春の鼓動 球春到来

春の鼓動が聞こえます。球春到来ですね。

3月8日は、高校野球対外試合の、解禁日でした。全国の高校球児が、冬の

厳しいトレーニングを乗り越えて、試合ができる喜びを感じている事でしょう。

倉工も、14日  明誠学院 ( 岡山市 )と第一戦を行いました。また、23日は

倉敷市玉島の森野球場で、共生 ( 新見市 )と行いました。共生は、

倉敷工OBの森下 雄一監督

( 昭和58年3月 )と、太田 学コーチ ( 平成2年3月 )が指導しています。

こうした中、主審を努めたのが、 秋岡 義典 おいまつ会副会長。秋岡副会長

は、愛知県で高校野球の公式審判員でもあります。この日、ちょうど帰倉と

重なって、倉工のためにとマスクをかぶったのでした。きびきびとした、審判ぶりは

さすが と言ったところでしょうか。

今春は、地区予選なしで、4月の県大会に臨む倉工。

倉工スタンドを、大応援団で埋め尽くしましょう。

「 試合のスコアーは、差し控えさせていただきます。 」

この白球を追いかけろ!!

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活躍する 秋岡副会長

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がんばれ!倉工野球部!!

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がんばれ 倉工   視線の先は 甲子園 倉工野球部

 

青春ヒーロー プレイバック 15

小山 稔物語
甲子園から、宿舎まで徒歩で帰っていた。

その時、小沢監督が3塁コーチャーの角野に歩みよった。

「角野、あの時小山を3塁で止めたのは、なぜなんだ?」 と、語りかけた。

角野は 「ランナーが小山だったからです。」

すると「そうか。わかった。」と、小沢監督。

このシーンについて、角野は次の様に語ってくれた。

静岡商に、2 対 0 でリードされていて、回も終盤 ( 7回 )になった時、小山が出塁したんです。

次の中村の当たりは、ライト線2塁打コースとなって、小山が2塁ベースを踏んで、3塁まで来ますよね。中村は2塁へ行きます。

ところが、ライトがもたついたんです。

それで、小山をホームに突入させるべきか、3塁で止めるべきか。私が、迷いに迷ってしまいましてね。

でも、最終的には小山を3塁で止めたんです。それはなぜかと言うと、ランナーが投手の小山だったからなんです。

これで、無死2、3塁となりました。続く富永の当たりは、一塁手と二塁手のド真ん中の当たりでした。

しかも、低いライナーだったんです。

二塁手がダイビングで打球に飛び込んで行って、しかもショートバウンドで捕って、一塁に投げて富永はアウトになりました。

ところが、中村が三塁まで走って来て、三塁ベースで、小山と鉢合わせになったんです。

それを見た一塁手が三塁に転送して、小山がホームと三塁との間で挟まれてタッチアウトになったんです。

私は、この時ものすごい責任を感じましてね。

あの時2,3塁になった時、3塁コーチャーとして、適切ないいアドバイスをしてやれなかった事で。

あの時、いいアドバイスをしておけば、あんな事にはならなかったと思うんです。

もしかしたら、同点にあるいは、逆転勝ちして、決勝に行けたかもしれないのに。

全ては、私の責任と思っていました。

ところが、徒歩で宿舎に帰っている時に、監督さんが、「角野、なぜ小山を三塁で止めたんだ?」と聞かれ「ランナーが小山だったからです。」と答えたんです。

すると、監督さんは、「そうか、わかった」と言ってくれたんです。私は、あの時監督さんの、「そうか、わかった。」のお言葉に、本当に救われる思いをしました。と、熱く語る角野。小沢監督は、角野に大きな信頼を置いていたのである。

次に、小沢監督は、小山の所に歩みよっていった。

つづく  随時掲載

お願い  本文に迫力を持たせたく、、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参 考  瀬戸内海放送 「 夢 フィールド 」

山陽新聞社  「 灼熱の記憶 」

協 力  角野 充 氏

小山 稔 氏

青春ヒーロー プレイバック 14

小山 稔物語

 

  チャンスに打てず   惜しい小山の力投

 倉敷工  000 000 000  0

 静岡商  011 000 000  2

 二塁打 中村 ( 倉敷工 ) 犠打 倉敷工3 ( 土倉 武 亀山 )

                       静岡商4 ( 藤波 小泉2 寺門 )

                   盗塁 倉敷工 0  静岡商 1 ( 青木 )

