令和2年度秋季岡山県高等学校野球大会 準々決勝

準々決勝の相手は、複数のプロ球団が注目する、今大会屈指の好投手を擁する玉野商工。倉工は、簡単には打てないことが予想されていました。
しかし、少ないチャンスをものにした倉工が、2対0で勝ち準決勝に進出。
あと一勝で中国地区大会出場となりました。

倉敷工  000 010 001 2
玉野商工 000 000 000 0

投手戦が予想されていた。先取点を、取った方が勝ちという様な試合。相手投手の立ち上がりを攻めたい倉工。
5回、9番城内が、四球で出塁。そして、盗塁を決める。
1番岡田が、レフト前ポテンヒットで先取点。
9回は6番難波レフト前ヒット。7番多々野のセンター前ヒットで、2点目。先発水田は、立ち上がりこそ変化球の制球力に苦しんだが、徐々に調子を上げバックのダブルプレイにも助けられての完封勝利。相手投手から、先取点を取れたことが大きい。


応援 お願いします。


攻守交代。さあ行こう、さあ行こう。


守備に付く、倉工ナイン。

 

令和2年度秋季岡山県高等学校野球大会開幕

倉敷工は、9月26日、初戦、岡山城東と対戦し、4対0の完封勝ちをし、幸先の良いスタートとなりました。

城 東 000 000 000  0
倉敷工 003 010 000  4

3回裏、倉工は二死満塁で5番松本が中越え3塁打で3点を上げる。
また、5回にも1点を取り、城東を引き離す。
主戦投手 水田は、制球が安定。
城東打線を、ヒット2本に押さえた。四球も出していないのも良い。新チームは、大きな特徴がないものの、投攻守のバランスが良い。守備もノーエラーで水田を盛り上げた。
がんばれ 倉工  目指せ 選抜


がんばれ!倉工


倉工野球部父母会です。


応援団、吹奏楽のいない、高校野球は寂しいです。

○組み合わせ表 【PDFはこちらからどうぞ】
大会の詳細は、高野連のHPをご覧ください。

春風爽快 キセキの春 22

真っ青な大空。紺碧の空に向かって、開会式を告げるファンファーレが鳴り響いた。
第81回選抜高校野球大会。
阪神甲子園球場。
先導は、大阪府警察音楽隊、フレッシュウイングス。小旗を振って入場。続いて、近畿6府県警察音楽隊が、今大会の入場行進曲『キセキ』を、演奏して入場。
この『キセキ』は、2008年、高校野球を題材とした、TBS系テレビ『ROOKIES』の主題歌である。多くの若者が共感して、人々に希望を与えられる歌として、選ばれたのだった。
前年、優勝の沖縄尚学。準優勝の、聖望学園に、続いて出場32校が、南から順に入場。倉敷工は、9番目に入場。
「倉敷工業高校。岡山。34年ぶり10回目。」と、場内放送。
すると、3塁側倉工大応援団から、大きな拍手が送られた。そして「がんばれよ」「たのむぞ」の、声があちらこちらから上がった。
一方、NHKテレビでは、「県大会4位ながら、中国大会で優勝。センバツ出場を、果たしました。開幕試合に登場します。実は、前回34年前の開幕試合で勝っています。」そして、女性アナウンサーが「3塁側は、もう一杯になっています。」と紹介。
プラカードは、出場校の生徒が持っている。倉敷工のプラカード【倉敷工】は、倉工野球部西野雄貴。中山監督が「プラカードは、おまえら選手同士で話し合って決めろ。」と、指示して西野に決まったという。西野は、大会本部から支給された純白の野球帽に、倉工学生服姿。帽子には(81)のマークが見える。
西野のプラカードは、一寸のブレもなく倉工ナインを誘導し、堂々の入場行進で大役を果たす。
全チームが揃ったところで、大会会長らが挨拶。そして、今治西の高市主将が、選手宣誓。西宮市高等学校吹奏楽連盟が『大会歌今ありて』を演奏して、神戸山手女子高校が『今ありて』を合唱。
「ああ甲子園草の芽萌え立ち駆け巡る風は青春の息吹か」選手、大観衆は、どんな思いで見守ったのだろうか。
倉工は、センバツ出場を記念して、エンジ色のジャンパーを作成。
左胸に【倉工】背中には【燃えろ倉工】。そして【倉敷工業高等学校】。
ほぼ、エンジ色一色で埋まった倉工応援スタンド。
さらに、緑色赤色のメガホンが映える。
【燃やせ闘魂倉工球児】【必勝岡山県立倉敷工業高等学校】の横断幕が、倉工ナインの背中を押す。 

