春風爽快 キセキの春 23

「緊張感を、力に替えろ」
中山監督のゲキが、飛んだ。
第81回選抜高校野球大会。開幕試合。

金光大阪 210 120 003 001 10
倉敷工  100 301 013 002 11

倉敷工オーダー
捕  頼
中  井上
遊  三村
二  三木
一  日下
三  内山
投  山崎
投  早藤
右  山形
H右 内田
左  岡田
代走 池田
左  山本

4回裏。3点差を追う倉工は、3番三村が2死二三塁から左越えに3ランを放ち、4対4の同点に追いつく。積極果敢な攻めと粘り強い守りで、先行する金光大阪に食らいつく倉工。「諦めるな。」「どんな事があっても諦めるな。」中山監督の檄が聞こえて来る様な熱戦が続く。
6対6で迎えた9回表。金光大阪は、3本のヒットと、悪送球を絡め決定的ともいえる3点を奪い、倉工を突き放す。
試合巧者の金光大阪にしてみれば3点は大きい。
だが、倉工は諦めない。
9回裏の倉工。四球出塁の日下が、果敢な盗塁を決めると、内山、早藤、山形の下位打線が3連続タイムリー。土壇場で、3点を奪い9対9の同点。
まだ、1死でランナー山形が三塁に残る。
打者山本の場面。倉工ベンチは、スクイズで勝負に出るもホームのクロスプレーで主審の「微妙なアウト判定」があり延長へ。
延長12回、再び試合が動く。
この回、1点を奪われた倉工は、相手エラーと、2番井上の絶妙のプッシュバント。
3番三村のセンター前ヒットで1死満塁。
ここで、ヒットのなかった4番三木が、気持ちで一二塁間を破ったタイムリーで同点。
5番日下は、外角高めのストレートを完璧に捕らえライトへヒットを放ち劇的な、サヨナラ勝ちを収めた。
力を出し切って戦った両校。
歓喜に湧く、倉工応援アルプススタンド。地鳴りのような歓声が響き渡った。
歓喜のあまり涙を流す女子生徒。これは、34年ぶりの執念か。
そして、選抜34年ぶりに、肩を組んで校歌を歌ったのだった。


けがから復帰し、懸命のプレーを見せる岡田選手


延長12回裏倉敷工2死一、三塁、日下が右前へサヨナラ打を放つ


劇的なサヨナラ勝ちをおさめ。春34年ぶりの校歌を大合唱する倉敷工応援席


開幕試合を逆転サヨナラで制し、大喜びで応援席に向かう倉敷工ナイン

 

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

 

令和2年度秋季岡山県高等学校野球大会 準々決勝

準々決勝の相手は、複数のプロ球団が注目する、今大会屈指の好投手を擁する玉野商工。倉工は、簡単には打てないことが予想されていました。
しかし、少ないチャンスをものにした倉工が、2対0で勝ち準決勝に進出。
あと一勝で中国地区大会出場となりました。

倉敷工  000 010 001 2
玉野商工 000 000 000 0

投手戦が予想されていた。先取点を、取った方が勝ちという様な試合。相手投手の立ち上がりを攻めたい倉工。
5回、9番城内が、四球で出塁。そして、盗塁を決める。
1番岡田が、レフト前ポテンヒットで先取点。
9回は6番難波レフト前ヒット。7番多々野のセンター前ヒットで、2点目。先発水田は、立ち上がりこそ変化球の制球力に苦しんだが、徐々に調子を上げバックのダブルプレイにも助けられての完封勝利。相手投手から、先取点を取れたことが大きい。


応援 お願いします。


攻守交代。さあ行こう、さあ行こう。


守備に付く、倉工ナイン。

 

春風爽快 キセキの春 21

「甲子園は懐かしく野球の自分のふるさと。そして甲子園という言葉には、常に新しさを感じる。」
この言葉は選抜優勝投手 早稲田実業 王貞治氏の言葉である。どんな時でも、勇気と希望をくれるところ。それが甲子園。

(2009年)3月21日。真っ青の、甲子園は開会式を迎えていた。
宮野部長、中山監督、そして神土コーチは、三塁側ベンチに早くから入っていた。
平成の大改修を行い、生まれ変わった阪神甲子園球場。
どこが、変わったのか。
1、銀傘が40メートルずつ広げられ、高さは5メートル高くなった。
2、250メートルのライナービジョンという電光掲示板が取り付けられた。
3、アルプス席は、全体で4メートル前に出た。
4、照明スタンドを球場の外に設置して、9メートル高くなり、明るさも増した。
こうした甲子園球場を、4万3,000人の大観衆が見守っていた。
一部、新聞報道では、約50,000人という報道さえある。

