熱闘甲子園 今昔物語 51 栄光の足跡 39

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

 【概要】
2003年8月7日~8月23日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北

大会12日目。
倉敷工は、3回戦で光星学院(青森)に、0対2で、惜しくも敗れた。35年ぶりの8強入りは果たせなかったが、最後まで懸命にプレーした選手たちに、約1万5千人の観客から惜しみない拍手が送られた。

 【はじめに5】
甲子園での3試合目。
倉工三塁側アルプス席を埋めた約3000人の大応援団も戦っていた。グランドの選手と一体となって、この試合も最後まで逆転を信じ、大声援を送り続けたのだった。

倉敷工 000 000 000 0
光星学院100 010 00X 2(3回戦)
倉敷工投手 陶山
本塁打

光星学院の桑鶴投手が、二塁を踏ませず4安打完封勝利。
威力ある直球に、変化球をうまく配した。打線は、一回、田中の適時二塁打で先制。五回には、有本の右前適時打で加点した。光星学院の力強い振りが目立った。
倉敷工は、3併殺を喫し、盗塁失敗などでなかなか好機を作れなかった。
『打線沈黙―完敗』倉敷工打線が、4安打と沈黙し、8強入りを逃した。敗れはした
ものの、無四球2失点好投のエース陶山は、攻守を連発した守備陣に「ピンチを何度も救ってもらいました。みんなに感謝したい。」と語った。
1回戦の駒大苫小牧では、雨天ノーゲームの再試合で勝利。2回戦では、義足で奮闘する曽我選手を擁した今治西を倒すなど、話題を集めた倉敷工。
主将の須田は、「駒大苫小牧の人たちには、(勝てなくて申し訳ない)と伝えたい。」と話した。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事を
ご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(
元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 50 栄光の足跡 38

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

【概要】
2003年8月7日~8月23日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北
大会9日目。
義足の三塁手として、注目を集めた今治西、曽我健太選手。
今大会№1右腕の選抜優勝投手、広陵、西村健太郎投手
(のちに巨人入り)が、甲子園を去った。

【はじめに4】
左足に義足をつけた今治西の曽我選手は、2回戦で甲子園を去った。涙で濡れた甲子園の土をかき集めた。「ここまで来ていなかったら、何もなかったと思います。」
夢舞台での想い出を、土と一緒にしまい込んだ。
四回の第二打席で、今大会初安打を記録し、続く第三打席では内野ゴロの間に打点もマーク。しかし、2試合で、計6打数、1安打、2三振、1死球、1犠打、1打点に、「もっと打ちたかった。」と唇を噛んだ。今後については「進学して野球を続けたい。」と語った曽我選手。
ハンディーを克服した姿は、全国の高校野球ファンに感動を与えたはずだ。

倉敷工 000 301 000 4
今治西 001 101 000 3(2回戦)
倉敷工投手 陶山
本塁打

倉敷工が、逆転で2回戦突破を果たした。
陶山は、苦しみながら、得意のスライダーをコーナーに決め、三、四、六回のピンチをいずれも1点で乗り切った。
粘りの投球で144球の完投勝利。
倉敷工は、1点を追う四回。一死一二塁から、須田が中前打。
中堅手が打球をはじく間に同点とし、さらに中堅からの三塁送球がそれる間に逆転。清水も中前適時打しリードを広げた。
今治西は、三回二死三塁から、黒川の内野安打で先制。
その後は、小刻みに反撃したが及ばなかった。守りの乱れで、失点した事が悔やまれる。

『苫小牧の分まで』執念の倉敷工
駒大苫小牧戦は、四回までに8点リードされたが降雨のため、ノーゲームに。前日の仕切り直しで、5対2で勝利。
試合後、主将の須田は、駒大の土島主将と握手して別れたが、心に何か引っかかっていた。周囲の目が、気になった。
誰にとがめられたわけでもないのに、悪者になったような感じだった。チーム全体に複雑な気分が広がった。
状況を変えるには、勝つしかない。「駒大苫小牧の分まで勝ち抜こう。」一人ひとりが、そう思った倉敷工だった。
勝利への執念を、かつてないほど燃やして挑んだ2回戦は今治西戦だった。

つづく
随時掲載

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本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 49 栄光の足跡 37

