熱闘甲子園 今昔物語 56 栄光の足跡 44

第81回選抜高校野球大会

【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
出場32チーム入場曲「キセキ」
優勝 清峰(長崎)、準優勝 花巻東(岩手)
「野球は、投手力。」を、改めて実証した大会だった。
19奪三振の興南島袋。9回を無安打に封じたPL学園中野。技巧派の利府塚本ら参考になる好投手が多かった。大会を通じ四死球206。失策66は、過去10年間で最小。ボール1個分低くなったストライクゾーンの影響により、打撃陣の低調さが目についた。
バントミスなど、全体的に攻めが淡泊。初球の明らかなボール球に手を出す事も目についた大会だった。
テンポのいい試合はいいが、積極性と混同してはいけないであろう。

【はじめに2】
「好球必打。」「(バットを)振り切れ。」「スピード重視の野球。」
ボール球には、絶対に手を出さず、「いける」「打てる」と思った球は、1球目から積極的に打っていく倉敷工が、大接戦を制した。

金光大阪210 120 003 001 10
倉敷工 100 301 013 002 11
(延長12回)
倉敷工投手 山崎→早藤
本塁打 三村

『開会式直後の、開幕試合』
『超満員の、甲子園球場』
常に追う展開だった、倉敷工が18安打で、投手陣を盛り立てながら、開幕戦を劇的に飾った。
延長12回、三村、三木らの連打で追いつくと、日下がライトへ決勝打を放った。20安打した金光大阪の攻撃も迫力あったが、守備で粘り切れず甲子園初勝利を土壇場で逃がした。参考までに、金光大阪は、安打20。二塁打7。三塁打1。本塁打1。失策3。
倉敷工は、安打18。二塁打4。三塁打1。本塁打1。失策1。
2回戦は、プロ注目堂林のいる、超名門中京大中京だった。


つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送はありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 55 栄光の足跡 43

第81回選抜高校野球大会

【選抜への道】
西部地区予選
苦しみながらも、4戦全勝で県大会出場となる。

岡山県秋季大会
倉敷工10―0岡山共生
倉敷工5―4関西
二回を終え、0対4。意気消沈するナインに、中山監督が激。「終盤、必ずチャンスがある。絶対諦めるな。」
八回に同点とし、延長10回、5対4で勝つ。チーム全体に、一体感と自信が、芽生え始めた。

準決勝 倉敷工8―12玉野光南(延長10回)
3位決定戦 倉敷工6―9倉敷

秋季中国地区大会
倉敷工4―1宇部鴻城
倉敷工12―5作陽
作陽は、県秋季大会優勝校。倉工は、初回3失点。
その裏、2点を取り返す。この回、1番頼の一振りがベンチのムードを一変させる。頼の一撃が、倉工の勢いを、爆発させる。

準決勝 倉敷工2―1鳥取城北
粘りと思い切り。2対1と、際どく競り勝った試合は圧巻。
0対1で迎えた九回裏。一死二三塁で、エース山崎が放った打球は、ライトの頭上を越える。しかし、二塁走者のスタートが遅れ、ホームタッチアウト。二三塁に走者が残ったが、後がない土壇場。7番内山が0-1から真ん中低めのストレートをフルスイングして、ライト前へ。
1対1の同点とする。延長12回、摘出でサヨナラ勝ち。

決勝 倉敷工4―1南陽江
一回、1番打者頼が、初球安打で出塁。後続もたたみかけわずか、7球で5人を送り込んだ速攻。2点を先取して流れをつかむ。3回めの、中国地区優勝となる。

【秋の中国大会優勝】
昭和38年。決勝で、尾道商に7対6で勝ち初優勝。
(岡山県営球場)
昭和46年。決勝で、鳥取工に6対5で勝ち2回めの優勝。(宇部市野球場)
今回(平成20年)、決勝で南陽江に4対1で勝ち、3回めの優勝。(倉敷マスカット球場)

【34年ぶり10回めの春】
「伝統校としての誇りを胸に、目標の1勝を目指して高校生らしく、はつらつと戦う。」と、主将の頼宏樹。
エース山崎主記は、「甲子園のマウンドは楽しみ。
仲間を信じて、思い切り投げたい。」
中山隆幸監督は、「チャレンジャー精神でまずは、1勝。」と意気込むのだった。

