熱闘甲子園 今昔物語 66 栄光の足跡 54

第94回選抜高校野球大会
【概要】
2022年3月18日~3月30日出場32チーム
入場曲「群青」
優勝 大阪桐蔭 準優勝 近江
大会初日第2試合
和歌山東8対2倉敷工
大阪桐蔭は、投打がかみ合い圧倒的な力を見せた。
先発の左腕前田は、先発した準々決勝から中2日空き余力十分。角度のある直球と、大きく曲がるスライダーを武器に、近江打線を翻弄した。七回まで、被安打2、11奪三振、失点も失策がらみの1点だった。八回からは、ここまで2試合に先発した大型右腕川原を、救援させ、反撃の糸口すら与えなかった。

【はじめに1】
『倉敷工13年ぶり11回目選抜出場』
和歌山東投手陣の粘りが、勝機を生んだ。
和歌山東主戦投手、麻田は、力強く腕を振り、計9回を被安打4、1失点。ともにピンチで救援した、田村と山田の両左腕は変化球を大胆に使った。無失策で守備も堅かった。倉敷工の高山も力投したが、最後に力尽きた。

和歌山東 000 001 000 07 8
倉敷工  001 000 000 01 2
延長11回
倉敷工投手 高山―近藤
本塁打

倉敷工は、同点の延長11回に力尽きた。
十回まで1失点と粘投していたエース高山は、この回、先頭からの3連打で勝ち越しを許すと、さらに、4長短打を浴びるなど一挙7点を奪われた。
自慢の打線は、すべて短打の5本に、封じられた。
三回に、藤井の中前適時打で先制した後は、相手エース麻田らを捉え切れず、高山を援護できなかった。
倉敷工としては、八、十回の1死一二塁の好機を生かしたかった。和歌山東は、山田、森岡の1、2番コンビが共に、3安打と活躍し、十一回は打者11人の猛攻で一気に勝負を決めた。終盤のピンチを小刻みな継投でしのぎ、勝利を引き寄せたといえよう。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 65 栄光の足跡 53(二人のOB 2 最終回)

第81回選抜高校野球大会
【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
開幕試合 倉敷工11―10金光大阪
二回戦 中京大中京6―5倉敷工

【OB紹介2】
『岡本良一』
倉敷市下津井出身
倉敷工-明治大学―川崎重工
倉敷工、明治大学、川崎重工神戸とプレーヤーとしてもアマチュア球界のトップを張った男。
社会人野球、川崎重工神戸時代「1977年社会人野球ベスト9」に輝く。三塁手。
『野球への恩返しを』
昭和43年、倉敷工2年生で、春夏の甲子園共にベスト4。
黄金時代を築く。明治大学へ進学。「なんとかせい」の故島岡吉郎監督の指導を受けながら、三塁手として活躍。
30歳の現役引退後に、「野球への恩返しをせい。」と周囲に勧められて審判の道を歩む。
社業でも大いに手腕を発揮。関西支社長などの要職を経ている。
選手として、会社員として、そして審判として、歴戦をくぐり抜けた男。岡本良一は言う。
「やっぱり、自分が球審をした中では、松坂が一番やないかと思いますね。」
『横浜対PL学園の球審』
例えば、1998年夏の第80回記念大会で、松坂大輔を擁する横浜とPL学園の準々決勝(延長17回)の球審を務め、岡本良一球審は、その試合において松坂から一発でボークを取っている事でも有名。その横浜が、今度は「松坂大輔のノーヒットノーラン」で知られる京都成章との決勝でも球審を務め、甲子園決勝の球審5試合など幾多の各場面に立ち会っている。
あの夏、松坂大輔のまばゆい夏。
延長17回の準々決勝に臨んで、隠れた主役の一人でもあるはずの球審に、大観衆や大声援、あるいは空の色や雲の形の記憶はない。名審判岡本良一。
岡本良一は、兵庫県高野連の審判部長として後進の育成に力を注ぐ。
兵庫県高校野球抽選会の前、5月に71歳で死去。
2023年6月15日。前審判部長、岡本良一さんの冥福を祈り、出席者全員が黙とう。また、高校野球発展のために功績のあった、大きな賞が贈られた。
忘れまじ野球の鬼
名審判 倉工OB岡本良一
お願い「栄光の足跡51号」を、参照して下さい。