「ベンチから倉工応援スタンドを見たんですが、とにかくものすごい人で空席は全くなくて、一番高い所では、立って見ている人もいて。」と中山監督。
一方、試合前のシートノックをする神土コーチは「よう、ここまで来れたなあっていう感激が一番ですね。それにベンチから開会式が見られるんですから。」
三塁側、倉工応援アルプススタンドには、【必勝岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部。】さらには、【燃やせ闘魂 倉工球児】の横断幕が見える。
こうして迎えた開会式だった。ところが、直前三塁側ベンチ前に大勢の女子高校生が入場して来た。西宮市高等学校吹奏楽連盟と神戸山手女子高校である。
「せっかく、ベンチから見えると思っていたのに。女子生徒で、全く見えないようになってしまいましてね。そりゃ、スタンドから見る方がよっぽどいいですよ。」と神土コーチ。
真っ青な大空。紺碧の空。午前9時大観衆が見守る甲子園球場にファンファーレが鳴り響いた。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

春風爽快 キセキの春 20

第81回選抜高校野球大会の組み合わせ抽選会が、毎日新聞大阪本社で、開かれた。34年ぶり10回目の出場となる倉敷工は、開会式直後の開幕試合で、金光大阪と対戦する事が決まった。

抽選会には、宮野義治部長、中山隆幸監督、主将の頼宏樹が、出席。3人は、午前8時すぎに、会場入りした。

頼が、緊張した表情で、26番目に抽選に臨むと、引いた番号札は、大会初日第一試合を示す「2」だった。

くしくも、前回出場した34年前に続いての開幕試合。この時は中京(現中京大中京)に、16対15という激戦の末、勝っている。【当、HP。カテゴリーの中風雲の奇跡涙の甲子園を参照して下さい】

「運命を、感じる。」と、中山監督は感慨深げ。「開会式直後だけに、いかに、早く気持ちを、切り替えられるかが、鍵になる。」と、話した。一方、倉敷に、残った、他のナインは、和泉利典総監督の、指揮のもと、雨天のため、校内で練習していた。

筋トレやランニングの、最中宮野部長から和泉総監督へ組み合わせの、知らせが入った。そして、和泉総監督が、全員を集め、組み合わせを、知らせたのだった。

昨秋の、中国地区大会や、明治神宮野球大会でも、開幕試合を、経験しており、日程を聞いてもナインは平然。照準が決まった事で、士気は、一層高まった様子。

7年ぶり2回目出場の金光大阪。金光大阪は、近畿地区大会準決勝で、優勝した天理に惜敗したが、初戦で智弁和歌山、準々決勝で大阪桐蔭をともに接戦で下しセンバツ出場を決めた強豪チーム。

和泉総監督は、「改装された、甲子園での第一試合。しかも、超満員の中での試合は、楽しみ。」と。

平成の大改修を終えた『新生甲子園』に、こけら落としとなる倉敷工(三塁側)対金光大阪(一塁側)まるで「野球の神様」に引き付けられる様に名門クラスの復活が目を引く。倉敷工『新生甲子園』に築くか新たな伝統。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

 

倉工創立80周年記念おいまつ会総会について

1 日時  令和元年5月19日(日)

13:30 ~               総会受付(おいまつ会館)
14:00 ~ 15:30          総会
16:00 ~               懇親会受付(ステーションホテル)
16:30 ~ 18:30          懇親会

2 総会次第             司会(野瀬副事務局長)

(1)開式のことば            木村副会長
(2)物故者に対して黙祷
(3)会長あいさつ            日下会長
(4)名誉会長あいさつ          安藤名誉会長
(5)祝辞                内田前校長
(6)表彰                授与(日下会長)
(7)議事

議長選出          三好副会長

1号議案  会務報告(5年分)    岡本事務局長
2号議案  会計報告(5年分)    森会計委員
3号議案  監査報告      古屋野監査委員
4号議案  役員改選         高林役員改選委員会
5号議案  令和元年度事業計画案 日下会長
6号議案  令和元年度予算案     高林企画委員長
7号議案  その他
退任者代表挨拶  三宅監査委員・古屋野監査委員
新任者代表挨拶  木村企画委員

議長解任

 (8)校歌斉唱
(9)閉会のことば          生田副会長

3 懇親会               司会(岡本事務局長)

