捲土重来 平成8年の夏 10

 平成8年。この年、県高野連発足50周年を記念して、朝日新聞社にお願いして、新しく 優勝旗 を新調した。この新しい 優勝旗 を、そして 甲子園を目指した戦いが始まる。この年、春の選抜甲子園で、4強入りした 岡山城東は、春夏の連続出場を目指す。また、夏の甲子園3年連続出場を狙う 関西。倉敷工 は春の県大会決勝で、 岡山城東 に敗れ 準優勝。続く、八校選抜( 現在は廃止 )も、決勝で、同じく 岡山城東 に敗れ準優勝。 倉敷工 3度目の正直となるか。もう、準優勝はいらない。県大会を前にして、ミーティングが開かれた。ナインは一人一人に思いを語った。その思いの中、【 監督さんは、試合中は 笑顔 でいて下さい 】と。ここで、当HPが見た、チームの横顔を紹介したい。一番センター 北條二番セカンド 西川 は、出塁率が高く走ってかき回す。そして、クリーンアップで返すのが、パターン。 エース中原 は、コントロールが良く、ストレートに威力がある。捕手の 福原 は、強肩で長打力はチーム一。サードの 坪井 はパワーヒッターで足も速い。ショートの 渡辺 は、チーム一の努力家であり守備力は、抜群。レフト 藤原 は、パワーヒッターで、守備もいい。ライト白神 はリストが柔らかく 強肩巧打。個性揃いの 倉工ナイン。やはり一番北條、二番西川の、1番2番コンビが相手チームに 脅威を与えるのは間違いない。こうして、第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会が開幕する。 倉敷工 は、第2シード。初戦は、一回戦延長で勝利した笠岡工。一回表、 笠岡工 の攻撃。 倉敷工 は、いきなり満塁のピンチに立つ。その満塁から、ヒットを打たれ1点を献上。だが、二回に1点、三回に2点を上げ逆転に成功。終わって見れば 5対1 の勝利。投げては、エース中原が、10個の奪三振。特に九回の、3者連続奪三振は圧巻。3回戦は打倒倉工を目指し、金星を挙げたい 玉島商 だった。

つづく   随時掲載お願い  
本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参 考  山陽新聞社  「 灼熱の記憶 」
協 力  和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部監督 」
     中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部部長 監督 」
     西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 9

平成8年。 和泉 と 中山 のコンビは、他校に先駆けて画期的な事を次から次へと起こしていく。メンタルトレーニングの導入、ナイター戦の実現に引き続き、教育リーグを実施する。この、教育リーグとは、ベンチに入れない三年生と、一年生の中から 有望選手 を選抜しチームを作り、他校と交流試合を行うもの。一年生にとっては、いい経験になるであろう。ナイター戦 と 教育リーグ について、 和泉 と 中山 は「 生徒の想い出作りのために始めました。 」と、口を揃えて言う。だが本当に想い出作りだけなのであろうか。他にも 狙い 意図 があったのではなかろうか。真の 狙い 意図 とは何か。それは、次の事の様に考えられる。
【 野球の楽しさ 野球の面白さ を実感してほしい 】そして【 卒業しても決して 野球 を嫌いにならないように。どんな形でもよいから、 野球 を続けていってほしい。 野球 を愛し続けてほしい。 】との、狙いがあったのではなかろうか。交流試合会場に、運び込まれた一個の白いボールが選手たちの 夢 を育む。
さらに、画期的な事は続く。工業交流大会を始めたのも、この年からだった。県立工業高校にとって、国家試験において資格取得というのがある。その資格取得のために、補習授業があり、時には休日でも、登校して、補習授業を受ける事さえある。そのために、思うような練習時間が確保できないという、ハンディーがある。そのハンディーを、お互い克服して行く事を、目的として、 水島工 津山工 東岡山工 等といった県立工業高校同志で、交流試合を始めたのだった。こうして、平成8年夏の、県予選が間近に迫って来た。平成6年県一年生大会で優秀校に輝いたメンバーにとって、 甲子園 に向けて、一球一打にかける最後の勝負の戦いが始まろうとしていた。県予選を前にして、ミーティングが開かれた。ナインは、 監督 和泉利典 にあるお願いを、したのだった。 つづく