1998年 第80回記念大会準々決勝 横浜対PL学園 右端が、球審の岡本良一さん

【参考】
1998年第80回記念大会準々決勝
横  浜 000 220 010 010 000 12 9
PL学園 030 100 100 010 000 10 7
投手
横浜 松坂
PL学園 稲田―上重

横浜は、延長17回、途中出場の常盤が右中間に2点本塁打を放ち勝ち越し、熱戦に終止符を打った。
横浜エース松坂も序盤に速球を狙われて失点したが、最後まで渾身の力投で完投した。PL学園の粘りも見事。延長に入っても二度追いついた。松坂から13安打した打線も素晴らしかった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 64 栄光の足跡 52 (二人のOB1)

第81回選抜高校野球大会

【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
開幕試合 倉敷工11―10金光大阪
二回戦  中京大中京6―5倉敷工

【OB紹介1】
『岸本千秋』
倉敷工―早稲田大学―朝日新聞社
昭和33年、倉工入学。昭和33年34年の選抜大会出場。
昭和34年、第41回夏の甲子園では、2回戦進出。
同、10月第14回国民体育大会出場第3位。内野手。
倉工卒業と同時に、早稲田大学へ進学。(勉強で入学)
昭和37年10月。第17回国民体育大会(高校野球の部)が、地元岡山で開催された時の事。会場は、倉敷市営球場。
この時、倉敷工監督として出場した。小沢監督が、監督を指名したのである。当時の小沢監督はプロ出身者だったため、国体への出場は出来なかったからだ。
その小沢監督の代行として、早稲田大学生の岸本千秋が、監督代行を務めたのだった。
試合は、初戦(山口、宇部鴻城)で敗れたのだが、会場の倉敷市営球場は超満員だった。
この国体決戦は、空前の人気を呼び、観衆はスタンドの外にまで溢れ、地鳴りのような歓声が響き渡ったという。この試合の先発投手は、昭和36年夏、報徳学園戦で活躍した永山勝利だった。
また、この年の甲子園や国体で活躍した選手は、後の岡山球界の指導者を多数輩出した点でも意義深い。
倉敷工投手コーチとして10年ぶりの甲子園を勝ち取った倉敷工。そのエースを育てたコーチこそ永山勝利その人だったのである。
倉工野球の意気と誇りと苦闘の日々の団結を「岸本千秋」は、植え付けたと言えるだろう。(故人)「岸本千秋」は、朝日新聞社編集委員として夏の甲子園を主催。倉敷工が、甲子園出場した際も各方面で援助し続けたのだった。
(くわしくは、前号、栄光の足跡51号を、参照して下さい。)

次号「栄光の足跡53」では、甲子園決勝の主審を5試合も務めた、「岡本良一OB」を、紹介する事にする。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 63 栄光の足跡 51

第81回選抜高校野球大会
【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
開幕試合 倉敷工11―10金光大阪
二回戦 中京大中京6―5倉敷工

【おわりに3】
倉敷工監督和泉利典。同、部長のちに監督中山隆幸。
和泉と中山のコンビは、3度の甲子園出場を果たす。
和泉は、甲子園7試合を戦い4勝。この甲子園4勝は歴代監督単独2位の戦績。耐えに耐え、培った意気と力の勝利だった。中山は、部長として和泉と共に7試合。監督として2試合の合計9試合を、甲子園で戦った。そして、甲子園倉敷工監督1勝を挙げる。

甲子園に、倉敷工が、そしてその2人が来るのを待ちに待っていた超大物OBがいた。『待っとったんじゃ。ワシはうれしい』
『よう、来た。よう来た。』
倉工野球の意気と誇りと苦闘の日々の団結を示した平成8年夏。この時、和泉と中山は、その超大物OBと出会う。

