大願成就 己に勝つ野球 27

第85回全国高校野球選手権記念大会第12日
倉敷工は、3回戦で青森光星学院に、0対2で惜しくも敗れた。
エース陶山は、無死球と力投。しかし、相手投手の緩球をつけた巧みな投球に打線が散発4安打に押さえ込まれ、三塁も踏む事もできず、8強入りはできなかった。しかし、約1万5000人の観衆から惜しみない拍手が送られた。
バックネット裏からは、『倉工また来いよ』『倉工いい試合を見せてくれてありがとう』の声が上がった。

倉敷工  000 000 000 0
光星学院 100 010 00x 2

一回裏、先頭打者。エース陶山は1球目をいきなり中前に弾き返され少し動揺した。
続く打者に送りバントを決められ一死二塁となる。
次打者は、左飛に打ち取ったが、4番打者に内角を狙ったスライダーが中寄りに入ったところを打たれ先制点を許す。
調子は、悪くなかった。だが、相手打線の振りは鋭く、甘く入った球を打たれる。そんなエース陶山をバックが盛り立てた。
二回裏、抜ければ長打という先頭打者の打球を、中堅手松本が懸命に追いかけジャンプして捕球。フェンスにぶつかって倒れながらもボールを離さなかった。
陶山は、松本にグラブを上げ「ありがとう」の思いを伝えた。
五回裏、二塁打を足がかりに、二死三塁から右前打で1点を加えられる。
七回裏、二死二三塁と攻められた場面では、伝令の赤沢がマウンドに駆け寄り陶山に笑顔で声を掛けた。「スタンドを見ろよ。あんなに沢山の人たちが応援してくれているよ。」陶山は、ぎっしりと観衆がつまった倉工三塁側アルプススタンドに目を向けた。
気持ちが落ち着いた。
次打者を、二塁ゴロに打ち取って切り抜ける。
岡山大会の準々決勝から一人で投げ抜いた陶山。
甲子園の一二回戦では四死球がそれぞれ4だったが、この光星学院戦では、ゼロ。
「みんなのお陰でここまで来れた。応援がすごかったので自分の力以上の投球が出来た。」試合後、涙をぬぐいながら真っ先に口にしたのは、チームメイトへの感謝の気持ち。
倉工三塁側アルプススタンドを埋めた約三千人の大応援団も戦った。
グランドの選手と一体となってこの試合も最後まで、逆転を信じ大応援を送り続けたのだった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 26

第85回全国高校野球選手権記念大会
倉敷工VS今治西

倉敷工7年ぶり9回目の甲子園出場。今治西は、22年ぶり8回目の出場。
こうした名門同志、古豪同志の対戦は多くの観衆を集める。この日発表された観衆は、45,000人。それだけに、両校の応援合戦はすさまじい。
「スタンドは超満員でしたが、気持ちは余裕がありましたね。」と倉敷工中山隆幸部長。(中山は、部長、監督として甲子園で9試合を戦った。)
今治西の愛媛大会のチーム打率は、3割8分を超える強打のチーム。
一回戦で日大東北を3安打完封したエース豊嶋投手に対し、倉敷工は三回まで内野安打1本に押さえられていた。しかし、豊嶋投手を攻略できたのはマネージャー兼記録員の一宮周平の研究があったからである。

倉敷工 000 301 000 4
今治西 001 101 000 3

一宮は、宿舎で今治西のビデオを見ていた。
「初球はいつも甘い」相手投手の癖を見抜き、ナインに伝えた。
四回、須田洋光の打席。
一宮は、ベンチの片隅で試合前田中勇気に書いてもらった「魂」という字を握りしめていた。
「初球だぞ。初球を行け」その初球、須田は外角のストレートをフルスイング。
打球は、中前に。処理を焦った相手の失策を誘い逆転に成功。
「よっしゃ~」読みどおりの展開に一宮の握り拳にさらに力が入った。

