捲土重来 平成8年の夏 中越戦

「倉敷工業高校3番」北條剛主将が番号を読み上げた瞬間、ナインからは、大きなどよめき。選手たちは、「甲子園の雰囲気に慣れた五日めぐらいがいい。」と、言いあっていただけに、初日の第2試合と分かると「(北條)剛どこを、ひきょんなら。」と、笑い声が上がった。続いて対戦相手が、中越に決まると、「よしやるぞ」「どんなチームだ」等と、選手たちは、早くも闘志満々。
倉敷工 010 014 030 9
中 越 000 000 000 0
倉敷工28年ぶりの校歌。中越を、寄せ付けず。
二回、犠打を含む連続二塁打で、1点を先制。これで、流れを引き込むと六回、倉工らしさが爆発した。左前打の白神が、犠打、暴投で三進。
続く、中原のスクイズで、生還。なおも、一死一塁から、北條西川の連続長短打で、計4点を加え、試合を決めた。エース中原は、散発4安打の快投。伸びのある直球に、カーブスライダーが、決まり、12三振を奪う。
【熱戦の足跡】
純白に、エンジ色ラインのユニホームが、ダイヤモンドを駆け回った。好投あり、連打
あり、持ち味を存分に見せつけた古豪が28年ぶりに夏校歌を、銀傘に響かせた。完勝に、和泉監督は「選手が、私の指示以上に、やってくれた。」と、表情を、ほころばせた。「内角を見せ球に、外角のカーブ、スライダーで勝負。」という組み立てが、ずばり的中。打線も力を発揮した。
二回に、白神の、二塁打で先制。五回は、福原の二塁打。六回は西川の、三塁打と、長打攻勢の後の、八回は、4連打でダメ押し。
中越鈴木監督は、「止めようが、なかった。」と、うなだれた。
【灼熱の白球西川剛正二塁手】
二塁ベースの後ろに、小飛球が上がった。四回二死一、二塁。全力で追う。
「オッケー」。声を掛けた。そこに、ショート渡辺の声が、重なった。
スピードを、緩める余裕はない。衝突。左すねに、痛みが走った。グラブに力を込めた。右手にボールを、持ち替えて突き上げた。落とせば、同点だった。五回は、二遊間のゴロをさばき、ノーステップで一塁へ。八回にも、一、二塁間のゴロに、頭から飛び込み制した。広い守備範囲を誇るには、最初の一歩が、大事。『小さくても、やれる事は、見せられたと思います。』と、西川。身長160センチ。50メートル6秒0の、野球の虫。ユニホームは、誰のよりも、真っ黒に汚れていた。
つづく随時掲載

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参考
山陽新聞社「灼熱の記憶」
山陽新聞

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」
西川剛正氏「現倉敷工業高校野球部コーチ」

捲土重来 平成8年の夏 26

昭和36年夏の倉敷工。岡山県あるいは中国地区からも高い評価を受けて、「今年の倉工は、全国制覇ができるのでは。」と、言われた年だった。
しかし、県予選直前、バント練習中に、エースが大怪我(右鎖骨骨折)という、アクシデントに見舞われた。全国屈指のエースの突然の負傷。「これで甲子園もおしまいか」全選手に、重苦しい空気が、伝わった。「こうなったら、打線の力でエースを甲子園に連れて行こう。」と、倉工ナインも奮起。炎の闘志と、団結力で予選を勝ち進み、ついに甲子園切符を、掴む。(当HP、昭和36年のドラマを参照して下さい。)その、昭和36年夏を呼び起こす様な一丸の勝利を、見せたのが平成8年の夏。その闘志と団結力は、県予選でとどまる事なく、聖地甲子園においても、その勇姿を見せつけた。
78回全国高校野球選手権大会阪神甲子園球場
平成888日倉敷工90中越
814日倉敷工53東筑
818日倉敷工29鹿児島実業
倉工野球の意気と誇りと苦闘の日々の団結は、しっかりと息づいていた。聖地甲子園で2勝。昭和43年夏、黄金の左腕小山稔投手以来28年ぶりの校歌を歌った。(当HP、青春ヒーロープレイバックを参照して下さい。)
この年、選抜甲子園で、優勝した、鹿児島実業に、屈したものの見事捲土重来を果たした倉敷工。古豪の歴史に、また新たな一ページが加わった。北條剛主将が、甲子園前に言った言葉。それは、『これからの僕らを、見ていて下さい。』

