捲土重来 平成8年の夏 24

第78回全国高校野球選手権大会 10年ぶり8回目の 甲子園出場。
歓喜に湧く、3塁側倉工応援スタンド。その中から、和泉コールが湧き起こった。
「 和泉 和泉 和泉 」。すると、ベンチから、苦労人指揮官が、現れた。そして、ゆっくりと 倉工応援スタンド の方に歩いて来た。
止まった。スタンドを見上げた。帽子を取った。そして、深々と頭を下げた。どのくらい、下げ続けたのかは、わからない。和泉コールは、さらに大きくなった。応援団員は、スタンドの最前列に、何人も何人も集まった。
【 ようやった 】【 おめでとう 】そして【 ありがとう 】の声。苦労人指揮官は、ゆっくりとベンチに帰って行った。そして、ベンチ裏で苦労人指揮官は、大号泣した。
県高野連発足50周年を期に、大会優勝旗が新調された。その新しい優勝旗 が、 北條 剛主将 に、渡った。スタンドから「 やったあ 」の声。古豪復活の瞬間。「 気持ちがいいです。昔から歴史があるんで、より一層いいものにして、行きたいです。 」と、コメント。
一方、 エース中原 俊博投手 は、「 緊張して、中盤まで向こうに、押されてたんですけど、後半精神面でしっかりしていかないといけないと、思ったんで、踏ん張る事が出来ました。 」
大会優勝旗を、手にした 倉工ナイン は、 苦労人指揮官 和泉利典監督 を、何度も何度も、胴上げした。午後6時、倉工ナインが凱旋した。すると、一人のOBが、ナインの帰りを、待っていた。 藤田 昌人OB だった。黒板に、次の様に書いて、待っていた。『 本日は、優勝おめでとう。全国優勝目指して頑張って下さい。 』 北條 剛主将 は、「 これからの、僕らを見ていて下さい。 」と、力強く語った。甲子園が、決まった次の日から、学校も忙しくなった。待ちに待った、甲子園出場。OBの喜びもひとしお。 羽場 武治教頭 は 「 たくさんの、OBの期待があったんです。県外、外国へも大勢の先輩を送っていまして。ひっきりなしに、電話がかかってくるんです。嬉しい悲鳴です。 」
ところが、「 新しい優勝旗だったんですが、これがまた大変だったんです。 」と、 中山隆幸部長 は言う。何が、あったのだろうか。
まさに、 平成8年の夏 は、長い。

つづく  随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参 考
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協 力
小山  稔 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸 氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正 氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 23

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会
決勝 倉敷工 VS 岡山城東
エースは、力投する。エースは、延長に入っても、一人もランナーを出していない。そして、延長12回 倉工打線 が、そのエースを援護する。
送りバントを挟み、連続5本のヒットで 2点 を奪取。倉敷工8点 岡山城東6点となる。延長12回裏、岡山城東は、すでに二死。
血を吐く、死闘を制する時が来た。
倉敷工 100 030 200 002  8
城 東 011 103 000 000  6
3塁側倉工応援スタンドの、視線の先は、エース中原に注がれている。
いや、視線の先は、甲子園。ここで、3塁側倉工応援スタンドは、なぜか静かになった。エース中原 渾身のストレートを、右打者の内角に投げ込んだ。
打球は、ボテボテの、三遊間へ。サード坪井 打球にダッシュ。
そして捕球。捕球した瞬間(捕ったぞ やったぞ)の仕種。ステップして一塁へ、ビシー。ファースト高本 捕球した瞬間、両手を上げてマウンドに走った。
ベンチから、倉工ナイン全員が、マウンドへ。エース中原 は、「よっしゃー」の、雄叫びを上げる。マウンド上で、倉工ナインが、抱き合った。
歓喜の 和 が広がる。ベンチでは中山隆幸部長と和泉利典監督ががっちりと握手。3塁側倉工応援スタンドは、「よっしゃー!」の声に始まり、お互いに抱き合う者、握手する者、そして涙ぐむ者も。
捲土重来。古豪復活の瞬間。全員野球で、勝ち取った10年ぶり8回めの甲子園。
この試合を、スタンドの最前列で見守り、感慨にふける一人のOBがいた。
部長、監督を補佐し、エース中原を育てたOB。そのOBとは、昭和36年夏、県大会直前に大怪我をしたエースの、代役としてマウンドを死守した永山勝利倉敷工投手コーチ その人である。【当HP 昭和36年のドラマ を参照して下さい】
倉工野球の意気と誇りと苦闘の、日々の団結は、しっかりと息づいていた。
県高野連発足50周年を期に、大会優勝旗が新調された。その、新しい優勝旗が、北條剛主将に渡った。捲土重来。古豪復活の瞬間。
スタンドから、大きな拍手が、轟いた。
つづく 随時掲載