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

【概要】
2003
年8月7日~8月23日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北
大会三日目。台風が過ぎた甲子園球場で1回戦3試合を行い、春夏連覇を狙う広陵と倉敷工が、2回戦に進んだ。
広陵は、エース西村(後に巨人入り)が、東海大甲府から11三振を奪って完封した。

【はじめに3】
「あと一人、あと一人。」3点リードの九回裏倉敷工三塁側応援スタンドでは、スクールカラーの緑色のチュウリップハットをかぶり、燃えるような真っ赤なTシャツを身に着けた約2200人の大応援団。そして、赤と青のメガホンを打ち鳴らし、マウンドの陶山大介を後押しするように、大声援が沸き起こった。
最後の打者の打球を遊撃手渡部がグラブに収め、一塁手須田が一塁ベースを踏む。その瞬間、倉工ナインの勝利を祝福するかの様に、曇り空から太陽の光が差し込んだ。
大応援団は、肩を組み合い校歌が高らかに響き渡った。

倉 敷 工 012 101 000 5
駒大苫小牧 002 000 000 2
投手 陶山
本塁打

序盤から中盤にかけて、効果的に得点を重ねた倉敷工が駒大苫小牧を振り切った。倉敷工は、二回二死二塁から西野の中前打で先制すると、三回は、須田の左超え適時打と敵失で2点を追加。さらに、四、六回にも加点し、試合を優位に進めた。駒大エース白石投手に対して、コースに逆らわない打撃で攻略した。エース陶山の力投も見逃がせない。切れのある直球、スライダーを内外角に投げ分け、強打の駒大打線から9奪三振。失点を三回の2点に抑えた。
翌年から、夏の甲子園を2連覇し、2006年も決勝に進出するなど、全盛期を築いた駒大苫小牧にとっても語り草となるゲームだった。
『これが礼儀と監督』そして『心の野球』前日の試合で、四回途中まで0対8とリードされながら、大雨のためノーゲームに。この日、倉工ナインは、無言で下を向き、そして帽子は深くかぶり、球場を後にしたのだった。誰一人、笑顔の者はいない。
リセットの好機を得た選手たちは、見違えるような試合運びで駒大を圧倒。効果的に得点を加え、エース陶山が、2点に押さえる完勝だった。
倉敷工監督和泉利典は、真っ先に駒大苫小牧に対し「スポーツマンとして、申し訳ない気持ちでいましたが、一生懸命に試合をする事が礼儀だと思いました。」とコメント。敗者に敬意を表したのだった。
それは、部の大方針「心の指導」がもたらしたものと言えよう。
2回戦の相手は、義足で奮闘する曽我選手に注目が集まる今治西。絶望の淵から蘇った倉敷工が、「心の野球」で立ち向かう。

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(
元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

令和5年度おいまつ会入会式

令和6年2月29日(木)9時30分より、岡山県立倉敷工業高等学校体育館において、令和5年度おいまつ会入会式を挙行いたしました。新型コロナウイルスも第5類に移行した今年度。実に5年ぶりとなる制約のない入会式でした。厳粛に式は進み、無事、新会員293名を迎えることができました。新会員の皆様、母校とおいまつ会の発展のために、いっしょにかんばっていきましょう。

     

1 開 式

2 校歌斉唱

3 おいまつ会会長挨拶

           会長    (日下 誠)

4 おいまつ会名誉会長挨拶

           学校長(横田 寿弘)

5 表彰状授与

6 記念品贈呈

7 新会員代表挨拶

           機械科(難波 倫生)

8 役員紹介

9 事務連絡

10 閉 式

2.役員出席者(敬称省略)

    • 会 長  日下 誠
    • 副会長  生田 岩雄・木村 義夫・三好 修一・三宅 香
    • 企画委員 守屋 文明・荒木 竜二・難波 隆文

3.おいまつ会表彰者

「科学技術文化功労賞」
・ジュニアマイスター特別表彰受賞
     電気科3年
      田淵 壮悟
・危険物取扱者甲種免状取得
  機械科3年
   神藤 琳太郎
   平川 慶斗
  
  工業化学科3年
   福田 光騎

 