(1)会長挨拶            日下会長
(2)乾杯              倉敷市立工業高等学校 越宗 哲生 校長
(3)歓談・支部活動報告
(4)散会挨拶               秋岡副会長

捲土重来 平成8年の夏 19

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会  決勝 倉敷工 VS 岡山城東

全国屈指のエースを、練習中の負傷により、欠きながらも炎の闘志と

団結力で、予選を勝ち進んだ 昭和36年夏の倉敷工。

【 当HP 昭和36年のドラマ を参照して下さい 】

あの夏を、呼び起こす様な、一丸で勝利を目指す 倉敷工。

平成8年の夏。球史に残る激闘の 岡山城東 との決勝。序盤の

失点にも、エースを続投させる 倉工ベンチ。ナインは、エースを励まし

続ける。そのエースに、六回県予選までに、チーム打率4割3分の

岡山城東 の強力打線が、襲いかかった。

倉敷工 100 030

城 東  011 103

六回裏、 岡山城東 は、二死1,2塁で、打席には、3番投手の

坂本。 坂本 の打球は、 レフト藤原 の頭上を越えた。二人の

ランナーが帰り、 5対4 と、岡山城東 が逆転。続く4番は、2年生

ながら、4番打者に座る 永井 が左打席に入った。 永井 は、

エース中原の、第一球めの内角を、うまく腕をたたんで、ライト前に

運び、 坂本 がホームへ。 6対4 と、 岡山城東 が、さらに

大きく、 倉敷工 を突き放した。今現在、倉敷工業高校硬式

野球部コーチの 西川剛正 は、次の様に語る。『 とにかく、絶対

に、負けたくない。という気持ちが、常にありました。もう、それしか

なかったです。全員が、絶対に負けたくない。と、思っていましたね。』

球史に残る 激闘 となった、 岡山城東 との決勝。まさに両校

共に、血を吐く死闘を展開して行く。3塁側倉工応援スタンドでは

即席の自主応援団や、ソフトテニス部をはじめ、各部が練習を止め

応援に駆け付けている。全校を上げて、 古豪復活 を目指す

倉敷工。迎えた七回表、 倉敷工 の攻撃。倉工応援スタンド

からの、大応援が、 倉工ナイン の背中を押す。

つづく  随時掲載

 

お願い  本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参 考  山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協 力  小山 稔  氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」

中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」

西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

11月18日(水)昭和29年電気科卒 コスモス会

倉工在学時に3年間クラス替えがなく、また、担任の先生も替わらなかったことから非常にクラスの結束が強く、卒業を機に、同窓会を発足し電気科の校舎の窓の外にコスモスが群生していたことからコスモス会の名前が付いたということです。
当時、倉工の周りは田畑があり、倉工から電電公社(NTT)ぐらいまでは、ほとんど家がなく、あぜ道を通り倉工へ通ったことを話されていました。現在は、当時の様子と全く異なり、初めは全く別のところ来た感じがすると話されていましたが、時間が経つにつれ、当時の様子が目に浮かんできて色々な思いに耽っていました。
電気科棟を見学され、現在の生徒はこんなにすばらしい施設で勉強ができて幸せだと話されていました。校長室で当時の三代 神崎校長先生の写真を懐かしく見られていました。当時を思い出しながら倉工の帽子を被って記念写真を撮影しました。遠くは、大分から車を運転して駆けつける強者のOBには、びっくりしました。

○正門にて記念撮影

○昭和29年卒電気科のみなさん(校長室にて)

○電気科実習室を見学

○おいまつ会館より校庭を眺める

11月15日(土)三井倉工会

三井造船での倉工会で今年度役員改選があり、OB会員への新役員の紹介も兼ねて懇親会を開きました。
そのときのイベントで倉工に来校し、各科の施設見学会を行いました。昔の様子を懐かしむように和気藹々と話しながら見学されていました。
懇親会では、年齢の垣根のない会の様子を垣間見ることができ、終始和やかで和気藹々とした楽しい懇親会でした。
OBの方で新潟や大分からも参加されとおり、参加された方皆さんが口々に倉工卒というだけで大事にしていただき、仕事においても困っていたら手を貸していただくなどスムーズに進めることができたこと、また色々な面で陰となり日向となり助けていただいとことなど話されていました。倉工会の絆を感じることができました。

当日は、母校倉工を訪れ実習室などを見学しました。


挨拶をする日下会長と本部役員


三井造船支部のみなさん(おいまつ会事務局にて)

○実習室の見学