その超大物OBとは、「朝日新聞社編集委員岸本千秋」「審判部副部長岡本良一」

「岸本さんに、甲子園出場を大変喜んで頂きました。」と中山。朝日新聞社として、また大会主催者として甲子園内の各部署や多くの役員を紹介してくださったとのこと。
また、審判部では(当時の)審判部長を通じて「副審判部長岡本良一氏」を。
この時だった。岡本氏は一塁側ベンチ裏で中山を待っていた。
「『よう、来た。よう、来た。ワシは倉工が来るのを待っていたんじゃ。』」と。
「褒めて下さり、感激して下さいました。久しぶりの甲子園出場を、大変喜んで頂きました。」と中山。
「さらに、驚く事があったんです。」と中山は言う。
平成15年夏の甲子園出場の時だった。岸本氏は大会会長に対し、「オイ、君」と、呼んだという。
「大会会長に対してですからね。もう、びっくりしましたね。すごいですわ。」
中山は、次のように言う。
「岸本さんや岡本さんのお陰で、平成8年ベスト16。同年、国民体育大会に出場する事が出来ました。さらに平成15年夏も出場でき、岸本さんや岡本さんには大変お世話になり、お陰様で同年もベスト16まで進出できました。平成21年春の選抜の開幕試合で「倉工11対金光大阪10」の試合を、朝日新聞編集委員として岸本さんが大きくコラムとして記事にしてくれました。」
今でも、感謝の気持ちを持ち続けている中山。

次の「栄光の足跡52号」では、「OB岸本千秋」と「OB岡本良一」を取り上げる事にする。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承ください。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 62 栄光の足跡 50

第81回選抜高校野球大会

【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
入場曲「キセキ」
開幕試合倉敷工11―10金光大阪
二回戦中京大中京6―5倉敷工

【おわりに2】
倉敷工対金光大阪
『4万3千人。新甲子園いきなり沸く』
2度めのサヨナラ劇に、倉敷工ナインの喜びが爆発した。
同点に追いついた、延長12回二死一三塁。
日下の打球が、右前で弾むと、新装の銀傘に大歓声がこだました。
「僕が決めるしかないと、思っていました。みんなの心が、一つになれたから、ここまで来れた。」
「驚異の粘り腰」
伏線は、九回にあった。3点を勝ち越されたが、山形の右翼線への、2点三塁打で同点。
続く、山本が、投手前に、スクイズ。本塁クロスプレーとなり、白球は、ミットからこぼれたが、球審の判定はアウト。
「球審に、『落としてないですか』と、確認したら、『(タッチした時は)落としてない』と、言われた。」と山形。アピールしたが、認められなかった。
微妙判定に、聖地がざわめき、球場に抗議電話が殺到した。それが、発奮材料になった。
「あれで、負けられない。という気持ちになった。」と主将の頼。
勝利への執着心が最後に、実を結んだ。
倉敷工と言えば、今でも語り草の、「奇跡の大逆転負け」が有名だ。
1961年夏の、報徳学園戦で、延長11回6点を奪いながらその裏、6点を失って同点とされ、延長12回サヨナラ負け。
勝った報徳学園に逆転伝説ができた。
48年の時を経て、今度は主役になった。
1961年8月13日、一回戦

倉敷工  000 000 000 060 6
報徳学園 000 000 000 061 7

両チームで38安打の乱打戦を制した。中山隆幸監督は「また、歴史に残る試合をやった。150%の(力)が出ましたね。」この開幕試合の直前、中山隆幸監督は「緊張感を力に変えろ」と指示していたのだ。
(倉敷工は)リニューアルされた、聖地の開幕戦で、満員となった43000人の心を震わせた。
半世紀前の悪夢に別れを告げたタフネス軍団が、台風の目になる。
(平成21年3月22日付。)
(サンケイスポーツより、引用しました。)