つづく
随時掲載

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本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 54 栄光の足跡 42

第81回選抜高校野球大会

【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
出場32チーム
入場曲「キセキ」
優勝 清峰(長崎)、準優勝 花巻東(岩手)

清峰が、3年前の決勝で大敗した雪辱を果たした。
ほぼ5試合を1失点に抑えた大会屈指の本格派、今村の力投を抜きには語れない。敗れはしたが、花巻東の左腕菊池もケレン味のない投球で対抗。「野球は、投手力」を改めて実証した。

【はじめに】
この年の前年(2008年3月)。夏の甲子園に、2度の出場に導き、合計7試合を戦った倉敷工野球部部長 中山隆幸が、監督に就任した。監督だった和泉利典は、総監督に就いた。

「待ちに待った春の便り」
「34年ぶり、10回め」
「倉敷工に、吉報」

県内最多の甲子園24勝を誇る古豪に、待ちに待った春の便りが届いた。
「吉報を報告したい。粘りの倉工野球を甲子園で見せて欲しい。」と福田憲治校長が、選抜出場決定を報告した。

昨秋まで、前評判は決して高くなかった。
「まさか、ここまで来られるとは。」とエース山崎主記。
岡山4位校として臨んだ中国大会で優勝。
準決勝の鳥取城北戦は、土壇場の九回に追いつき、延長十二回、2対1でサヨナラ勝ちした。無心の快進撃だった。
次号で、昨秋の戦績を振り返ってみたい。

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 53 栄光の足跡 41 特別編

明治維新140年記念
第39回明治神宮野球大会

【概要】
主催 明治神宮日本学生野球協会
期間 2008年(平成20年)11月15日~
野球場 明治神宮野球場
招待チーム 大学の部10チーム、高校の部10チーム

【はじめに】
2008年(平成20年)3月。夏の甲子園に2度の出場に導き、合計7試合を戦った倉敷工野球部部長中山隆幸が、母校倉敷工監督に就任。中山と同じく、甲子園7試合を戦った監督の和泉利典が、総監督に就いた。

「長く、中山には色々な面で支えてもらった。今度は、自分が支える番。」と和泉。

前任校で、監督経験があった新監督の中山ではあったが、母校倉敷工での監督は、初めてであり、一年めでもあった。それがこの年、秋の中国大会で優勝を飾って「中国地区代表明治神宮大会」初出場を果たしたのだった。

倉敷工 000 000 000 0
西 条 010 000 01X 2

倉敷工投手 山崎
本塁打

四国地区大会(代表)優勝校の西条が、エース秋山(のちに、阪神タイガース入り)の好投で、2回戦へ進出した。西条は、二回2死から佐伯の三塁打と井下の適時打で先制。八回にも、佐伯の適時打で、追加点を挙げた。倉敷工は、山崎が、粘投したが、打線が3安打に抑えられ、完敗だった。

【参考】
明治神宮大会は、高校の部10校が出場できる。
秋の各地区大会優勝校による大会である。

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 52 栄光の足跡 40

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

【概要】
2003
年8月7日~8月23日出場49チーム
1回戦駒大苫小牧8-0倉敷工(ノーゲーム)
倉敷工5―2駒大苫小牧
2回戦倉敷工4―3今治西
3回戦光星学院2―0倉敷工
対駒大苫小牧戦の仕切り直し。社会人野球JFE西日本で活躍するエース陶山大介が、鋭いスライダーで強力打線に立ち向かい、被安打6、奪三振9の好投。前日と別人のような出来に「立ち直りがすごい。」とあるチームの野球部部長が語った。

 【ヒーロー登場】
石本勝志(太鼓を叩き続けた応援団長)
「レッツゴー陶山」一際大きな声が、音頭をとった。
体ごとぶつかりそうな勢いで叩かれる太鼓。地面が揺れた。
スタンドが、一つになった。ノーゲームの試合。「応援じゃあ完全に負けてる。」大雨で、ブラスバンドも、太鼓もなかった。ずぶぬれになりながら、声をからした。
序盤からの劣勢に、座り込んだ。「絶対に逆転します。」
そう言いながらも、涙が止まらなかった。
再試合で、マメができても、平気な様に、手袋をつけ時々、バチを持つ手を変えた。