新聞に『倉工鮮やか逆転』
『相手投手のくせ研究』と出た。

勝ちが目前に迫った九回裏。
二死から内野安打で、同点の走者が出た。

この試合、三度目の伝令に行った赤沢亮平は、ナインの顔を見た。
余裕のある笑顔を確認すると、三塁側を指して投手の陶山大介に言った。
「一人でやるな。俺たちは、勝つためにここにおるんじゃ。」

指先にある、超満員倉工アルプススタンドからは、「レッツゴー陶山」の陶山コールが、響いていた。
一呼吸置いた陶山はカウント3ボール2ストライクから、この試合一番のスライダーを決めた。
すると、バックネット裏にいた大観衆は、一斉に立ち上がって拍手をしたのだった。
倉敷工は、8強入りを懸けて、青森光星学院と対戦する事になる。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 25

五万観衆の歓声がとどろく。センターポールに緑の校旗がはためく。
折しも、沸き起こる校歌の吹奏。「水島灘の沖行く白帆も~」
大甲子園にこだまする勝利の賛歌。聞く度に、いいなあと思う。
(おいまつ会会員名簿より引用)
第85回全国高校野球選手権記念大会第9日目、二回戦春の四国大会優勝の強豪今治西と対戦した倉敷工は、再三のピンチを耐えながらチャンスでは見事な集中打を見せ4対3で逆転勝ちした。

倉敷工000 301 000 4
今治西001 101 000 3

1点を先制された四回表。倉敷工はビックイニングを迎える。
松本の安打。渡部の四球で一死一二塁とする。続く須田は一回戦に続き中前打。相手野手の失策もあり2者が帰り勝ち越し。清水も中前打で3点目。また、競り合いの展開では、アウトカウントを増やしても走者を先の塁に進めた方が効果的な時もある。その倉敷工の決勝点は、六回。
一死から、左前打で出た一塁走者を、バントで送った。
「併殺が頭をよぎったので、バントで得点圏に走者を進め、相手にプレッシャーをかけたかった。」と和泉利典監督。ここで萩原が、走者が二塁に進んだ事で浅めに守っていたセンターの頭上を抜く適時二塁打を放つ。倉敷工は、駒大苫小牧との一回戦でも、二回一死一塁から送りバントで走者を進め、先制適時打につなげた。
和泉監督は、「一死一塁からのバントは、うちにとっては通常のプレー」と話した。
そのランナー二塁のこだわりが、難敵今治西を倒したのである。
新聞に、『倉敷工粘った守った』『倉工鮮やか逆転』『倉敷工今治西に競り勝つ』等と出た。
三塁側倉工応援アルプススタンドでは、倉敷工倉敷南高松農の3校が合同で演奏した。倉敷工吹奏楽部柚木律子顧問が、97年に倉工に赴任した時、倉敷南顧問と「もし、甲子園に出たら合同で演奏しよう。」と約束を交わしていた。また、日頃から交流のある高松農も加わり合計約90人の部員が演奏を繰り広げたのである。
柚木顧問は、「7年越しの約束が実りました。」と満足そうに部員の演奏を指揮したのだった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 24