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参 考
山陽新聞社 「灼熱の記憶」

協 力
小山  稔氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 22

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会

決勝  倉敷工 VS 岡山城東

球史に残る激闘となった 岡山城東 との決勝。序盤の失点にも、倉工ベンチは、エースを続投させる。倉工ナインは、エースを励まし、エースは終盤から、本領を発揮する。そして、勝負の延長12回を、迎えた。

倉敷工 100 030 200 002
城 東  011 103 000 00

延長12回表、 倉敷工 の攻撃。この回の先頭打者 西川 が、執念のレフト前で、出塁する。無死一塁。ここで当たっている 3番坪井 が、打席に立つ。しかし、指揮官は送りバントを指示。 坪井 送りバント成功。
一死二塁。 4番福原 が、打席に立つ。3塁側倉工応援スタンドは、全員総立ちで、「 福原よ、打ってくれ 」の祈り。 福原 は、2年生時からのレギュラー。元々、打撃には定評があったが、下半身の使い方に難があった。
そこを、 中山 隆幸部長、 和泉 利典監督 が、軌道修正。本人の努力も、合い重なって、今では 倉工4番スラッガー に成長した。スラッガーは、狙っていた。延長に入って、マウンドに戻っていた 岡山城東 のエース坂本 の、外角スライダーを。その、外角スライダーをライト線に運ぶ。打球は早く、ライトが追い付けず、打球の後を追う格好となった。その間に、 西川がホームイン。 西川 両手を握り締め、両脇を締めて身体を、小刻みに震わせての ガッツポーズ。打った 福原 は、二塁へ。一死二塁。続く5番藤原 は、レフト前ヒット。 福原 は、三塁で止まり、一死一三塁。 6番 高本 も、ライト前ヒット。 福原 ホームインし、この回2点めを上げる。
一死一二塁。 7番強肩巧打の白神 もライト前ヒット。 藤原 果敢にホームに突入するも、好返球で、タッチアウト。二死一二塁。 8番渡辺 の打球は、浅い左中間へ。 岡山城東 の センター永井 が、ダイビングキャッチ。
これで、三死となる。延長12回表が、終わって 倉敷工8点 岡山城東6点。
甲子園が、見えている。延長12回裏、守備につく 倉工ナイン に、3塁側倉工応援スタンドから、大きな拍手が、送られた。ベンチでは、 中山 隆幸部長 和泉 利典監督 が、噴き出る大汗を、タオルで拭った。

つづく 随時掲載

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参考
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協力
小山  稔 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸 氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正 氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 21

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会
決勝  倉敷工  VS  岡山城東
【 どちらも、2チームとも 甲子園 に出場させてやりたいですね。 】
この言葉は、 元 倉敷工監督 小沢 馨 氏( 故人 )が県大会決勝の解説で、良く好んで使っていた言葉である。「 甲子園の夢の大きさ。 」「 賭けるものの大きさ 」を、知り尽くしているだけあってその言葉には、重みを感じさせる。
小沢氏 は、甲子園でも解説を行った。試合は、延長戦に突入。炎の闘志と団結力で、選抜甲子園4強の、 岡山城東 に挑む 倉敷工。その闘志と団結力は、全国屈指の、エースを欠きながらも、勝ち進んだ 昭和36年夏( 当 HP 昭和36年夏のドラマ を参照して下さい )を、呼び起こす。

倉敷工  100 030 200 00
城 東   011 103 000 00

試合は、 6対6 のまま、延長戦に突入。 倉工エース中原 は、序盤にこそ、失点したが、ここに来て 制球力 球威 が、さらに良くなって来ている。延長戦に入っても エース は本領を発揮しているのだ。 中原 を支える物。それは、3塁側倉工大応援団。スタンドからは、『 中原、中原がんばれよ 中原 』あるいは、『 頼むぞ 中原 』の大声援。倉工大応援団が、 中原 を支える。しかし 真に中原 を支えるものが、もう一つある。真に 中原 を支える物。それは、背中の 倉工エースナンバー 1を付けたユニホームにある。このエースナンバー 1 が、 中原 を支えているのだ。 倉工のエース と言うものは、序盤にどんなに打たれても、最後までマウンドに立ち続けるのが、 真のエース。あるいは、どんなに、 肩 や 腕が痛たかろうとも、投げ続けるのが、 倉工エース の宿命。昭和43年夏。
腕も折れよとばかりに、甲子園97イニングを投げ抜いた 黄金の左腕小山 稔投手( 当 HP 青春ヒーロー を参照して下さい )
また、昭和50年選抜甲子園で、40度の高熱を発し、フラフラになりながらもマウンドを死守した 兼光 保明投手( 当 HP 風雲の奇跡 涙の甲子園 を参照して下さい )そこには、 倉工歴代エース の継投がある。
歴代エースは、 倉工エース の 宿命 を背負い投げ抜き、そして倉工エースの 誇り と 喜び がある。試合は、 延長12回 に入った。
この回の先頭打者は、 2番西川 からだった。

