第94回選抜高校野球大会
【大会期間】
2022年3月18日~3月30日
【倉工の3元号】
伝説の夏がある。
倉敷工野球部の歴史の中で、60年以上も語り継がれる、人間ドラマがある。
勝敗を超えて、語り継がれる名勝負。
昭和36年の夏の甲子園。奇跡の大逆転となった、一回戦の倉敷工対報徳学園戦は夏が来る度に話題に上がる。
試合は、両校無得点のまま延長戦に。
十一回表、倉工が一挙6点を取って、勝負ありと思われた。だが、試合は思わぬ展開となった。
倉工は、この年エースの森脇敏正が怪我で登板できず、急遽投手になった、永山勝利を盛り立てて戦ってきた。岡山県大会の直前、練習中に骨折したエースを「甲子園で投げさせたい。」と、チームが一丸となり、大舞台に歩を進めたのだ。
森脇を思いやる選手の気持ちを、誰よりも知っていたのは、当時の監督、小沢馨だった。報徳は、十一回裏意地で、2点を返したが、なお4点差で、2死三塁と追い込まれた。
ここで、小沢が森脇をマウンドに送った。
倉工がリードを奪った後、主将の松本芳男が、拝むように、森脇登板を懇願したのだった。勝利が目前となっての投手交代。
森脇は、7番打者にカウント2-2と追い込み、外角低めに会心の直球を決めた。
見逃し三振で試合終了。と思われたが判定は、ボール。後に、立教大―巨人へと進む、捕手の槌田誠が、後年仲間たちに「あれは、ストライク。」と、何回も何回もつぶやいた運命の一球だった。
結局、試合の流れは報徳に傾く。
森脇は安定せず、三塁守備に就いていた永山を、再びマウンドに戻した。しかし、緊張の糸は戻らず、ミスも出て、4点を返され、6対6の同点に。そして、十二回裏、1点を奪われサヨナラ負けを喫した。
試合後、「采配のミスだ。」と、詫びる小沢に、選手たちは「森脇を、投げさせてくれ、ありがとうございました。」と、頭を下げた。選手に詫びる監督。
監督に感謝する選手。
勝敗を超越した物語は、倉工永遠の財産に違いない。
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。
協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会