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 61 栄光の足跡 49

第81回選抜高校野球大会

【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
入場曲「キセキ」
開幕試合 倉敷工11―10金光大阪
二回戦 中京大中京6―5倉敷工

【おわりに】
選抜は、ベスト8に進めず、残念ながら快進撃とは言えなかった倉敷工。全国の強豪校に、1回戦は延長12回、劇的なサヨナラ勝ち。2回戦は、前半の大量失点を激しく追撃したが、わずか1点及ばず惜敗。中山隆幸監督率いる倉工の選抜は、1勝1敗に終わった。

試合運びは洗練されたものではなかったが、決して勝負を捨てない。諦めない。秋の中国大会から続くゲームの進化を物語るものだった。
ドキドキ、ハラハラ。握り拳が何度も硬くなった。
「倉工がんばれ。まだ、チャンスは残っている。」

かくも、スリルと感動に満ちた劇的な試合があったのか。
私は、長く記憶の底に置き忘れていた。「もう、ダメか。」と実は何度も諦めかけていた。過去の栄光に満ちた「強打の倉工」は、「諦めない倉工」の名で見事いま伝統の復活を遂げた。前向きな気持ちを持ち続け、どんなピンチにも諦めず進む事が、予想もしない劇的な結末を生むものだと、改めて知らされた。

倉工は、晴れの舞台、選抜でその事を証明して見せた。
(平成21年3月23日付。岡山日日新聞)
(時空エッセー、風に吹かれて)の中から、その一部を引用しました。

『倉敷工。井上のバントが勝因』
開幕戦を制した倉敷工に、諦めない事に加え、素晴らしい粘りを見せてもらった。取られても取り返す勝利への執念に、絶賛の拍手を送ります。
逆転サヨナラ勝ちへの隠れたヒーローは、2番の井上君です。1点を追う延長12回一死一塁に、一塁線へのプッシュバントが鮮やかに決まり、一塁内野安打になりました。

相手守備陣の位置を確認して、さらに、打球の強弱を即座に判断する事が必要な勇気がいるバントです。
井上君の(快打)が、チャンスを広げ、歓喜の勝利へ導きました。

(中略)

先手先手を取った金光大阪に食らいつき、初戦を飾った倉敷工。その精神的な自信と誇りを痛感させられた試合です。
(元、簑島高校野球部監督)
(2009年3月22日付。デイリースポーツ)
(尾藤公の、わが麗しの甲子園の中から、その一部を引用しました。)

「諦めなければ、夢はかなう。」怪我から復帰して、懸命のプレーを見せる、岡田左翼手。

「劇的勝利信じていた」劇的なサヨナラ勝ちに沸く三塁側倉工応援団。

「気持ちは負けず戦えた」甲子園で、成長の跡を刻んだ山形右翼手。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 60 栄光の足跡 48

第81回選抜高校野球大会
【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
入場曲「キセキ」
幕試合 倉敷工11―10金光大阪
二回戦 中京大中京6―5倉敷工

【まとめ3】
『脅威の追撃あと一歩』
『序盤の失点最後まで遠く』
中京大中京 230 100 000 6
倉敷工   010 004 000 5

序盤は、完全な中京ペース。エース山崎は、二回までに4四死球を与え、早々と5点を失う。しかし、二回、8番内山の、内野強襲安打で、何とか1点を返す。山崎は尻上がりに、調子を上げて行き、相手の追加点を1点だけに抑え、味方の奮起を待った。
打線が応えたのは六回。2番井上の、内野安打。
4番三木。6番山形らの、二塁打などで、4点を返す。
2戦連続での、大逆転の予感に、沸き立つ甲子園。
が、最後は一歩及ばなかった。