4.スナップ写真

熱闘甲子園 今昔物語 48 栄光の足跡 36

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

 【概要】
2003年8月7日~8月22日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北
忘れられない夏が開幕した。
開会式では、史上最多の4163校から勝ち上がった49代表の選手が入場行進。15日間にわたる熱戦が始まった。
倉敷工は、34番目に登場。ナインは、3万5千人の大観衆を前に、堂々とした入場行進。
それより前、球場に到着した時には、大勢の倉工ファンが、到着を待っていたのも事実。

 【はじめに】
大会第二日の、第2試合で倉敷工は、駒大苫小牧と対戦。失策やエース陶山の制球難で、大きくリードされたが、相手攻撃の途中で、大雨の影響で降雨コールドゲームになった。
西日本を襲った大雨で、応援団の乗ったバスが遅れ試合開始に間に合わない。ブラスバンド部も間に合わない。
高速道路を途中で降り、かろうじて、甲子園に到着できた控えの野球部員や生徒たち約300人が「かっ飛ばせ」「レッツゴー陶山」等と、懸命に声援を送る。
序盤から大差を付けられる展開だったが、四回途中から雨脚が強まり、二死一三塁で中断。そのままノーゲームが決まった。

倉敷工   000 00
駒大苫小牧 071 8  降雨ノーゲーム

陶山は、マウンド上で必死に緊張を抑えようとした。
初回は、自らの牽制球で無失点で切り抜けたが、二回から制球が乱れ始めた。高めに入った甘い直球を狙い打ちされ、下位打線から4連打。さらに、二死満塁から走者一掃の二塁打を浴びる。
「なぜ、打たれるのか。」考え続けるうちに益々冷静さを失っていく。
駒大の白石投手の力のある直球、スライダーに押され、三回まで無安打。四回表一死で初安打が出たが併殺打。ベンチも沈みがちで声が出ない。
四回裏二死三塁から四球を出したところで、雨がさらに強くなり、試合が中断。結局ノーゲームになった。
(チャンス貰った倉敷工だった)

つづく
随時掲載

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朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

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和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 47 栄光の足跡 35

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

 【概要】
2003年8月7日~8月22日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北

常総学院が、初優勝。この夏限りでの引退を表明していた木内監督の、花道を飾った。常総は、柳ヶ浦との接戦を制すると、続く二回戦では、リリーフが好投して、智弁和歌山を下す。鳥栖商戦は、雨によるグランドコンディション不良をついて、バント攻勢。桐生第一戦は、継投でしのぐ。
決勝は、控え選手を起用して、随所で「木内マジック」が光った。準優勝の東北は、2年生エース、ダルビッシュを軸に勝ち上がった。

今大会から、ベンチ入り選手数が、15人から18人になった。

【はじめに1】
倉敷工は、7年ぶり9回目の夏甲子園出場を決めた。
「投手はいい。守備もしっかりしている。特に、左打者が非常にしぶとい打撃をしている。こういうチームはなかなか持てませんよ。私も長く高校野球に携わってきましたけど、こういうチームは、なかなか持てませんでした。いいチームを、作っています。」
こう語るのは、元倉敷工監督小沢馨氏(故人)。
監督和泉利典、部長中山隆幸。
二人のコンビは、再び大型チームを作り上げる。

 【倉敷工猛打で夏切符】
岡山大会決勝。倉敷工が倉敷高を下し、7年ぶり9回目の夏の甲子園出場を決めた。
雨が降りしきる中、両チーム共に点を奪いあう熱戦。
倉敷工は、前半リードを奪われたが、六回に倉敷の守備の乱れを足がかりに、集中打で、一挙7点を挙げ逆転し、逃げ切った。

倉敷工 002 017 000 10
倉 敷 120 200 011  7

『レッツゴー陶山ダンダダンダダン』
三塁側倉工応援スタンドの大応援団約300人が,総立ちになって倉敷工エース陶山大介を見つめた。
倉敷工の打線が、火を噴いたのは六回。四球や敵失が続き同点に。さらに、一死満塁で、打席に立ったのは、初回に捕逸で先制点を許した萩原。「ポパイ」のテーマが鳴り響く中、萩原の打球は中継前に。
2人が本塁に帰る。湧き上がる倉工スタンド。
味方の援護を得たエース陶山は、調子を取り戻した。
最後の打者を、三振に打ち取った瞬間、大歓声と共に色とりどりのメガホンが、三塁側スタンドの宙を舞った。
行くぞ甲子園。ありがとう倉敷工業野球部。