つづく
随時掲載 

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。 

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています。) 

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」 

春風爽快 キセキの春 21

「甲子園は懐かしく野球の自分のふるさと。そして甲子園という言葉には、常に新しさを感じる。」
この言葉は選抜優勝投手 早稲田実業 王貞治氏の言葉である。どんな時でも、勇気と希望をくれるところ。それが甲子園。

(2009年)3月21日。真っ青の、甲子園は開会式を迎えていた。
宮野部長、中山監督、そして神土コーチは、三塁側ベンチに早くから入っていた。
平成の大改修を行い、生まれ変わった阪神甲子園球場。
どこが、変わったのか。
1、銀傘が40メートルずつ広げられ、高さは5メートル高くなった。
2、250メートルのライナービジョンという電光掲示板が取り付けられた。
3、アルプス席は、全体で4メートル前に出た。
4、照明スタンドを球場の外に設置して、9メートル高くなり、明るさも増した。
こうした甲子園球場を、4万3,000人の大観衆が見守っていた。
一部、新聞報道では、約50,000人という報道さえある。

「ベンチから倉工応援スタンドを見たんですが、とにかくものすごい人で空席は全くなくて、一番高い所では、立って見ている人もいて。」と中山監督。
一方、試合前のシートノックをする神土コーチは「よう、ここまで来れたなあっていう感激が一番ですね。それにベンチから開会式が見られるんですから。」
三塁側、倉工応援アルプススタンドには、【必勝岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部。】さらには、【燃やせ闘魂 倉工球児】の横断幕が見える。
こうして迎えた開会式だった。ところが、直前三塁側ベンチ前に大勢の女子高校生が入場して来た。西宮市高等学校吹奏楽連盟と神戸山手女子高校である。
「せっかく、ベンチから見えると思っていたのに。女子生徒で、全く見えないようになってしまいましてね。そりゃ、スタンドから見る方がよっぽどいいですよ。」と神土コーチ。
真っ青な大空。紺碧の空。午前9時大観衆が見守る甲子園球場にファンファーレが鳴り響いた。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

春風爽快 キセキの春 20

第81回選抜高校野球大会の組み合わせ抽選会が、毎日新聞大阪本社で、開かれた。34年ぶり10回目の出場となる倉敷工は、開会式直後の開幕試合で、金光大阪と対戦する事が決まった。

抽選会には、宮野義治部長、中山隆幸監督、主将の頼宏樹が、出席。3人は、午前8時すぎに、会場入りした。

頼が、緊張した表情で、26番目に抽選に臨むと、引いた番号札は、大会初日第一試合を示す「2」だった。

くしくも、前回出場した34年前に続いての開幕試合。この時は中京(現中京大中京)に、16対15という激戦の末、勝っている。【当、HP。カテゴリーの中風雲の奇跡涙の甲子園を参照して下さい】

「運命を、感じる。」と、中山監督は感慨深げ。「開会式直後だけに、いかに、早く気持ちを、切り替えられるかが、鍵になる。」と、話した。一方、倉敷に、残った、他のナインは、和泉利典総監督の、指揮のもと、雨天のため、校内で練習していた。

筋トレやランニングの、最中宮野部長から和泉総監督へ組み合わせの、知らせが入った。そして、和泉総監督が、全員を集め、組み合わせを、知らせたのだった。

昨秋の、中国地区大会や、明治神宮野球大会でも、開幕試合を、経験しており、日程を聞いてもナインは平然。照準が決まった事で、士気は、一層高まった様子。

7年ぶり2回目出場の金光大阪。金光大阪は、近畿地区大会準決勝で、優勝した天理に惜敗したが、初戦で智弁和歌山、準々決勝で大阪桐蔭をともに接戦で下しセンバツ出場を決めた強豪チーム。

和泉総監督は、「改装された、甲子園での第一試合。しかも、超満員の中での試合は、楽しみ。」と。

平成の大改修を終えた『新生甲子園』に、こけら落としとなる倉敷工(三塁側)対金光大阪(一塁側)まるで「野球の神様」に引き付けられる様に名門クラスの復活が目を引く。倉敷工『新生甲子園』に築くか新たな伝統。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

 