つづく  随時掲載

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参 考
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協 力
小山 稔 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

 

捲土重来 平成8年の夏 20

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会

決勝  倉敷工 VS 岡山城東

六回が終わって、 倉敷工4点 岡山城東6点。岡山城東が2点をリード。
倉敷マスカット球場は、内野スタンドほぼ満員。
両校、凄まじい応援合戦が、繰り広げられている。
かつて、昭和30年40年代、倉敷工小沢監督、岡山東商向井監督の 両雄 が戦った 岡山県球場。
バックネットを境に両校の 応援合戦 は、神宮球場の 早慶戦を彷彿させた。
岡山県高校野球黄金時代だった。
試合は、序盤の失点にも、倉工ベンチはエースを続投させる。ナインは、エースを励まし続ける。
迎えた、七回倉敷工の攻撃。
ここで、倉敷工は同点に追いつく。
その原動力は練習をして来た成果を発揮できた事にある。

倉敷工  100 030 2
城 東   011 103 0

七回表、倉敷工の攻撃。
この回先頭の 2番西川 は、セーフティーバントを、試みるも、城東エース坂本の好フィールディングに会い、アウト。一死。
3番坪井 は、外角を右に打ち返した。
球は、ライトライン上に落ち、坪井 は2塁へ。打ち抜いた一撃だった。一死2塁。
4番福原 は、フルカウントから、フォワボールを選ぶ。
ここで、右打ちのうまい 5番藤原 が打席に立つ。 藤原 の打球は、右中間を真っ二つに破った。
坪井福原 が帰り、 6対6 の同点とする。
打った 藤原 は、三塁打で、一死3塁。
ここで 城東ベンチは、投手交代。
6番高本 の当たりはショートゴロ。 藤原 ホームに突入するも、タッチアウト。二死1塁。
7番白神 は、内野ゴロで三死となる。
これまで 倉敷工ヒット10本 岡山城東9本。
大いに盛り上がる、倉工応援スタンド。
中山隆幸部長、和泉利典監督。このコンビは、早くから、 打倒岡山城東 を目指していた。
打撃練習では、 エース坂本 を想定し センター返し を徹底。
外角の球は、右打者なら、右( ライト方面 )へ打ち返す事。
この徹底した指導が、七回坪井 藤原 に練習の成果が出たのだった。
勝つ事の 秘訣 は、「 一つの事を、徹底する 」にある。
燃える 【 夢 】を賭けて、 倉工ナイン は、戦い続ける。

つづく 随時掲載

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参 考
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協 力
小山 稔  氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

倉工創立80周年記念おいまつ会総会について

1 日時  令和元年5月19日(日)

13:30 ~               総会受付(おいまつ会館)
14:00 ~ 15:30          総会
16:00 ~               懇親会受付(ステーションホテル)
16:30 ~ 18:30          懇親会

2 総会次第             司会(野瀬副事務局長)

(1)開式のことば            木村副会長
(2)物故者に対して黙祷
(3)会長あいさつ            日下会長
(4)名誉会長あいさつ          安藤名誉会長
(5)祝辞                内田前校長
(6)表彰                授与(日下会長)
(7)議事

議長選出          三好副会長

1号議案  会務報告(5年分)    岡本事務局長
2号議案  会計報告(5年分)    森会計委員
3号議案  監査報告      古屋野監査委員
4号議案  役員改選         高林役員改選委員会
5号議案  令和元年度事業計画案 日下会長
6号議案  令和元年度予算案     高林企画委員長
7号議案  その他
退任者代表挨拶  三宅監査委員・古屋野監査委員
新任者代表挨拶  木村企画委員

議長解任

 (8)校歌斉唱
(9)閉会のことば          生田副会長

3 懇親会               司会(岡本事務局長)

(1)会長挨拶            日下会長
(2)乾杯              倉敷市立工業高等学校 越宗 哲生 校長
(3)歓談・支部活動報告
(4)散会挨拶               秋岡副会長