ヒーロー赤沢亮平
大きな声で、勝利に貢献する倉敷工三塁コーチャー。
和泉利典監督から、甲子園でのベンチ入り選手が発表されるのと同時に背番号が配られた時の事だった。指揮官から「赤沢亮平」と呼び出された。すると、誰よりも大きな声で「はあい」と大声を上げ背番号14を受け取った。その大声が、仲間にも笑顔を与えた。
赤沢は、中学生の時「倉敷ビガース」のエースとしてチームを中四国大会優勝に2度導くなど大活躍。それだけに、ナインの心理状態や苦悩が、よくわかる選手。レギュラーの座は逃がしたが「チームの役に立ちたい」と側面からの支援に全力を注ぐ。
対駒大苫小牧戦。六回裏、無死一二塁のピンチ。顔をこわばせてマウンドに集まる内野陣のもとへベンチを飛び出し全力疾走で駆け寄った。
開口一番「いや~。昨日、彼女に振られちゃったよ。」一瞬の沈黙の後、内野陣に笑顔が戻った。「こんなピンチはどうってことない。何て事ない。何点取られてもいいから、野球を楽しもう。」直後、相手打線を2三振と盗塁死に抑え最大の危機を脱した。「野球は9人でやるものではない。」が持論。「力を抜け。」三塁コーチャーボックスから大きな声が途切れる事はない。指揮官からも「一番野球を知っている。」と太鼓判。
二回裏の攻撃で当たりは浅かったが、迷わず二塁走者を先制の本塁へと向かわせた。「センターがボールを弾くような気がした。だめでも次の回は俊足の大森だから。」後に、倉敷工監督に就く事になる中山隆幸部長は「チームを一つに、まとめてくれる。」と全幅の信頼を置く。仲間は「亮平は、10人目のレギュラー」と言う。
赤沢は、三塁を蹴って本塁に帰れるタイミングを研究。練習試合で外野手の肩の力と走者の走力を見て、回せるタイミングを探した。それには打球と走者が、一つの視野に入れる位置取りが大事であろう。
こうした赤沢を、大会のダイジェスト番組「熱闘甲子園」のキャスターを務める長嶋三奈氏が取材に来た。長嶋氏の父は長嶋茂雄元巨人監督。その取材の模様と試合で三塁コーチャーの中から、大声と右手をグルグル回すコーチャーぶりが「熱闘甲子園」の中で放送されたのである。
次の相手は今治西。「僕の笑顔でリラックスしてくれるのなら本望。これからも、選手のプレーしやすい雰囲気を作りたい。」と赤沢。
三塁コーチャーボックスが自分のポジション。背番号14赤沢亮平、なるべく長く甲子園にいたい。しかし、伝令に行きベンチに帰るとぐっと白球を握りしめ、バットにチラッと目をやる事もあったのはなぜなのだろうか。
【岡山県代表倉敷工業高等学校三塁コーチャーは、赤沢君】
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)
協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 23

第85回全国高校野球選手権大会2003年(平成15年)8月15日
阪神甲子園球場

倉 敷 工012 101 000 5
駒大苫小牧002 000 000 2

ノーゲームだった前日、抑え込まれた倉敷工が、駒大苫小牧エース白石投手を攻略。二回、西野の中前打で1点を先制。三回にも、須田の二塁打と敵出で2点。その後も、大森のスクイズで萩原がホームを踏み加点。エース陶山は、2失点と力投。駒大苫小牧は、三回に桑原の中前打で1点に迫ったが、好機で適時打を欠いた。

卒業後、社会人野球JFE西日本で活躍する事になるエース陶山大介が鋭い高速スライダーで強力打線に立ち向かい被安打6、奪三振9の好投。前日と別人のような出来に「立ち直りがすごい」との声が上がった。倉敷工は、2回戦(今治西)も突破し、35年ぶりの8強まであと1勝に迫る躍進。
(当HP大願成就で今治西戦も紹介予定です。)
2006年も決勝に進出するなど、全盛期を築いた駒大苫小牧にとって語り草となるゲームとなった。

『倉敷工投打にはつらつ』『スタンド興奮の渦』と新聞に出た。「あと一人、あと一人。」3点リードの九回裏倉工3塁側アルプススタンドでは、スクールカラーの緑色のチューリップハットをかぶり、燃えるような真っ赤なTシャツを身に着けた約2200人の大応援団から、赤と青のメガホンを打ち鳴らし、マウンドの陶山を後押しするように大声援が沸き起こった。最後の打者の打球を遊撃手渡部和博がしっかりとグラブに収め、須田洋光が一塁ベースを踏んだ瞬間、倉工ナインの勝利を祝福するかのように雨のばらつく曇り空から太陽の光が差し込んだのだった。スタンドの大応援団は、肩を組み合いあい、校歌が高らかに響き渡った。
つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 22

第85回全国高校野球選手権大会 大会2日目 第2試合
7年ぶり9回目の純白のユニホームを甲子園に見せた倉敷工。
倉敷工は、駒大苫小牧(南北海道)との一回戦に臨んだが、四回途中で降雨ノーゲームとなった。大差で負けていた倉敷工にとって、もう一度チャンスが与えられる天の恵みになった。