参 考  山陽新聞社  「 灼熱の記憶 」

協 力  和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部監督 」

      中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部部長 監督 」

      西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

祝 日本野球連盟 ベストナイン

日本野球連盟 ( JABA ) は、2018年度社会人野球表彰の受賞者を発表し倉敷工高OBで、JFE西日本で活躍中の 三木 大知選手 が、ベストナインに輝きました。社会人野球日本選手権で 初優勝 した2004年以来の決勝に進んだJFE西日本。2年ぶり12度目の大会は、準々決勝で前回準優勝の 日本生命 を破る等、3試合連続無失点で勝ち上がり、 新日鉄住金鹿島 に 4対2。三菱重工名古屋との決勝は、延長13回の死闘の末に 1対2 で、わずかに頂点へは届きませんでした。こうした中、 三木 大知選手 は、打率3割5分、6打点をマークし、打撃賞を受賞しました。監督から、「 打撃に専念しろ 」と言われ、昨年の秋から、外野手に転向。4月のJABA岡山大会で 打率5割。5月のJABAベーブルース杯では4割3分 の高打率をマークしました。倉敷工時代は 中山 隆幸監督 のもと、秋の中国大会で優勝。その年の 明治神宮大会 に出場。そして、4番打者として悲願の選抜にも出場しました。選抜甲子園では、金光大阪に 11対10 で勝ち、中京大中京に 5対6 と食い下がりました。【 高校から応援して下さって、それが、今力になっているので、頑張れています。 】と、三木選手。現在、倉敷市役所に勤務している、同じ年の、元 高校球児は、「三木君は、すごかったです。2年生の春季大会で、倉工と対戦したんですが、倉敷市営球場で 三木君 にホームランを打たれたのを覚えています。」また、倉敷工高OBで、平成15年 和泉 利典監督 のもと甲子園に出場。あの 駒大苫小牧 今治西 を撃破し 甲子園2勝 を上げた 陶山 大介さんからは 『 ベストナインおめでとうございます。これから求められる事、周囲から見る目は変わりますが、自分のプレースタイルは変えずに、頑張ってほしいなと、思います。』と、コメントが寄せられました。陶山さんは、JFE西日本のエースとして、14年間プレーし、都市対抗には、7回出場。( チームとしては9回出場 )高速スライダーを武器に右上手から投げる本格派右腕でした。三木選手は【 元々打撃には、自信がありましたが、もっと伸ばしたいです。そして長打が打てるように、またチャンスに打てる事が、自分の仕事だと思っています。来年は、必ず都市対抗に出場して優勝できる様に、頑張ります。ベストナインも取りたいです。応援よろしくお願いします。 】今年の、JFE西日本は、若手投手が力投し、5試合とも 無失策。全国制覇時に、エースだった、 山下 敬之監督 からは、「 三木の責任は、大きい。安定した活躍を期待している。 」と、激が飛んでいるようです。今後も、 感動 勇気 希望力 を与え続けて下さい。頑張れ 三木 大知選手。

捲土重来 平成8年の夏 8

平成7年夏。県大会ベスト4。準決勝で、春の選抜甲子園に出場した 関西 と対戦。

全国的にも知られ、高校生離れした球威を誇る 左腕エース吉年投手 に対し

6点を叩き出した 倉工打線。 しかし、最後まで粘りきれず 6 対 7 の逆転負けを

喫す。この負けを、明日に繋げたい 倉敷工。運動能力抜群の 北條 西川。 特に

西川 のシャープなバットスイングは、光るものがある。打撃が良く、バントもうまい 坪井。

強肩で、捕手 内野手 もできる 福原。これら、2年生からの出場メンバーが、持ち味

に磨きをかけ、チーム力は着々と向上した。迎えた平成8年。平成6年県一年生大会

で、優秀校に輝いたメンバーにとって、勝負の年となる。この平成8年 和泉 と 中山

のコンビは、他校に先駆けて、画期的な事を起こす。まずは、メンタルトレーニングの導入。

あらゆる事を想像しての、トレーニング。このメンタルトレーニングが、後で大きく役立つ事

になる。次は ナイター戦。夏の県予選において、ベンチに入れない 3年生 の選手同士

が、ナイターで試合を行うもの。スコアーボードをフル活用し、場内アナウンスをつけ

ベンチ入り予定選手は、チームメイトへの応援に熱が入る。さらに、応援団 ブラスバンド部

も登場し、白熱した 応援合戦 が繰り広がれる。この映えある、第一戦は、倉敷市営

球場で、 倉敷商 と実現し、 1 対 0 で 倉敷工 が勝利を飾った。このナイター戦

が、チームの 団結力 を生む。ナイター戦は、現在でも、 倉敷マスカット球場 で

行われている。 和泉 と 中山 のコンビの画期的な事は、さらに続く。

つづく  随時掲載

 