『冬の猛練習超美技で息を吹き返す』
何度も何度も這い上がる倉敷工。「粘りの倉工」が、またまた出現した。五回の守り。二死一三塁。マウンドに伝令の内田が駆け寄った。「内角で、ゴロを打たせろ。」内野陣は、ハッとした。「守りで、リズムを作る、倉工野球を思い出せ。」中山監督の激に、聞こえたナイン。「オレたちが守る。」口々に言い残して守備位置に散った。打席には、中京1番山中。4球目。
山崎の投じた直球は内角へ。しかし、乾いた打球音。
土煙を上げて、センター方向へ。抜けたー、かに見えた。
すると、二塁手の三木が、横っ飛び。「バシ。」
グラブに収めた。トスを受けた、遊撃手三村がベースを踏みチェンジ。
「ウオー。」静まり返っていた、倉工一塁側アルプス席が、息を吹き返した。

昨秋の公式戦15失策。練習時間の多くを、守備に割いた冬の練習成果が、凝縮された超美技だった。

『夏に帰って来いよ』
失策は、初戦一つ。この日は二つ。
甲子園の魔物に愛された倉工ナインは、口を揃えた。
守備をもう一度鍛え直す。」
勝者よりも、敗者に大きな拍手が、語りかけていた。
「夏に帰って来いよ。」と。

2回裏。倉工2死一二塁。 内山が、一塁強襲の適時打を放つ。

6回裏。倉工1死二塁。 山崎が、左翼線適時打を放つ。

力投する、倉工エース山崎。

9回。逆転を信じて大きな声援を送る、倉工応援団。

6回裏。倉工無死一二塁。 三木の、遊撃強襲二塁打で、井上が生還。

中京大中京に惜敗し、甲子園の土を持ち帰る、倉工ナイン。

つづく
随時掲載

お願い
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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 59 栄光の足跡 47

第81回選抜高校野球大会

【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
入場曲「キセキ」

開幕試合 倉敷工11―10金光大阪
二回戦 中京大中京6―5倉敷工

【まとめ2】
『これが粘りの倉工野球だ』
金光大阪210 120 003 001 10
倉敷工 100 301 013 002 11

43000人が見守ったゲームを支配していたのは、金光大阪だった。しかし、倉敷工ナインは、最後まで諦めていなかった。
四回裏に3点差。八回にも1点差を追いつくが、九回にも3点を奪われ、6対9に。不安に包まれる倉工アルプススタンド。だが、ここから脅威の粘りを見せる。1点を返し、なお1死一二塁。8番山形の打球が、ライト線を破る同点三塁打。山形、三塁上でガッツポーズ。
十二回裏に1点をリードされたその裏。四回に同点本塁打を打った三村が出塁し、1死満塁の好機を作る。
次の打席には、ここまで無安打の4番三木。スタンドから、「三木、打ってくれ。」と、祈りにも似た声援が飛んだ。三木は、打席に入る前、中山隆幸監督から「お前なら打てる。」と言われ不安が消え、打てる気になったという。「ここで、同点にして、日下に任せよう。」その通り、適時右前打を放って、同点に追いついた。
『甲子園のヒーローになるんだ』
『(チャンスが)来た来た』と日下。打席に入った日下。3球めを打ち返し、見事ヒーローになる。
「リズム作れた」倉敷工中山隆幸監督開幕戦という事で、私も緊張した。しぶとい守りが身上だが、ピンチでもしっかり守って、リズムを作れた。
選手たちの粘り強さに驚いた。何試合やったかわからないぐらい疲れた。

「さあ、本番」開幕試合で対戦する金光大阪と倉敷工の選手たち。

得点に盛り上がる、倉敷工の生徒

延長12回裏。倉敷工2死一三塁。日下が、右前へサヨナラ打を打つ。

延長12回裏2死一三塁。
三塁走者、三村は日下の適時打で生還。
サヨナラ打となる。

サヨナラ打を放った日下(右橋)を迎える、倉敷工ナイン。

12回裏。倉敷工2死一三塁。
日下の、右前打で、三村が生還して11対10で、サヨナラ勝ちする

逆転サヨナラ打で金光大阪を下し、校歌を歌う倉敷工ナイン。

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 58 栄光の足跡 46

第81回選抜高校野球大会

【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
開幕試合 倉敷工11―10金光大阪
二回戦  中京大中京6―5倉敷工