捲土重来 平成8年の夏 19

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会  決勝 倉敷工 VS 岡山城東

全国屈指のエースを、練習中の負傷により、欠きながらも炎の闘志と

団結力で、予選を勝ち進んだ 昭和36年夏の倉敷工。

【 当HP 昭和36年のドラマ を参照して下さい 】

あの夏を、呼び起こす様な、一丸で勝利を目指す 倉敷工。

平成8年の夏。球史に残る激闘の 岡山城東 との決勝。序盤の

失点にも、エースを続投させる 倉工ベンチ。ナインは、エースを励まし

続ける。そのエースに、六回県予選までに、チーム打率4割3分の

岡山城東 の強力打線が、襲いかかった。

倉敷工 100 030

城 東  011 103

六回裏、 岡山城東 は、二死1,2塁で、打席には、3番投手の

坂本。 坂本 の打球は、 レフト藤原 の頭上を越えた。二人の

ランナーが帰り、 5対4 と、岡山城東 が逆転。続く4番は、2年生

ながら、4番打者に座る 永井 が左打席に入った。 永井 は、

エース中原の、第一球めの内角を、うまく腕をたたんで、ライト前に

運び、 坂本 がホームへ。 6対4 と、 岡山城東 が、さらに

大きく、 倉敷工 を突き放した。今現在、倉敷工業高校硬式

野球部コーチの 西川剛正 は、次の様に語る。『 とにかく、絶対

に、負けたくない。という気持ちが、常にありました。もう、それしか

なかったです。全員が、絶対に負けたくない。と、思っていましたね。』

球史に残る 激闘 となった、 岡山城東 との決勝。まさに両校

共に、血を吐く死闘を展開して行く。3塁側倉工応援スタンドでは

即席の自主応援団や、ソフトテニス部をはじめ、各部が練習を止め

応援に駆け付けている。全校を上げて、 古豪復活 を目指す

倉敷工。迎えた七回表、 倉敷工 の攻撃。倉工応援スタンド

からの、大応援が、 倉工ナイン の背中を押す。

つづく  随時掲載

 

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参 考  山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協 力  小山 稔  氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」

中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」

西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 18

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会

決勝  倉敷工 VS 岡山城東

炎の闘志で、この年の選抜甲子園4強、中国地区王者の岡山城東に挑む 倉敷工。
しかし、四回が終わって 3対1 と岡山城東がリード。
そして、五回ついに 倉敷工 が逆転する。
その逆転の原動力は、畳みかける攻撃、繋がる打線だった。

倉敷工 100 03
城 東  011 1

五回表、 倉敷工 の攻撃前ナインをベンチ前に座らせて、 和泉監督がアドバイス。
この回の先頭打者は、8番渡辺。 渡辺の打球は、3塁ベース付近へ。三塁手良く好捕したが、一塁へ高い悪送球。
その間に渡辺 は、2塁へ。無死2塁。
次の打者は、 玉島商戦 でサヨナラを打った 9番エース中原。中原は、打席に入ると 送りバント の構え。
大きくリードしていた 渡辺。捕手が2塁へ牽制した。
すると 渡辺 は3塁へ。無死3塁。
中原 は、投手ゴロで一死3塁。
打順は、1番に返り、 北條。
北條 は、ショートライナー。
二死3塁。2番 西川 の打球は、センター前への小フライとなった。
3塁側倉工応援スタンドからは、「 落ちた、落ちた 」の声。
セカンド ショート センターの3人が追うも、真ん中に落ちた。セカンドベースが空いているのを見た 西川 は一気に、セカンドベースにヘッドスライディング。この 西川 の好走塁が倉敷工 に、大きく流れを呼び込む。
倉敷工2点め。二死2塁。
3番坪井 は、レフト前ヒットで、 西川ホームへ。3点目で、3対3の同点となる。沸き上がる3塁側倉工応援スタンド。
二死1塁。打者は4番福原。ここで、 和泉監督 が 坪井 に出したサインは、(走れ)。坪井盗塁を成功させ、二死2塁。畳みかける攻撃の 倉敷工。
この場面での盗塁は、難しい場面。
和泉監督 は、 坪井 の走塁能力を買ったのだろう。
4番福原 は、センター前に打ち返して坪井 ホームへ。
3連打で4点目を上げ、逆転する。4対3倉敷工逆転。
二死1塁。 5番藤原 は、右方向に打ち返し、二死1、2塁とする。
倉敷工4連打。 6番高本 は、三振に倒れ三死となる。4対3と逆転した 倉敷工。
沸き上がる倉工応援スタンド。
しかし、決勝までのチーム打率4割3分越えの 岡山城東 の、強力打線が エース中原
に、襲いかかった。