倉 敷 工 000 0
駒大苫小牧 071 0×

この点差で仕切り直しとなり、相手チームのことを考えると倉工ナインには複雑な思いが残るだろう。だが、ここは甲子園。
岡山県の代表校として、気持ちを切り替え勝負に徹してほしい。

この日の夜のミーティングの時だった。和泉利典監督は、選手全員にレポートを書かせた。「力を発揮できなかった原因」、「明日への心を整備」などを中心とした内容だった。
そのミーティングは、5時間以上にも及んだという。
捕手の萩原竜一は宿舎でこの試合のビデオを見ると、自分の構えやミットが真ん中に入り、陶山に投げにくくさせていたことに気がついた。「次は、どんどん内角に攻めるぞ。」萩原は反省を踏まえ、強気の内角攻めを誓った。「将来は、指導者として野球の素晴らしさを教えたい。」と熱く語る。
「弱気は最大の敵。敵は相手ではなく、自分自身にある。」
伝えたい経験が、また一つ増えた。

この試合で、一本の安打を記録した松本勝志は、「ノーゲームになって正直助かった。もう一度試合ができるチャンスを与えられたのだから、次はできることを一生懸命やりたい。」

田中勇気は、「これからと意気込んでいたので気持ちをくじかれた気もするが、堅実に得点する野球を取り戻したい。」と話した。

倉工ナインは、雪辱に燃えたのだった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 21

第85回全国高校野球選手権大会 於阪神甲子園球場
7年ぶり9回目の出場倉敷工業高校
大会2日目第2試合

倉敷工(岡山)VS駒大苫小牧(南北海道)

倉 敷 工0000
駒大苫小牧0710

大雨が西日本を襲った。岡山から駆け付ける予定の応援バスの大部分が大雨で試合開始に間に合わないアクシデントで幕開け。空席が目立つ3塁側倉工応援アルプス席。中山隆幸部長に、高野連から厳しい指摘が飛んだ。「倉敷工業の、応援団はどうなってるんですか。まだ、来てないじゃあないですか。」と。中山部長は、「すみません」と頭を下げるしかなかった。大雨で高速道路が止まって立ち往生しているためだった。部長というものは、応援団も兼ねる総責任者なのである。
「ブラスバンドも太鼓も間に合わないので、遅れてくる人の分まで応援しなければ。」と、哲西町からの応援団約30人。

倉敷工業高校から一斉に出発した応援バスであったが、高速道路を途中で下り、それぞれの運転手の判断で地道で甲子園に向かっていた。やっと到着した数台のバスは甲子園入口に横付けし、応援団が川のように雨水が流れる階段をアルプス席まで駆け上がった瞬間、倉敷工対駒大苫小牧の試合は、四回途中でノーゲームになった。

東條主審が、「台風接近という情報があり、ゲームの成立の見込みがないと判断した。」と説明。脇村高野連会長は、「天気予報が午後2時頃までもつと言うので第2試合まではできると思ったが、予想に反して雨が降った。」と残念がったのだった。

無情の雨に消え行く勝利。
グランドは、田んぼ状態。倉工応援アルプス席は、滝のように流れる雨水。倉敷工エース陶山大介は、うなだれた。「自分の投球ができず、みんなに申し訳ない。」制球が定まらず本調子には程遠かった。
二回、四死球絡みで走者をため、連打、連打で、一挙7失点。高めに浮いた球を狙い打ちされ投球も単調に。もはや、挽回不可能な状態。序盤から大差を付けられる展開だったが、四回裏途中からさらに雨が強まり、二死一、三塁で中断。そのままノーゲームが決まった。ベンチに引き上げた倉工ナインは、雨でびっしょり。二塁手の、2番大森伸哉は、「やり直せるのはラッキー。神様が味方してくれた。」と素直に喜んだ。エース右腕は、「明日こそは。という気持ちです。ボール球を振らせる投球をしたい。」右腕は、いや、倉工ナインは、雪辱を誓った。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 20