お願い  本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参 考  山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協 力  和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部監督 」

中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部部長 監督 」

西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 7

平成7年夏。 和泉 と 中山 のコンビは、OBコーチ 藤原 と 永山 の

助言を得て、近年にない大型チームを作りあげる。県春季ベスト4、8校選抜優勝。

「 8校選抜は、現在は廃止 」 甲子園が見える。 倉敷工 は、エース辻村

に加え、球速140を超え、社会人野球注目の 平 がリリーフし、勝利の方程式

が、完成。打線も 4番平 を中心に、上位下位何処からでも、得点が取れる。

快進撃を続ける 倉敷工。

倉敷工 6 - 2 津山

倉敷工 6 - 4 和気閑谷

倉敷工 9 - 8 倉敷商

準決勝は、この年選抜甲子園に出場し、エース吉年投手を擁する、最大の難敵

関西。吉年投手は、全国的にも知られ、高校生離れした球威を誇る。 倉敷工

としては、何としても打ち崩したいところ。試合が始まった。いきなり倉工打線が、

吉年投手に襲いかかった。 4番平 の左中間への豪快なホームランかと思える、

フェンス直撃弾をはじめ、前半を終えて、6点のリード。吉年投手を攻略し勝負

ありかと思われたが、さすがに 関西 も意地がある。 倉工エース辻村 に疲れが

見え始めた後半、関西打線が爆発。試合が終わって見れば、 6 対 7 の

逆転負けを喫したのだった。

準決勝   倉敷工 6 - 7 関西

『 関西の方が、より多くの経験を積んでいたと、思います。 』と、和泉。

『 準々決勝、倉商戦と、準決勝、関西戦は、天国と地獄を味わったようで。

記憶に残る試合となりました。 』と、中山。

敗戦は、時として、チームを強くする。 負け から、学ぶ事さえある。

倉工野球の 意気 と 誇り と 苦闘 の日々はつづく。

つづく   随時掲載

 

お願い  本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参 考  山陽新聞社  「 灼熱の記憶 」

協 力  和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部監督 」

中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部部長 監督 」

西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

共創 共に創り上げる喜びを

11月9,10日 「 共創 共に創り上げる喜びを 」を、テーマに 第70回倉工祭 文化の部 が盛大に開催されました。

一般公開となった、10日は早朝から他校の生徒さんをはじめ、保護者、そして昭和20年入学の3人をはじめとする多くの、おいまつ会会員が、詰めかけしました。

おいまつ会館では、今年も おいまつ会作品展 を開催し、同窓生の絵画 書道 彫刻 等の展示を行いました。その中で最も注目を浴びたのは、『 倉工硬式野球部77年の歩み 』と、題し 昭和24年甲子園初出場した時の写真から、平成21年選抜甲子園出場に至るまでの写真パネルでしたが、多くの人々が、足を止めて見入っていました。さらに、当HPで、お馴染みの 「 青春ヒーロー プレイバック 黄金の左腕 小山稔物語 」を、印刷して、展示したのも、多くの女性から人気を博していました。

 

今後の課題としては、より一層の展示物を期待したいと思います。

 

がんばれ倉工   輝け 美しい文化の倉工

 

捲土重来 平成8年の夏 6

倉敷工野球部 部長中山 隆幸  監督和泉 利典。

この若い二人を、補佐し支えて行く、二人のOBコーチ。藤原 勝利( 昭36年卒 )