「気合で」太鼓を叩き続けた石本。
ようやく見えた、晴れ間の下で、帽子を脱いで汗をぬぐった石本だった。
がんばれ倉工
レッツゴー石本

古米竜士(伝統団旗で鼓舞した男)
台風の影響で、強い風の中、応援団の(当時の)2年生古米。アルプススタンドの最上段で、伝統の団旗を持ちナインを鼓舞した古米。岡山大会から、団旗の担当の古米。
ダンベルで鍛えた両腕で風をまともに受ける団旗をしっかり支えた。「今までで、一番重いです。」と、何度もよろけそうになったが、最上段に設置されている、看板に体を押し付けて、持ちこたえた。
ノーゲームになった試合は、高速道路の停滞で、駆けつける事が、出来なかったが、「甲子園で応援する夢がかなって、嬉しいです。」と、満足そうに話した古米だった。

がんばれ倉工
進め。夢から感動へ古米

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 51 栄光の足跡 39

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

 【概要】
2003年8月7日~8月23日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北

大会12日目。
倉敷工は、3回戦で光星学院(青森)に、0対2で、惜しくも敗れた。35年ぶりの8強入りは果たせなかったが、最後まで懸命にプレーした選手たちに、約1万5千人の観客から惜しみない拍手が送られた。

 【はじめに5】
甲子園での3試合目。
倉工三塁側アルプス席を埋めた約3000人の大応援団も戦っていた。グランドの選手と一体となって、この試合も最後まで逆転を信じ、大声援を送り続けたのだった。

倉敷工 000 000 000 0
光星学院100 010 00X 2(3回戦)
倉敷工投手 陶山
本塁打

光星学院の桑鶴投手が、二塁を踏ませず4安打完封勝利。
威力ある直球に、変化球をうまく配した。打線は、一回、田中の適時二塁打で先制。五回には、有本の右前適時打で加点した。光星学院の力強い振りが目立った。
倉敷工は、3併殺を喫し、盗塁失敗などでなかなか好機を作れなかった。
『打線沈黙―完敗』倉敷工打線が、4安打と沈黙し、8強入りを逃した。敗れはした
ものの、無四球2失点好投のエース陶山は、攻守を連発した守備陣に「ピンチを何度も救ってもらいました。みんなに感謝したい。」と語った。
1回戦の駒大苫小牧では、雨天ノーゲームの再試合で勝利。2回戦では、義足で奮闘する曽我選手を擁した今治西を倒すなど、話題を集めた倉敷工。
主将の須田は、「駒大苫小牧の人たちには、(勝てなくて申し訳ない)と伝えたい。」と話した。

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(
元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 50 栄光の足跡 38

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

【概要】
2003年8月7日~8月23日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北
大会9日目。
義足の三塁手として、注目を集めた今治西、曽我健太選手。
今大会№1右腕の選抜優勝投手、広陵、西村健太郎投手
(のちに巨人入り)が、甲子園を去った。

【はじめに4】
左足に義足をつけた今治西の曽我選手は、2回戦で甲子園を去った。涙で濡れた甲子園の土をかき集めた。「ここまで来ていなかったら、何もなかったと思います。」
夢舞台での想い出を、土と一緒にしまい込んだ。
四回の第二打席で、今大会初安打を記録し、続く第三打席では内野ゴロの間に打点もマーク。しかし、2試合で、計6打数、1安打、2三振、1死球、1犠打、1打点に、「もっと打ちたかった。」と唇を噛んだ。今後については「進学して野球を続けたい。」と語った曽我選手。
ハンディーを克服した姿は、全国の高校野球ファンに感動を与えたはずだ。

倉敷工 000 301 000 4
今治西 001 101 000 3(2回戦)
倉敷工投手 陶山
本塁打

倉敷工が、逆転で2回戦突破を果たした。
陶山は、苦しみながら、得意のスライダーをコーナーに決め、三、四、六回のピンチをいずれも1点で乗り切った。
粘りの投球で144球の完投勝利。
倉敷工は、1点を追う四回。一死一二塁から、須田が中前打。
中堅手が打球をはじく間に同点とし、さらに中堅からの三塁送球がそれる間に逆転。清水も中前適時打しリードを広げた。
今治西は、三回二死三塁から、黒川の内野安打で先制。
その後は、小刻みに反撃したが及ばなかった。守りの乱れで、失点した事が悔やまれる。