つづく
随時掲載

甲子園出場を決め、大喜びでスタンド向かって走る倉工ナイン

萩原が、中前打を打ち、2者生還。 7対5と勝ち越す。

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送はありません。

協力
和泉利典(
元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

卓球部激励

倉工HPより

1月16日(火)本校体育館において、卓球部が全日本選手権に出場するにあたって本校のOB会である、おいまつ会から激励ということで、アクエリアスと激励金を頂いた。まず皆さんに練習風景を15分程度見ていただきその後、萩原監督より選手の紹介があり、最後においまつ会日下会長より「今まで様々なスポーツ選手を見てきたが、どの選手も声が大きかった。大きな声を出し気迫で相手を圧倒して、全国に倉工という名を轟かせて来てください。最後まであきらめずに頑張ってください。」と、激励の言葉をいただいた。その言葉に答えるように全日本選手権に出場する小郷
楓佑(電気科1年)が力強く決意表明を行った。全国大会に出場する学校は私立高校ばかりで県立高校はあまり見なくなっている。様々な部活動の制約があり一昔前より格段に練習量が減ってきているのが一つの要因だと思われる。その中でも全国へ羽ばたいていくのが我が倉敷工業高校だ。倉敷で生まれ、倉敷で育ち、そこで培った意地と粘り強さで一勝でも多く勝ち取ってもらいたい。

~出場選手~

小郷 楓佑(電気科1年)

大会名:天皇杯・皇后杯2024年全日本卓球選手権大会(一般・ジュニアの部)
期 日:1月 22日(月)~28日(日)
場 所:東京体育館

熱闘甲子園 今昔物語 46 栄光の足跡 34

78回全国高校野球選手権大会(平成8年夏)

【概要】
1996
8月8日~821日 出場49チーム
倉敷工90中越(1回戦88)
倉敷工53東筑(2回戦814)
鹿児島実92倉敷工(3回戦818)

【おわりに2最終】
平成8年夏。10年ぶり8回目の甲子園出場。
この年の倉敷工は、どの様な戦力だったのか。その戦力を振り返ってみた。
『戦力分析』
選手層の厚さを誇る倉敷工。県内一、102人の部員のし烈な、レギュラー争い。
倉敷市中心部にある鶴形山でのトレーニング。頂上にある阿智神社の182段を駆け上がり約45時間のランニングが延々と続く。今年の冬はこのトレーニングを週3回こなした。

切れ目のない打線は、評価が高かった。藤原守二の526厘を最高に、県大会のチーム打率343厘を誇った。一試合平均得点は、6.4点と、高い高打率をマークした。

主将の、北条剛が県大会の時、大きなヤマ場だったと話す対玉島商戦。1点差の接戦をものにし、自信をつけた。
玉島商竹内監督は「北条、西川のシャープな打撃。福原の勝負強さにやられた。下位打線も息が抜けなかった。九回裏二死無塁から、決勝点を入れられた時には、精神的強さも感じた。」と話した。

勝敗のカギは、投手陣の活躍にかかっていた。
エース中原俊博の、決め球は直球。約130キロと飛び抜けた速球ではないが、防御率は、1.62。やすやすとは打たれない。中原と実力互角の、笹田和之、高本秀樹。
また、対興譲館戦で1安打に抑えた、諏訪正樹(2)
控え投手は充実していた。
『勉強になりました』
倉敷工野球部部長、中山隆幸のコメント。
「今回の、甲子園出場は、色々な事が勉強になりました。
特に、選抜優勝の鹿実戦ですね。あのスライディングは、厳しかったです。勝つ執念を感じました。この経験は、今後に役立ちます。」

『視線の先』
監督和泉利典、部長中山隆幸の視線の先は、早くも次の甲子園出場を見ていた。

 

 

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
()現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
()現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)

中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 45 栄光の足跡 33

78回全国高校野球選手権大会(平成8年夏)

【概要】
1996
8月8日~821日出場49チーム
倉敷工90中越(1回戦)
倉敷工53東筑(2回戦)
鹿児島実92倉敷工(3回戦ベスト16)