倉敷工は春に続いて、またしても決勝進出をはばまれた。静岡商得意のバント戦法に

苦杯をなめた。静岡商は、二回一死から松島がレフト前打。戸塚もセンター左へ安打。

俊足の松島は判断良く三進。寺門は21後のウエストボール気味の球を、投手前に

スクイズ。松島が楽にホームを踏んだ。さらに、三回は、先頭の新浦四球に出たが、青木

の、投ゴロで二封された。青木はすかさず二盗。ここで、佐藤は12から倉敷工の深い

守備の裏をかいてドラックバント。これが内野安打となって、一三塁。藤波は11から

外角高めのウエストされた球を飛び上がってスクイズを成功をさせた。倉工バッテリーは

スクイズに来ると読んで、はずしたのだが、藤波の執念にしてやられた。ここらあたりに

高校野球でのバントの重要性をまざまざ見せつけられた。肩が痛いと言う 小山 だった

が、連投の疲れも見せず、球は良く走り、カーブの切れも良かった。それだけに、わずかの

すきをついた静岡商のソツのない攻めは光った。この追加点は、連日炎天下で力投を

続け、気力だけで投げている新浦にとって、大きな支えになった事だろう。新浦は長身

から快速球を投げこんで、当たっている倉工打線と真っ向から勝負して完封した。

倉敷工もさすがに優勝候補。敗れたとはいえ、持てる力を出して戦った。終盤、得点

にこそ結びつかなかったが、その粘りはたいしたものだった。惜しまれるのは、七回。

この回、小山の四球。中村のライト線二塁打で、無死二三塁と攻め寄った。ところが

ここで思いもよらぬ不運があった。富永の打球は一二塁線を抜いたかと思われたが

二塁手に横っ跳びに好捕されて、一塁でさされた。しかも、三塁走者の小山はいったん

ホームに突っ込みかけたが、コーチャーの静止があって三塁へ戻った。その間、中村は

すでに三塁へ。小山は、追い出されるような格好で三本間で挟殺された。まずい走塁

ではあったが、ここは二塁手の好プレーをたたえるべきだろう。結局、倉敷工は好機に

一発が出ず惜敗したが、速球投手 新浦 に対してバットを短く持ったミート打法、

そして、小柄な小山投手の力投などが、強く印象に残った。

                   昭和43822日 山陽新聞 角野 充氏提供

この、静岡商戦が、投手小山の実質的なラストゲームとなった。歯をくいしばって

投げ続けた高校夏の姿。小山と倉敷の熱い季節は終わった。この日、倉敷が泣いた。

 

    つづく  随時掲載

お願い  本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参 考  瀬戸内海放送 ( 夢 フィールド ) 

      山陽新聞社  ( 灼熱の記憶 ) 

協 力  角野 充氏

      小山 稔氏

おいまつ会入会式

第68回卒業証書授与式を翌日にひかえた2月28日、倉工体育館において
「 平成28年度おいまつ会入会式 」が、厳かに行われました。今回は、354人
の入会者があり、おいまつ会は約25000人の大所帯となりました。
式では、吹奏楽部の生演奏により、校歌斉唱から始まり、日下 誠おいまつ会
会長の挨拶、そして楢原 靖おいまつ会名誉会長が挨拶を行いました。
ここから、いよいよクライマックスとなります。在学中、著しい活躍をした生徒さんに
表彰状授与となります。この表彰状授与は 『 科学技術文化功労賞 』と
『 スポーツ功労賞 』の2つの賞があります。一人一人名前を呼ばれ起立して
行く姿に、感動した次第です。そして、各代表者が登壇して 日下 誠会長が
表彰状と記念品を贈りました。そして、記念品贈呈では、受領者を代表して
斉藤 祐大君が登壇。また、新会員代表の挨拶や、おいまつ会役員の紹介
があり、最後は応援団のエールで、おいまつ会入会式を締めくくりました。
特に今回は、倉敷ケーブルテレビによる、テレビ取材があり、早速この日のうちに
放送されました。おいまつ会入会おめでとうございます。

【 科学技術文化功労賞 】
甲種危険物取扱者 資格取得
赤澤 拓磨
甲種危険物取扱者 資格取得
大熊 晃輔
甲種危険物取扱者 資格取得
奥山 加奈子
甲種危険物取扱者 資格取得
斉藤 裕大
甲種危険物取扱者 資格取得
中山 萌
中国地区第2回高校生溶接技術 ( 溶接技術 )競技会 優勝
豊田 和真
中国地区第2回高校生溶接技術 ( 圧力容器 )競技会 第3位
小柴 和哉
【 スポーツ功労賞 】
平成28年度全国高等学校総合体育大会 カヌー競技 第6位
原田 秦
平成28年度全国高等学校総合体育大会 ウエイトリフティング競技 第8位
赤木 聖真
敬称略  順不同
がんばれ 倉工   ようこそ おいまつ会へ