『苫小牧の分まで』執念の倉敷工
駒大苫小牧戦は、四回までに8点リードされたが降雨のため、ノーゲームに。前日の仕切り直しで、5対2で勝利。
試合後、主将の須田は、駒大の土島主将と握手して別れたが、心に何か引っかかっていた。周囲の目が、気になった。
誰にとがめられたわけでもないのに、悪者になったような感じだった。チーム全体に複雑な気分が広がった。
状況を変えるには、勝つしかない。「駒大苫小牧の分まで勝ち抜こう。」一人ひとりが、そう思った倉敷工だった。
勝利への執念を、かつてないほど燃やして挑んだ2回戦は今治西戦だった。

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 49 栄光の足跡 37

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

【概要】
2003
年8月7日~8月23日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北
大会三日目。台風が過ぎた甲子園球場で1回戦3試合を行い、春夏連覇を狙う広陵と倉敷工が、2回戦に進んだ。
広陵は、エース西村(後に巨人入り)が、東海大甲府から11三振を奪って完封した。

【はじめに3】
「あと一人、あと一人。」3点リードの九回裏倉敷工三塁側応援スタンドでは、スクールカラーの緑色のチュウリップハットをかぶり、燃えるような真っ赤なTシャツを身に着けた約2200人の大応援団。そして、赤と青のメガホンを打ち鳴らし、マウンドの陶山大介を後押しするように、大声援が沸き起こった。
最後の打者の打球を遊撃手渡部がグラブに収め、一塁手須田が一塁ベースを踏む。その瞬間、倉工ナインの勝利を祝福するかの様に、曇り空から太陽の光が差し込んだ。
大応援団は、肩を組み合い校歌が高らかに響き渡った。

倉 敷 工 012 101 000 5
駒大苫小牧 002 000 000 2
投手 陶山
本塁打

序盤から中盤にかけて、効果的に得点を重ねた倉敷工が駒大苫小牧を振り切った。倉敷工は、二回二死二塁から西野の中前打で先制すると、三回は、須田の左超え適時打と敵失で2点を追加。さらに、四、六回にも加点し、試合を優位に進めた。駒大エース白石投手に対して、コースに逆らわない打撃で攻略した。エース陶山の力投も見逃がせない。切れのある直球、スライダーを内外角に投げ分け、強打の駒大打線から9奪三振。失点を三回の2点に抑えた。
翌年から、夏の甲子園を2連覇し、2006年も決勝に進出するなど、全盛期を築いた駒大苫小牧にとっても語り草となるゲームだった。
『これが礼儀と監督』そして『心の野球』前日の試合で、四回途中まで0対8とリードされながら、大雨のためノーゲームに。この日、倉工ナインは、無言で下を向き、そして帽子は深くかぶり、球場を後にしたのだった。誰一人、笑顔の者はいない。
リセットの好機を得た選手たちは、見違えるような試合運びで駒大を圧倒。効果的に得点を加え、エース陶山が、2点に押さえる完勝だった。
倉敷工監督和泉利典は、真っ先に駒大苫小牧に対し「スポーツマンとして、申し訳ない気持ちでいましたが、一生懸命に試合をする事が礼儀だと思いました。」とコメント。敗者に敬意を表したのだった。
それは、部の大方針「心の指導」がもたらしたものと言えよう。
2回戦の相手は、義足で奮闘する曽我選手に注目が集まる今治西。絶望の淵から蘇った倉敷工が、「心の野球」で立ち向かう。

つづく
随時掲載

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朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(
元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 48 栄光の足跡 36

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

 【概要】
2003年8月7日~8月22日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北
忘れられない夏が開幕した。
開会式では、史上最多の4163校から勝ち上がった49代表の選手が入場行進。15日間にわたる熱戦が始まった。
倉敷工は、34番目に登場。ナインは、3万5千人の大観衆を前に、堂々とした入場行進。
それより前、球場に到着した時には、大勢の倉工ファンが、到着を待っていたのも事実。