と、永山 勝利( 昭38年卒 )。二人とも、甲子園 と 国体 に出場経験を持つ。

遊撃手だった 藤原 は、主に 守備コーチ を担当。【 私らの現役時代は、たとえば

打撃練習では、一本めをバントして、二本めから打撃なんですが、そのバントを失敗

したら、もう打たしてくれないんですからね。一つも気がぬけませんでした。それから

ランナーを二人出したとします。例えば一三塁とします。それで、どちらかのランナーを

牽制で挟んだとします。すると、二人のランナーを、アウトにする練習をしていました。

二人のランナーをアウトにするには、9人全員がわかっていないと、無理ですからね。 】

と、語る 藤原。卒業後、石油関係の会社の 軟式野球部 の主力として活躍。

50歳以上のシニアの部で、岡山県代表選手として、長崎国体で準優勝の実績を持つ。

一方、 永山 は、全国屈指の好投手、エースを欠きながらも 炎の闘志と団結力で

甲子園出場を勝ち取った昭和36年夏。そのエースの 代役 として活躍。

あの、高校野球不滅の名勝負 対報徳学園 戦の時の投手。二年連続で甲子園

出場を果たしている。卒業後は、社会人野球 東洋紡岩国 で野球を続け

社会人野球最高峰の大会 都市対抗 にも出場。倉敷に帰ってからは、自動車

関係の会社に勤務し、自社野球部の監督として、 秩父宮杯全国準硬式野球大会

において、 全国準優勝 にまで導いている。投手コーチを担当。選手との年齢差が

親子ほどに大きいものの、コミュニケーションを大事に進めて行く、 藤原 と 永山 の

両コーチ。内野手の 西川 剛正 は、「 藤原さんと永山さんは、よく僕らの話を

聞いて下さいました。そして、理解してくれましたね。 」 また、倉敷工は全国屈指の

名門校。甲子園に出場する度に、何か話題を ふるさと倉敷 に持って帰る。

それだけに、熱烈なファンも多い。時には、外部やOBからの圧力もある。そうした

圧力を、両コーチは一切遮断。 和泉 中山 の指導がしやすくサポート。

『 とにかく指導に集中できる様になりました。選手から信頼を得られました。』と、和泉。

また、両コーチは 父母会 の意識改革にも乗り出す。その結果、野球部 スタッフ一同

そして 父母会 一同が、一体感が生まれたのだった。体制は、できた。

こうして、平成7年夏。暗く長かったトンネルに、光がさしてきた。遠かった 甲子園 へ

の道。甲子園の、あの大歓声が聞こえて来るところまで来ていた。

つづく   随時掲載

 

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参 考  山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協 力  和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部監督 」

中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部部長 監督 」

西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 5

「 一年生大会の時は、中山先生が良くノックをしてくれましてね。大会試合の時は
和泉先生が監督として、采配でした。とにかく無我夢中で必死で頑張りました。

大会に入ると、試合ができるという喜びがありましたね。もう、怖い物知らずでした。」

こう語るのは、内野手 西川 剛正。現在は、倉敷工野球部コーチ。

この一年生大会は、一年生で退部するのを防ぐと共に、一年生全員が、どこかで

出場する事を趣旨としている。また A、B の2ブロックに別れていて、各ブロックの

優勝チームが、 優秀校 として表彰されるものである。決勝戦は、行わない。

平成6年県一年生大会で、 倉敷工 は その優秀校 となる。

倉敷工  8 -1 作陽

倉敷工 12 - 1 東岡山工

倉敷工 14 - 1 玉野

決勝 倉敷工 13 - 3 玉島商

暗く長いトンネルが続いていた 倉敷工。ここに来て、やっと出口が見つかりかけた

平成6年。この大会の主戦投手は、 中原 俊博。右打者に対し、インコースに

ナチュラルシュートがあり、インコースに投げ切れる投手。そして、アウトコース低めに

決まる、 伸び 切れ があるストレートが持ち味。和泉監督は 『 そこそこは

できるチームだなと感じました。手応えを感じましたね。 』

こうした中、 部長、監督 を補佐し支えて行く 二人のOBコーチがいた。

つづく  随時掲載

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協 力  和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部監督 」

