祝 第87回都市対抗野球大会出場

真夏の祭典。第87回都市対抗野球大会が、7月15日から東京ドームで開催されます。
都市対抗は、社会人野球の最高峰の大会であり、各地区予選を勝ち抜いた32チームが「黒獅子旗」を目指し熱戦が展開されます。この都市対抗に4人のおいまつ会会員が出場しますので紹介します。

  陶山 大介 投手    ( 倉敷市福山市  JFE西日本 )

  三木 太知 内野手   ( 倉敷市福山市  JFE西日本 )

  渡部 和博 外野手   ( 鹿島市      新日鉄住金鹿島 )

  井上 直也 内野手   ( 広島市      JR西日本 )

また、都市対抗と言えば、応援合戦です。特設ステージ上で、男子リーダーと女子チアーリーダーが行うパフォーマンスは、大観衆の目が、くぎづけとなります。
昭和24年、倉工が甲子園初出場した時の捕手で、甲子園で3本のホームランを打った藤沢 新六さんは、岡鉄局の4番打者として活躍。チームをベスト4にまで導きました。
「当時は、まだ昭和20年代でしたが、それでも応援合戦だけは、ものすごかったですね。」
と、感慨深く語ってくれました。
また、郷土芸能 (過去では、水島源平太鼓や茶屋町鬼太鼓)も披露されるだけに、郷土色が豊かな都市対抗でもあります。

がんばれ 倉工
先輩につづけ 倉工球児

 

******* 第87回都市対抗野球大会応援メッセージ *******

岡山県立岡山工業高等学校
中 山 隆 幸
JFE西日本スチール株式会社
陶山大介君 三木大知君 
この度の全国大会ご出場 誠におめでとうございます。さらに5年連続出場という事で、全国の常連チームの仲間入りだと思っております。
教え子として、大変誇りに思っていますし、益々の活躍を願ってやみません。
さて、陶山君に関して、今更言うまでもなく、主戦投手として長年活躍してくれております。JFE西日本スチール入社13年目ではありますが、未だ一線級で公式戦はもとより、大事な場面での起用に応えて期待通りの役割をはたしてほしいものです。
次に三木君ですが、最近やっと試合に起用されるようになり、チームに貢献できる所まできました。さらなる成長と必ずチームに貢献できる、期待に応える選手になってもらいたいと切に願っております。

JR西日本株式会社
井上直也君
この度の全国大会ご出場 誠におめでとうございます。社会人野球に復活してからの躍進は目を見張るものがあります。チームとして期待しておりますし、教え子としても、大変誇りに思っています。今後共、益々の活躍を願ってやみません。
さて、井上君に関して、俊足・好守をかわれて入社4年目になります。やっと昨年より少しずつ試合に出場する機会を与えられ、課題だった打撃や肩の強さも向上し、成長の跡が見られるようになりました。少しでもチームの貢献に絡んでもらいたい。そして、必ずチームにとってなくてはならない存在になってもらいたいです。

新日本製鐵住友金属工業株式会社鹿島製作所
渡部和博君
この度の全国大会ご出場 誠におめでとうございます。全国の常連チームとして、また教え子として、大変誇りに思っていますし、さらなる活躍を願ってやみません。
さて、渡部君に関して、JFE西日本スチールの陶山君と同級生で同チームの主力であり、打線では常に4番を努めていました。ベテランの域に達しておりますが、まだまだ情熱は衰えず、元々内野手でありましたが、一時期外野手に転向したり、オールラウンドプレイヤーとして、活躍しながら、他のチームの補強選手に選出されたり、幅広く活躍してくれております。この度も必ず活躍してくれると信じております。
私にとって、3チームから4名もの選手が都市対抗野球に出場してくれて、大変光栄に思っております。ぜひ1チームでも多く勝ち残り、決勝で対決してくれたらこれ程幸せはないと感じております。

どのチームもどの子も全力でやり遂げて下さい。期待しております。

 

昭和36年のドラマ8

延長11回表、倉工は一死満塁から松本の左越え二塁打や、白川のスクイズ等で一挙6点を上げた。日本中の誰もが、「倉敷工業の勝ち」と思ったに違いない。土倉は、「私の方から監督さんに言ってませんが、あと一回でいいんで、森脇を投げさせてほしい。と思っていました。」と。
延長11回裏、報徳沢井監督は、先頭打者の4番奥野に代えて、試合に出た事のない平塚を代打に送った。その平塚は、ボテボテの内野安打で出塁。一死後、6番藤田が死球で一塁二塁。
7番清井は、浅いライト前ヒットだったが、平塚が迷わず本塁に突入。本塁上のクロスプレーは大きくうまく回り込んで、きわどく生還。6 対 1。続く吉村のファーストゴロの間に2点め。
6 対 2。 倉工4点リード。 ランナー3塁。 しかし二死。
小沢は思った。「今まで、頑張って来たのは、全ては森脇のためなんだ。ここで使おう。」と。
こうして、エース森脇がマウンドへ。松本らナインの悲願は達成できたのだった。一方、永山は三塁へ回った。永山は「やれやれ、これで自分の役目は終わった。」と、思ったのだった。
エース森脇、2ストライク1ボールと追い込んだ。そして、渾身のストレートを投げ込んだ。
すると、主審の右手が上がりかけた。上がりかけた。土倉は、「ライトから見ていると、ストライクか、ボールかがわかるので、その一球でベンチに帰りかけていました。」と。ところが、主審の右手が下がった。「ボ ボール」 結局、この一球が、倉工にとって運命の一球になったのだった。
この運命の一球について、永山は「審判は、自信を持って、ジャッジコールをしていると思いますが捕手の槌田は (あの一球は、絶対にストライク) と、何年も何年も言い続けていました。」
森脇は、その7番高橋に四球。8番の貴田に、レフト前にタイムリーで3点め。森脇にとってやっと、投球練習が出来るようにはなっていたが、甲子園でのマウンドは、明らかに酷だったのだ。
ここで、倉工ベンチは、森脇をベンチに帰し、永山に再登板を命じたが、レフト前ヒットで満塁に。
続く、内藤は、センター前ヒットで、二人のランナーが帰り、1点差となった。打順は一巡。
平塚は、センター前へヒット。二塁走者の東は本塁に突入できず、三塁で止まるが、センターからの返球を、捕手の槌田が後逸。それを見た、東が帰って 6 対 6 の同点となった。
報徳の勢いを、倉工は誰も止められない。12回裏、報徳は、藤田がレフトへ2塁打。
清井のサードゴロの間に、三進。ここで、倉工ベンチは、2人の打者に敬遠を指示し満塁策を取った。続く、貴田は、ライトへ。わずかに土倉のグローブをかすめた。 6 対 7 の信じられない試合の結果となった。こうして、倉敷工業 対 報徳学園 の死闘は終止符を打ったのだった。この死闘から、報徳学園は「逆転の報徳」の異名をとるようになる。
やはり、甲子園には魔物が潜んでいるのだろうか。
また、この試合は 「奇跡の大逆転」 として後世に受け継がれる事になって行くのであった。
新聞には、「倉工、継投に誤算」「報徳、ねばり勝つ」「大量の、先取点むなし」「選手に謝る、小沢監督」と出た。宿舎に帰った小沢。ふすまを開けると、思わず息を飲んだ。
つづく 随時掲載 

お願い
本文に、迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
報徳学園HP 「
奇跡の大逆転」
瀬戸内海放送 番組「夢 フィールド」
ベースボールマガジン「高校野球 不滅の名勝負 3
協力
岡山県立倉敷工業高等学校 硬式野球部OB会