【まとめ1】
選抜高校野球の話題が届き、冷え込む季節に熱い過去の記憶が湧き上がって来る。
古豪復活を狙う倉敷工が、選抜に出場するが「強打の倉工」のイメージは、もう遠い記憶になっていた。
『倉工粘り強さが身上』
『倉工試合ごとに進化』
倉敷工は、昨秋、地元の倉敷マスカット球場で開催された秋季中国大会で、37年ぶりに制覇し、「34年ぶり10回めの、選抜出場」を決める。しかし、その中国大会には、県大会4位という、出場資格ギリギリの出場だった。

中国大会で、37年ぶりに優勝して喜ぶ 倉敷工ナイン

2回戦で県大会覇者の作陽を大差で破って勢いに乗ってベスト4で鳥取城北、決勝では、南陽工を下し、見事優勝を飾る。
そして、試合終了後、ナインは監督中山隆幸と一人ずつ次々に抱き合ったのだ。そして、泣いた。
一塁側倉工大応援団も泣いた。
(今年の)倉敷工は、粘り強さが身上の実践的攻撃形のチーム。県大会から中国大会にかけ、試合ごとに「進化を続けたフレッシュなチーム」と言えよう。

『どんな事があっても、絶対諦めるな』
『死ぬ気で、やり抜け』
(この年の)昨年3月から、チームを率いるOBの中山隆幸監督。一試合一試合を「どんな事があっても諦めるな。」「死ぬ気でやり抜け」という精神面で負けない元気野球を目指し頂点に立つ。

円陣を組んで、気合いを入れる選手と中山隆幸監督。(右端)「諦めるな。死ぬ気でやり抜け」

中山隆幸監督の指示を聞く倉工ナイン

県大会4位のチームが、中国大会で優勝した記録はない。
34年ぶりの選抜甲子園。快進撃の予感がしていた。

快進撃の予感がする 倉工ナイン

つづく
随時掲載

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本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 57 栄光の足跡 45

第81回選抜高校野球大会

【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
出場32チーム入場曲「キセキ」
優勝 清峰(長崎)、準優勝 花巻東(岩手)
体調不良の多い選手の中、「1球への集中」が目立つ。
高校生の秘めたる力を、見せつけた大会だった。
大会前半、極度の緊張と寒さの影響で、軽い脱水症状で足をつる投手が数人いた。季節の変わり目。体調管理の厳しさを、感じた大会でもあった。

【はじめに3】
34年ぶりの因縁の対決は、またも1点差。
前回は、激しい打撃戦の末、16対15で勝利。今回は中京が、6対5で倉敷工を振り切って、春夏の甲子園で、全国最多の通算122勝を挙げた。
スタンドでは、当時の選手が、感慨深げに試合を見守っていた。

中京大中京 230 100 000 6
倉 敷 工 010 004 000 5

倉敷工投手 山崎
本塁打

倉敷工は、持ち前の粘り強さを十分に発揮したが、序盤の失点が響き、あと一歩及ばなかった。
一回、2四死球などで、一死二三塁のピンチを招くと中京4番打者のレフト前打を野手が後逸し、2点を献上。二回は、失策、四球と、長短打で3点を失った。
エース山崎は、甘い変化球を痛打され、守りも浮足立っていた。後の追い上げを考えると、余計に悔やまれる失点と言えよう。しかし、六回の集中打はさすが。真骨頂のしぶとさを見せつけた。
四回までに、6点をもらった中京エース堂林(のちに、広島カープ入り)は、制球が甘くなった六回。
井上の、三塁強襲安打と四球の後、三木がショート強襲安打を放ち、井上が生還。さらに、二三塁から日下が、センター犠打。さらに、山形のセンター超え二塁打。そして、山崎のレフト前打で、1点差に迫った。この勢いで、終盤もう一押しが欲しかった。


つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会