つづく 随時掲載

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協 力
小山 稔 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 17

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会。
決勝  倉敷工 VS 岡山城東
先攻を取った 倉敷工 は、一回早くも1点の先取点を上げる。
しかし、 岡山城東 は、二回三回と各1点を上げ、1対2と逆転する。
三回が終わったところで、 倉敷工エース中原 の投球を見てみよう。
右打者に対し内角を、うまく使っている。その内角の球は、自然的にシュート回転していて、バットの芯を外しているかのよう。また、左打者に対し、外角の球はたとえストライクゾーンであっても、外にスライドしている様に見えて、遠く感じるだろう。さらに、膝元に食い込むスライダーが、いい高さに決まっている。こうして迎えた四回裏、岡山城東の攻撃。あれほどにまで、鉄壁の守備を誇っていた、倉工守備陣に、ほころびが出てしまう。一死から、セカンドゴロを、西川が一塁へ、悪送球してしまい、打者は2塁へ。一死2塁。次の打者を三塁ゴロに仕留め、二死2塁となる。次の打者は、センターのやや右へのライナー。センター北條、ショートバウンドをこぼしてしまい、2塁ランナーが、ホームに帰り、1対3になる。二死1塁。次の打者は、3塁フライとなり、チェンジかと思われたが、サード坪井、落としてしまった。
二死1.3塁。ミスが続く 倉敷工。ふんばりどこの、エース中原。中原はここで、精神的にタフなところを見せる。次の打者に対して、内角に投げ、センターフライに打ち取り、三死とした。

倉敷工 100 0
城 東 011 1

五回の攻撃に、ベンチに帰る 倉工ナイン。そして、ベンチ前で円陣を組んだ 倉工ナイン。 和泉監督 は、ナインをグランドに座らせた。
身振り手振りで、アドバイスをする 和泉監督。選手を、落ち着かせて、いるのだろう。益々の老練さを感じさせる 和泉監督。
五回表、 倉敷工 の攻撃は、 8番ショート渡辺 からだった。

つづく  随時掲載

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協 力  小山 稔  氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 16

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会。
決勝  倉敷工 VS 岡山城東 両校、共に 甲子園 が見えている。
実力差は、全くない。試合の 明暗を分けるとしたら、バントミスや、送球ミス等のちょっとした ほころび。 あるいは、スコアーブックに記載されない様な、ミスが出た場合であろう。 試合は、両校 緊張感 のある中開始された。こうした中、先攻を取った 倉敷工 が、先取点を上げる。その先取点とは、徹底した センター返し と、積極野球だった。
倉敷工 1   城 東
 3塁側倉工応援スタンドからの、激 を背に、 1番北條 が、打席に 入った。 北條 は、岡山城東のエース坂本投手 が投じた第一球め を、センターに弾き返した。打球は、低いライナーであったが、センター永井 選手の正面へ。しかし、 北條 の打球は、 甲子園4強、中国大会 優勝投手で、スライダーがいい、 坂本投手 に対して、『 行けるぞ 打てるぞ 』と、ナインに伝えた一振り。 北條 からの 伝え を見た 2番西川 の打球は、投手強襲内野安打となる。 坂本投手 の グローブに一旦球が入ったかに見えたが、打球が強くグローブをはじいて しまい、球はマウンドを転がり落ちたのだった。これで一死一塁。3番坪井 が、打席に入る。 坪井 は、決勝まで、12打数5安打をマーク。ここで 和泉監督 が、強気の攻めを見せる。 一塁ランナー西川 に出した サインは、『 走れ 』。 西川盗塁成功。 一死二塁。 北條 西川 1.2番コンビの 盗塁 は、全て成功していて、失敗は一度もない。 動揺が、見られる 坂本投手。二塁へ牽制した 球 は、センターに抜けた。 それを見た 西川 は3塁へ。一死三塁。 ここで、 坪井 は、センターに 打ち返し、先取点1点を、上げる。3人続けての、低いライナーでのセンター 返しは、圧巻。 坪井 猛打倉工 の口火を切る。沸き上がる倉工3塁 側応援スタンド。一回の守備につく、倉工ナイン。 エース中原 は、 立ち上がりに、難があるだけに、気がかり。 中原 どの様な投球を見せる のだろうか。
つづく 随時掲載
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山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」
協 力  小山  稔 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
     和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
     中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
     西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」