【おわりに1
10
年ぶり8回めの、「夏」。春夏合わせて16回めの甲子園出場を誇り、全国に、その名を轟かせた名門が、久々に檜舞台に、伝統のユニホームが、登場した。
10
年間の、無念さを晴らすかの様に、力を蓄え、岡山大会を勝ち上がった今年のチーム。その復活までの足取りをたどりたい。

『低迷』
ベンチの隅で、大きな背中が震えていた。729日、倉敷マスカット球場。延長12回の死闘の末、岡山城東を下し優勝を決めた、倉敷工監督和泉利典は、OB、コーチらに抱きかかえられ、人目もはばからず泣いた。
もがき、苦しみ抜いて、つかんだ「喜び」。
その姿は、県内屈指の、いや、全国屈指の名門が、復活までに、たどって来た、苦難の道程を表しているように見えた。
昭和50年代に入ると、普通科志向が多くなり、選手が集まりにくくなった。「勝てない」「選手が集まらない」という悪循環。選手気質も変わり、厳しさ一辺倒の指導では、勝てなくなって行った。OB、ファンの期待は、高まるばかりだった。準々決勝あたりまでは、勝ち進むが「あと一歩」で足踏みが続いた。「何が足りないのか。」悩む、和泉に転機が訪れる。
『新体制』
甲子園は、近いようで遠かった。
「華々しい時代を知っているだけに、イライラし通しだった。」
OBで、甲子園出場経験のある、永山勝利は、ファンの声を代弁する。その、永山と同じく、甲子園出場経験のある藤原勝利が、コーチに就いた。さらに、倉敷工時代に、和泉と共に、白球を追った、中山隆幸が部長に。
和泉をサポートする体制が出来上がった。大きな、転機だった。「力のある選手を集め、技術指導で強くする事ばかり考えていた。」と言う和泉に対し、実績のない学校で、監督を務め、「力のない選手を、いかに伸ばすか。」に腐心していた中山の指導は、大いなる刺激となった。
技術指導は、和泉。野球に対する心構えは、OBコーチ。
コンディショニング、メンタル面、さらに、スポーツ栄養学等の指導は、中山。こうして、新体制の「歯車」がガッチリと嚙み始めたのだった。

つづく
随時掲載

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朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
()現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
()現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)

岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 44 栄光の足跡 32

第78回全国高校野球選手権大会(平成8年夏)

【概要】
1996年8月8日~8月21日出場49チーム
優勝 松山商(愛媛) 準優勝 熊本工(熊本)

「よくやった倉敷工」
大会11日め。倉敷工は、今春の選抜の覇者鹿児島実と対戦。鹿児島実の強力打線の勢いを、止めることができず敗退。ベスト8進出はならなかった。しかし、最後まであきらめずに、白球を追い続けた倉敷工ナインに対し、約4万5千人の大観衆から、大きな拍手と大声援が送られた。

【はじめに4最終】
倉工一塁側アルプススタンドは、優勝候補との対戦を見届けようと、最上段までギッシリと埋まった。球場全体を揺らすほどの、大声援でナインを盛り上げた。
「倉敷工敗れてもさわやか」
最後まで白球を追うナインに「大観衆から拍手と大声援」

鹿児島実 011 340 000 9(3回戦)
倉敷工  000 100 001 2
倉敷工投手 諏訪―中原―笹田
本塁打

鹿児島実が、投打の力を、十分に見せつけた。
二回二死で、宮田が左中間に先制二塁打。
三回には、先頭の川田が、左超え三塁打と、田上の左犠飛で加点。
四、五回には、倉敷工の相次ぐミスに乗じて大量点を奪い試合を決めた。
先発の、下窪は打たせて取る投球で、5回を3安打1失点。
継投した鍛冶屋が、九回二死後の3連打による1失点で逃げ切った。
倉敷工は、四回死球の西川が、盗塁とけん制悪送球で三進。
福原が、中前打で返したが、五回以後は、高めのつり球に手を出す場面が多かった。
五回、鹿実の攻撃。無死一三塁の場面で、先発の諏訪に代わり中原が、マウンドに立った。直球が切れ、四回三分の二を投げて、自責点0。エースの意地を見せた。倉敷工、最後の攻撃。
二死から、代打の稲岡、白神、渡辺の3連打で1点を返すが反撃もここまで。

つづく
随時掲載

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朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

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和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会