春風爽快 キセキの春 19

「甲子園は、最初からそんなに意識していなくて、たまたま運よく行けたものですから。」
「(当時は)テレビはないし、絵はないし。あるのはラジオから聞こえてくる大歓声だけで。」
「甲子園は、あの前に立っただけで、こんなに大きな建物かと、びっくりして。中に入って練習の時、こんなに大きなグランドなのかと、びっくりして。そして、開会式の時、こんなに大勢の人なのかと、びっくりして。」
「試合になった時あの大歓声で、第一球はどこに投げたのか、わからない状態でした。」 こう話すのは、倉敷工元監督小沢馨氏(故人)。2005年KSB瀬戸内海放送で、放送された、『夢フィールド』という番組で、御出演された小沢氏が、述べたお言葉である。【当、HP。カテゴリーの中、風雲の奇跡初陣倉敷工を参照して下さい。】

甲子園は、何もかも大きい。そして大歓声。勝敗のカギを握るのは、内外野の連携プレー、カバーリング、そして走塁であろう。
甲子園の、広さを体感しようと、倉工ナインは、3月11日、倉敷市鶴の浦にある、社会人野球JFE西日本が練習するJFE健保球場で練習した。(現在JFE健保球場は、ありません。)
倉工第2グランドの、約2倍の広さとあってナインは戸惑い気味だった。練習前、中山隆幸監督は、「練習は、ウソをつかない。」とナインを激励。しかし、守備練習ではエラーが続出した。
辻田浩一副部長は、「ボールの返球や走塁のタイミングが合わず、新しい課題が見つかりました。」と険しい表情。
外野手の山形直哉は「久しぶりの球場練習で走塁の判断がつきにくかった。早く慣れて甲子園では、100%のプレーをしたい。」と意欲を見せた。練習終了後、ナインは主将頼宏樹を中心として、30分いや1時間近くミーティングをしたのだった。
「あの時のミーティングは、頼を中心に長くやっていましたよ。」と中山監督。倉工ナインは、さらに倉敷マスカット球場でも練習試合を行い、広い甲子園に対しての感覚を、磨いたのだった。

行くぞ。34年ぶり10回目のセンバツ。第81回選抜高校野球大会。
待ってろよ。阪神甲子園球場。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」

神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」

和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」

中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

春風爽快 キセキの春 18

『粘り強くまず一勝を。生徒らナイン激励』
『壮行会でセンバツ旗。頼主将の手に』
(2009年平成21年)3月10日付山陽新聞、毎日新聞に、大きく報じられた見出しである。
第81回選抜高校野球大会に出場する倉敷工野球部の、壮行会が、倉工体育館であり、倉工ナインが、大舞台での活躍を、誓ったのだった。壮行会には、全校生徒約700人が出席。毎日新聞岡山支局長から、福田憲治校長に、渡された校章入りのセンバツ旗が福田校長から、頼宏樹主将に、手渡された。福田校長は「粘り強く思いっきりのいい倉工野球で、まず一勝し、地域の期待に、答えてほしい。」と、激励。出席した倉敷市伊東香織市長から「倉工復活を、みんなが応援している。優勝を目指して下さい。」と、エールが、送られた。そして、宮野義治部長が、ベンチ入り18選手を一人ずつ紹介。中山隆幸監督が、出場までの経過を報告した。
そして、全員で校歌を斉唱し、応援団から盛大なエールが送られた。
頼主将は「一年生大会では、悔しい敗北を味わい甲子園を遠く感じた。しかし、諦めずに一所懸命に毎日練習をし、念願の甲子園出場を果たせた。感謝の気持ちを、忘れず中国地区代表の名に恥じないプレーで、一戦一戦戦って来ます。」と、決意を述べ、大きな拍手を、浴びながら倉工ナインは退場した。
倉敷工は、岡山4位校として、臨んだ昨年秋の中国地区大会で、37年ぶり3回めの優勝。早いカウントから、積極的打撃で、全4試合二ケタ安打。エース山崎主記を軸に、粘り強く守った。
ベンチ入り18選手紹介
部長宮野義治
監督中山隆幸
(投)山崎主記
(捕)頼宏樹
(一)日下太希
(二)三木大知
(三)内山祐人
(遊)三村延寛
(左)岡田直也
(中)井上裕太
(右)山形直哉
(控) 吉田直希
早藤達哉
片山 僚
廣田 俊
池田郁弥
神浦拓矢
内田貴之
内田修平
山本篤貴