 【はじめに】
大会第二日の、第2試合で倉敷工は、駒大苫小牧と対戦。失策やエース陶山の制球難で、大きくリードされたが、相手攻撃の途中で、大雨の影響で降雨コールドゲームになった。
西日本を襲った大雨で、応援団の乗ったバスが遅れ試合開始に間に合わない。ブラスバンド部も間に合わない。
高速道路を途中で降り、かろうじて、甲子園に到着できた控えの野球部員や生徒たち約300人が「かっ飛ばせ」「レッツゴー陶山」等と、懸命に声援を送る。
序盤から大差を付けられる展開だったが、四回途中から雨脚が強まり、二死一三塁で中断。そのままノーゲームが決まった。

倉敷工   000 00
駒大苫小牧 071 8  降雨ノーゲーム

陶山は、マウンド上で必死に緊張を抑えようとした。
初回は、自らの牽制球で無失点で切り抜けたが、二回から制球が乱れ始めた。高めに入った甘い直球を狙い打ちされ、下位打線から4連打。さらに、二死満塁から走者一掃の二塁打を浴びる。
「なぜ、打たれるのか。」考え続けるうちに益々冷静さを失っていく。
駒大の白石投手の力のある直球、スライダーに押され、三回まで無安打。四回表一死で初安打が出たが併殺打。ベンチも沈みがちで声が出ない。
四回裏二死三塁から四球を出したところで、雨がさらに強くなり、試合が中断。結局ノーゲームになった。
(チャンス貰った倉敷工だった)

つづく
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朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

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和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
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岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 47 栄光の足跡 35

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

 【概要】
2003年8月7日~8月22日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北

常総学院が、初優勝。この夏限りでの引退を表明していた木内監督の、花道を飾った。常総は、柳ヶ浦との接戦を制すると、続く二回戦では、リリーフが好投して、智弁和歌山を下す。鳥栖商戦は、雨によるグランドコンディション不良をついて、バント攻勢。桐生第一戦は、継投でしのぐ。
決勝は、控え選手を起用して、随所で「木内マジック」が光った。準優勝の東北は、2年生エース、ダルビッシュを軸に勝ち上がった。

今大会から、ベンチ入り選手数が、15人から18人になった。

【はじめに1】
倉敷工は、7年ぶり9回目の夏甲子園出場を決めた。
「投手はいい。守備もしっかりしている。特に、左打者が非常にしぶとい打撃をしている。こういうチームはなかなか持てませんよ。私も長く高校野球に携わってきましたけど、こういうチームは、なかなか持てませんでした。いいチームを、作っています。」
こう語るのは、元倉敷工監督小沢馨氏(故人)。
監督和泉利典、部長中山隆幸。
二人のコンビは、再び大型チームを作り上げる。

 【倉敷工猛打で夏切符】
岡山大会決勝。倉敷工が倉敷高を下し、7年ぶり9回目の夏の甲子園出場を決めた。
雨が降りしきる中、両チーム共に点を奪いあう熱戦。
倉敷工は、前半リードを奪われたが、六回に倉敷の守備の乱れを足がかりに、集中打で、一挙7点を挙げ逆転し、逃げ切った。

倉敷工 002 017 000 10
倉 敷 120 200 011  7

『レッツゴー陶山ダンダダンダダン』
三塁側倉工応援スタンドの大応援団約300人が,総立ちになって倉敷工エース陶山大介を見つめた。
倉敷工の打線が、火を噴いたのは六回。四球や敵失が続き同点に。さらに、一死満塁で、打席に立ったのは、初回に捕逸で先制点を許した萩原。「ポパイ」のテーマが鳴り響く中、萩原の打球は中継前に。
2人が本塁に帰る。湧き上がる倉工スタンド。
味方の援護を得たエース陶山は、調子を取り戻した。
最後の打者を、三振に打ち取った瞬間、大歓声と共に色とりどりのメガホンが、三塁側スタンドの宙を舞った。
行くぞ甲子園。ありがとう倉敷工業野球部。

つづく
随時掲載

甲子園出場を決め、大喜びでスタンド向かって走る倉工ナイン

萩原が、中前打を打ち、2者生還。 7対5と勝ち越す。

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送はありません。

協力
和泉利典(
元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会