労賞」が贈られた。

東岡山工、笠岡工、倉敷工、そして現在の岡山工の4校で野球部の指導者として35年。長年、高校野球の発展に尽力した指導者に贈られるのが、この『育成功労賞』である。

ウエイトトレーニングやメンタルトレーニングを先駆的に採り入れた一方、理想とするのは、『最後まで諦めない野球』である。『ええぞ』『振り切れよ』部員に熱く、盛んに声をかける。消極的なプレーには、雷を落とすが、思い切りの良い、ひたむきなプレーは、とことん褒める。倉工在学時、理不尽なしきたりもあった。入学時80人いた同期の部員は、最後には、14人に。【指導者になり一所懸命の頑張りを、認めよう。】倉工在学時、指導者になる事を誓った。

東岡山工から、1984年に笠岡工に赴任。笠岡工は、全く実績のないチーム。コールド負けも、珍しくなかった。中山氏は、他校と同じ練習をしては勝てないと、ウエイトトレーニングを導入。手作りの、器械だった。当時としては、まだ珍しかった。すると、スイングスピードが早まり、遠投も伸びた。そして、6年目倉敷工を破って、県大会ベスト8入りを果たす。手応えを感じた。そして、1994年(平成6年)母校倉敷工へ。母校で、甲子園の土を3度踏んだ。今も語り継がれるのが、倉敷工を34年ぶりに選抜に導いた2009年春。

「当HP(春風爽快キセキの春)を、参照して下さい。」

「倉工が、甲子園に、出場したチームの中では、一番弱いチームです。」と、中山氏。モットーである『プレーは大胆に』と『フルスイング』で、力を伸ばし、【諦めない野球】で、中国地区大会を勝ち上がった。金光大阪との開幕試合。「緊張感を力に替えろ」と、ナインの背中を押し続けた。4度もリードされながらも、追いつき、延長12回サヨナラの11対10で、ついに勝利をつかんだ。サヨナラ打を打った選手は、入学時チームの中で一番線が細かった。


「まだ、できる。」と、声をかけ続けた結果、精神的なもろさを克服。ウエイトトレーニングで鍛えた筋力を生かし、勝負強い選手に成長。勝負を決めたフルスイングに彼の成長を感じて、胸が詰まったという。【勝ち負けも大事だが、人間育成こそが野球の、目的。】と、中山隆幸氏。最後の夏を迎える選手に、そう伝えたい。

(6月29日、朝日新聞の中の記事を参考にして、一部を活用しました。)