第69回倉工祭の テレビ放送

11月17、18日に開催された 第69回倉工祭 及び おいまつ会作品展 の模様が

下記要領にて、テレビ放送されますので、お知らせします。

1 テレビ局     倉敷ケーブルテレビ

2 番組名     「 KCTワイド 」 高校文化祭特集

3 放送日時    11月30日 ( 木曜日 ) 17時より

1時間おきに、再放送

4 再放送日時  12月1日 ( 金曜日 ) 5時より

8時まで、1時間おきに、再放送

5 その他

P1000163
KCTが、撮影しています。

P1000166
取材に応じる、役員。

P1000168
日下会長が、インタビュ—に答えています。

P1000170
日下会長、緊張しています。

 

 

 

部活動激励訪問 吹奏楽部

吹奏楽部は、世界的な有名の、 木元 大一氏 を輩出しています。

また、甲子園でもお馴染みの、「 倉工応援名物 桃太郎 」を作ったのも

木元 大一氏。そして大親友の 木村 義夫氏 ( 現 おいまつ会副会長 )

の両名でした。【 本HP、名物応援 桃太郎誕生秘話 を参照して下さい 】

倉工吹奏楽部は、歴史と伝統のある部でもあります。

おいまつ会による、部活動激励訪問。今回は、その吹奏楽部を訪問させて

頂きました。訪問日は、第69回倉工祭の時でした。多くの観衆が見守る前で

ユーロビート ディズニーメドレー や ルパン三世 など5曲を披露。

部長の、片山 誠君「 D3A 」は、『 先輩後輩の上下関係はなくて

縛られる様な感じもなくて、部員同志が打ち解けあえる様な雰囲気です。 』

と、語ってくれました。今後の目標を尋ねると 『 新入生を、10人以上を

入部させたいです。 』との事でした。吹奏楽部は、日曜以外毎日練習。

演奏会に出ても、演奏するだけでなく、会場の準備や後かたずけ等も

手伝って帰るという吹奏楽部。今後も地域貢献に頑張って下さい。

おいまつ会も、その活躍ぶりを応援して行きます。

 

がんばれ 倉工!   魅惑させろ観衆を 倉工吹奏楽部!

 

 

P1000116
第69回倉工祭で演奏する吹奏楽部

P1000120
よろしくお願いします

P1000145
激励の挨拶

P1000159
吹奏楽部と訪問団

 

2017 倉工祭 おいまつ会作品展

11月17、18日、第69回倉工祭が盛大に開催されました。

今回から、文化祭から倉工祭に、改称しての開催でした。今年のテーマは

「 記憶に残るような創造性あるものを 」。一般公開となった、18日は

朝早くから、他校の生徒さんら多くの方々が来校。体育館では、ダンスや

コーラス等。中庭では、書道部による、書道パフォーマンスや、吹奏楽部の

演奏など。さらには、各教室、各部によるパフォーマンスなど、盛りだくさんの

内容でした。おいまつ会館では、今年も OB 教職員 による写真や

作品の展示がありました。こうした中で、最も注目されたのは、倉工が開校

された、昭和14年の写真パネルや、戦時下の倉工生。また、甲子園初出場

した時の写真パネルなど、多くの人が見入っていました。そして、倉敷ケーブル

テレビの取材もありました。今後の課題として、展示される数が少なくなって

いるので、もっと多くの方の協力を、頂きたいものです。

 

がんばれ 倉工!   技術 スポーツ 美しい文化の倉工へ!

P1000104
倉工回顧展

P1000106
おいまつ会館、作品展

P1000108
昭和14年開校式

P1000109
昭和14年入学式

P1000115
倉工祭の様子です

 

風雲の軌跡 涙の甲子園 11

監督 小沢 馨物語

昭和50年春。第47回全国選抜高校野球大会。組み合わせ抽選会。

小沢監督は、会場入り口で 中京、杉浦監督 とバッタリ。二人は談笑しながらも

お互いの健闘を誓いあった。そして、いよいよ抽選会が始まった。主将 大倉 が

引いたクジは、何と開会式直後の第一試合。しかも、相手は健闘を誓いあった

名門 中京。その瞬間会場がどよめいた。そして、二回戦では 原 辰徳 のいる

東海大相模。さらに、会場がどよめいたのだった。一回戦から好カードだったから

であろう。剛腕エース 兼光 の名前は、全国的にも知れ渡っていた。

「 東の寒川 ( 岡山東商 ) 西の兼光 」と。こうして、開会式が始まろうとして

いた。入場行進が始まろうとしていた時だった。「 とにかく緊張しました。 」と、

守備の名手 神土 が苦笑いしながら、語ってくれた。開会式が終了して

一塁側 倉敷工 三塁側 中京 がベンチに入った。外野のノックは、小山コーチ

【 本HP青春ヒーローを参照して下さい 】内野は、 小沢監督 が行った。

ノックを終えた 小山コーチ は、ユニホームのままバックネット裏の最前列に座った。

その時、隣にある人物が座りに来た。「 倉敷工業のコーチの方ですか 」

「 はい そうです。 」 その人物こそ、 豊見城 沖縄水産 を合計17回も

甲子園に導いた 裁 弘義監督 だった。この時、甲子園初出場。どんな名監督

でも、最初から名監督ではない。最初は、誰でも 「 学ぶ 」 事から始めるもの

である。恐らく 裁監督は 小沢監督 から、 小山コーチ を通じて何かを

「 学び 」に来たのであろう。そして、プレーボールのサイレンが、大甲子園に鳴り

響いた。ところが、エースに異変が生じていた。 剛腕エース兼光 の異変。

「 甲子園入りする前から、 兼光 は、体調を崩していました。 」と、小山コーチ。

つづく  随時掲載

お願い  本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参 考  瀬戸内海放送 「 夢 フィールド 」

OHK     「 旋風よふたたび 」

山陽新聞社  「 灼熱の記憶 」

協 力  小山 稔氏

大倉 一秀氏

神土 秀樹氏