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

春風爽快 キセキの春 17

34年ぶり10回目の、選抜高校野球大会出場を、決めた倉敷工。
岡山県下で、春夏通算甲子園最多勝利数24を誇る伝統校は、長い雌伏の時を経て、ついに夢舞台への切符をつかむ。
「まさか、ここまで来れるとは。」と、エース山崎主記。チームは、昨年秋の県大会4位校ながら、開催県枠でギリギリの中国地区大会に出場。
準々決勝で作陽。準決勝で鳥取城北と強豪を撃破して波に乗ると、決勝で南陽工を4対1で下し37年ぶり3回目の優勝を果たす。
こうした野球部の活躍があっての選抜甲子園への出場であるが、当HPは、ある事に着目した。それは、出場校選考基準。正式には次の通りである。
【選抜高等学校野球大会出場校選考基準】という。厳正、公平に出場校を選考するものであろう。全部で5項目あるが、その中第3項目に注目した。『3、校風品位技能とも高校野球にふさわしいもので、各都道府県高校野球連盟から推薦をされた候補校の中から地域的な面も加味して選出する。』とある。(原文の、まま引用しました)
この中で、「校風」「品位」という文字がある。永く、重い伝統のもと野球部の活躍と同時に、「校風」「品位」も評価されての選抜甲子園出場がうれしい。
「伝統校としての誇りを胸に、目標の一勝を目指して倉工生らしくはつらつと、戦います。」と、主将の頼宏樹。一方、エース山崎主記は「甲子園のマウンドは、楽しみ。仲間を信じて思いっきり投げたい。」と笑顔を見せた。また、監督中山隆幸は「感無量。最後まで諦めず粘り強さがチームの強み。本番まで、心技体を、さらに高め県中国地区の代表として恥ずかしくない試合をしたい。」と。
「校風」「品位」も、評価されての、34年ぶり10回目の選抜出場。
第81回選抜高校野球大会。こうして、地域も、学校も、おいまつ会もおいまつ会役員も、慌ただしさを増して行ったのだった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」

 

春風爽快 キセキの春 16

2009年(平成21年)1月23日
この日は、待ちに待った春の便りが届く日である。校内は、朝から慌ただしさを増した。大勢の報道陣が来校する事が、予想されているからである。
特に校長室。「校長室の、トロフィー等を入れているショーケースはそのままでしたが、机や椅子などは、全部外に出しましてね。約50人の報道陣を迎え入れるようにしたんです。」こう語るのは、倉敷工監督中山隆幸。一方、倉工第2グランドでは、午後3時ごろからぞくぞくと保護者野球部OB等が集まり始めた。野球部OB会では、三宅会長、岡田副会長、そして藤原、永山の前コーチ等そうそうたる顏ぶれが見える。
3時40分、私、当HPの隣にいた人が、「今、選考委員会から電話がかかってきて、校長が対応しているそうです。」と周囲に伝えた。
3時52分。第2グランドの向こうに背広姿が見えた。
その背広姿は、真っすぐに、そして足早やにこちらに歩いて来ている。
福田憲治校長だ。福田校長は、マウンド近くにいた中山を見つけると、何かヒソヒソ話をした。そして中山が、『集合』と、大きな声をグランド中に響き渡らした。
選手たちは、福田校長の前に円陣を作った。
「吉報を、報告したい。代表に選ばれました。チーム一丸の粘りの野球を甲子園でも見せて下さい。」と、選抜出場を報告。
すると、選手たちは、「よっしゃー」「やったー」と。
そして、主将頼宏樹の「甲子園に行くぞ」の掛け声で帽子を投げ上げ喜びを、爆発させたのだった。続いて、中山を、胴上げ。「わっしょい、ワッショイ、わっしょい」そして、駆け付けた保護者や野球部OBら約100人の祝福を受ける中、「よっしゃー」と声を上げたり、お互いに抱き合ったりして感激を分かち合ったのだった。
昨年3月まで20年間倉敷工監督を務め夏2回の甲子園(甲子園で、7試合を戦う)に、導いた総監督和泉利典も中山に次いで胴上げされ「ピンチの時もプラス思考ができるのが、チームの強み」と、目を細めた。

報道陣に囲まれた中山。「感無量。先輩たちの苦労が頭に浮かぶ。胸が熱くなった。倉工の現役時代甲子園に行く事ができず悔しくて悔しくて。指導者になって、甲子園に出る事が夢だった。」と感極まった様子。春夏通算の甲子園勝利数は、24勝で県内トップ。古豪の復活に早くも「憧れの甲子園で1勝を」と地元の夢は膨らんだ。
『夢を夢のままで終わらせない』
誰もが、夢と思い半ば諦めていた甲子園への道。それを実現させ、先に繋げる力。そこにあるのは、未来に目を向ける姿勢だ。自分たちの、可能性を信じ夢の実現に挑んだ倉工ナイン。その熱いまなざしが見据える先に、道はつづく。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」