倉敷工ナイン、あこがれの土踏む。ナインは、ノックや連係プレー、玉の転がりを確認。

(平成15年)8月7日開幕の夏の甲子園に出場する倉敷工は、5日西宮市の阪神甲子園球場で甲子園練習を行った。あこがれのグランドに初めて足を踏み入れたナインは、少しそわそわした落ち着かない様子ながらも表情は、晴れやかな笑顔。ノックやランナーを置いての連係プレーなど守備練習を中心に行い、グラウンドの広さや、玉の転がり方などを繰り返し確かめた。マウンドに登り、約10球を投げ込んだ、エース陶山大介は「思っていたよりも狭い印象。本番は、何も考えずキャッチャーミットめがけて投げたい。」と話した。また、守備の要の渡部和博は「試合では、少しでも前に出ていいバウンドで捕球したい。守りからリズムを作り、ミスで自滅することだけは避けたい。」と話した。
『平成15年、8月6日付中国新聞を参考にしました。』

倉敷工はつらつ行進。甲子園球場で、7日開幕した第85回全国高校野球選手権大会の開会式で、倉敷工ナインは、はつらつとした行進を見せ、初戦への意気込みを新たにした。開会式では、主将須田洋光を先頭に18人が腕を高く振り上げながら入場。『いち、いち、いちに』と全員で声を掛け、声を出し、息の合った行進を見せた。
入場行進でプラカードを持って先導した、西宮市立西宮高校2年の田口緑さんは、「中学時代ソフトボールをやっていて、高校野球の大ファン。試合当日は、控え選手たちとスタンドで一緒に盛り上がりたい。」と話した。
『平成15年8月7日付中国新聞を参考にしました』

第85回全国高校野球選手権大会
倉敷工は、大会2日目第2試合。相手は南北海道代表駒大苫小牧。しかし、台風が近づいていた。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

大願成就 己に勝つ野球 19

「とにかく、睡眠時間が、3、4時間ぐらいしかなかったんです。」
倉敷工野球部中山隆幸部長のコメントである。そこで、いったいどの様なことがあるのかを、尋ねてみた。「決勝当日に、(甲子園の)ベンチ入り選手を決めて、高野連に報告しないといけないんです。それから、選手の中は、ユニホームがほころびているのもいて。テレビに映りますからね。当日中に、メーカーに新調のお願いもします。とにかく、開会式まで、日数がありませんから。」

第85回全国高校野球選手権大会出場を、勝ち取った倉敷工。
7年ぶり9回目の出場。その岡山大会決勝は、7月29日。
甲子園の、開会式は、8月7日。

中山部長によるとNHK、山陽放送、瀬戸内海放送等のテレビ関係や、朝日新聞社、山陽新聞社などのマスコミ関係に挨拶に行く。
高野連から20ページぐらいに及ぶ冊子が届くので、全てに目を通す。それら全てを把握しておかなければならない。
さらに、何枚もの記入する書類があり、不備のないようにする。
大会に出場する全チームによる部長会議があり、書類の不備があると、その席で高野連から指摘を受けるという。さらに、高野連、マスコミからのチームへの連絡調整は、全て部長を通す事になっているとのこと。そして、岡山県庁、倉敷市役所に行き知事、市長に表敬訪問を行う。「知事や市長は、時間が限られた中での表敬訪問なので時間設定など大変なんです。」と中山部長。「それから、お世話になるホテルや練習会場を提供してくださる企業などにご挨拶にまわるなど部長としての役目がとても重要でたいへんなんです。でも、とにかく嬉しい悲鳴です。笑。」こうして、第85回大会の、開会式を迎えたのである。

なお、中山隆幸部長は、部長を退いたあと母校倉敷工監督に就任。監督2年目にして、第81回選抜大会出場に導いた。
【当HP。カテゴリーの中。春風爽快、キセキの春。及び日本高野連表彰あきらめない野球を参照して下さい。】

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」