中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部部長 監督 」

西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 4

監督がいない 倉敷工野球部。その期間は約5か月にも及んだのだった。

そうした中、和泉らが最終学年に差し掛かろうとした、3月末やっと新監督が誕生した。

名前は、OB吉田 豊。昭和47年選抜甲子園ベスト8の時の内野手。吉田は卒業後、大学に進学( 大東文化大 )。卒業と同時に倉敷工監督となった。

主将和泉は、ナインに訴えた。「今日は、新監督が来る日。ちゃんと大きな声で挨拶をしよう。練習も気合いを入れて、監督に気にいってもらえるようにしよう。」と。そして和泉は、退部していた、本来のエースを呼び戻したのだった。こうして、若き青年指揮官と、共に夏の甲子園を目指す事になった。結局、夏の予選は、準々決勝で岡山南に敗れ、甲子園への道は絶たれた。この年、水島工が甲子園初出場した。和泉は卒業後、法政大に進学。走力と打力には、自信があったが、全国から集まった精鋭たちの前に、あまくはなかった。 法政大を卒業した和泉は、理大附の教壇に立ったが、すぐに倉敷工校長から「和泉よ、倉工に帰って来い」と言われ、その後長いこと 倉敷工野球部監督をする事になる。しかし、思うようにはいかず、マスコミから厳しい言葉を受ける事もあったという。こうして、時は過ぎ平成6年を迎えた。監督経験もある、頼もしきOB中山隆幸を野球部部長として迎え、和泉と中山のコンビが誕生。あくまでも、野球を通じて人としての心、人間性を重んじる中山の野球道。一方、どんな投手でも、打ち崩せる打撃チームを理想とし、戦術面で時には、緻密な作戦を用いた、小沢野球を追求して行く監督和泉利典。平成6年の一年生を見た和泉は、『面白い奴が多いなあ』と感じたという。「特に、北條なんか、中学のスポーツバッチテストが、100点満点でしたからね。いいのが、来たなと思いましたよ。」こうして県一年生大会を前にして、中山の猛ノックが始まった。

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参 考  山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協 力  和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部監督 」
中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部部長 監督 」
西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

祈 花園出場 夢を抱いて走れ ラグビー部

( One for All,  All for One )
ラグビーで、良く使われる言葉であります。その意味は 「一人一人が、自分自身の役割を把握し、それを果たした上で、全体の事を考えるのが本来。」が、精神だと言われています。
昨年、倉敷工ラグビー部監督に就任し、4年ぶりの 花園出場 へと導いた 黒住 晃 監督。昨年末にあった一回戦で敗れたが、常勝 倉工 を育てていきたい 』と鼻息は荒い。テレビドラマ 「 スクールウォーズ 」を見て、ラグビーを通じて築かれて行く人間の成長に憧れたという 黒住監督。当、HPは 2年連続花園出場 を狙う倉敷工ラグビー部 黒住 晃監督 に単独インタビューを、試みた。

Q1  部員数は、何人か
3年生が19人。2年生9人。1年生7人です。女子マネージャー4人です。

Q2  春の大会から、夏合宿をやって、チームが成長したところはどこか
すべての面で、レベルが上がっていると、思います。

Q3  今年のチームの特徴 昨年と違う点とは
3年生が多い事ですね。花園経験者が 10人 いまして、みんな試合
に出ていますからね。運動能力が高い子がいますよ。

Q4  昨年の 花園出場 で監督として学んだ事とは
全国上位のチームは、パスの速さが違いますね。当たり合う コンタクト
の強さ が凄いです。

Q5  花園出場にあたり、ライバルとなるチームとはどこか
玉島高校でしょうか。一年生に、中学時代の経験者が、多いですからね。

Q6  今年の夏、どの様に チーム を鍛えたか
長崎県や愛媛県遠征をやって、全国トップレベルのチームと、合同合宿
を行いまして、全国レベルを知る事ができました。

Q7  今後の課題とは
全力で、最後まで 走り切る 体力作り が大事かと思います。

Q8  おいまつ会に一言
2連覇目指して頑張りますので、応援よろしくお願いします。
追記 岡山県予選は、美作ラグビーサッカー場で行われます。
11月11日 準決勝。11月18日決勝。


雨の中、練習するラグビー部

 


指揮する黒住監督(中央)


がんばれ、倉工ラグビー部

 


この重い、夢を抱いて、走れ!!

 

がんばれ 倉工   重い夢を 抱いて走れ 倉工ラグビー部

取材日:平成30年9月15日