つづく
随時掲載

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山陽新聞社「灼熱の記憶」

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小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」
西川剛正氏「現倉敷工業高校野球部コーチ」

 

捲土重来 平成8年の夏 25

第78回全国高校野球選手権大会10年ぶり8回目の甲子園出場。
78回目の夏に輝く倉敷工。歓喜の倉敷工。
県高野連発足50周年を期に大会優勝旗が新調された。その優勝旗が倉敷工に渡った。
ところが、その優勝旗に面倒な事が、待ち受けていた。
現在岡山工業高校の教壇に立ち、同校野球部中山隆幸部長は、当時を振り返り次の様に語る。
「今までの古い優勝旗にある歴代優勝校のペナントをその新しい優勝旗に付け替えるのですが古いペナントもありましてね。その古いペナントを触っただけですぐに
ボロボロになるぐらいで。」そこで、中山隆幸部長は県高野連の理事長に相談した。しかし「理事長からは【歴史のあるものだけに大事に扱ってほしい】と言われましてね。」中山隆幸部長は、
苦笑いする。「とにかく、付け替えるだけで、もう大変でした。」
中山隆幸部長は、いつも甲子園を『聖地』と呼ぶ。
こうして、甲子園に向けて練習が開始された。倉工グランドでは「そんなに、もたもたしていたら甲子園で勝てるか。」和泉利典指揮官の激が飛んで行く。こうして、78回目の夏聖地甲子園に
向かった。そして、聖地甲子園で昭和43年夏の黄金の左腕小山稔投手(当HP、青春ヒーロープレイバックを参照して下さい)以来、2度の校歌を歌う事になる。
つづく随時掲載

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小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
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西川剛正氏「現倉敷工業高校野球部コーチ」

捲土重来 平成8年の夏 24

第78回全国高校野球選手権大会 10年ぶり8回目の 甲子園出場。
歓喜に湧く、3塁側倉工応援スタンド。その中から、和泉コールが湧き起こった。
「 和泉 和泉 和泉 」。すると、ベンチから、苦労人指揮官が、現れた。そして、ゆっくりと 倉工応援スタンド の方に歩いて来た。
止まった。スタンドを見上げた。帽子を取った。そして、深々と頭を下げた。どのくらい、下げ続けたのかは、わからない。和泉コールは、さらに大きくなった。応援団員は、スタンドの最前列に、何人も何人も集まった。
【 ようやった 】【 おめでとう 】そして【 ありがとう 】の声。苦労人指揮官は、ゆっくりとベンチに帰って行った。そして、ベンチ裏で苦労人指揮官は、大号泣した。
県高野連発足50周年を期に、大会優勝旗が新調された。その新しい優勝旗 が、 北條 剛主将 に、渡った。スタンドから「 やったあ 」の声。古豪復活の瞬間。「 気持ちがいいです。昔から歴史があるんで、より一層いいものにして、行きたいです。 」と、コメント。
一方、 エース中原 俊博投手 は、「 緊張して、中盤まで向こうに、押されてたんですけど、後半精神面でしっかりしていかないといけないと、思ったんで、踏ん張る事が出来ました。 」
大会優勝旗を、手にした 倉工ナイン は、 苦労人指揮官 和泉利典監督 を、何度も何度も、胴上げした。午後6時、倉工ナインが凱旋した。すると、一人のOBが、ナインの帰りを、待っていた。 藤田 昌人OB だった。黒板に、次の様に書いて、待っていた。『 本日は、優勝おめでとう。全国優勝目指して頑張って下さい。 』 北條 剛主将 は、「 これからの、僕らを見ていて下さい。 」と、力強く語った。甲子園が、決まった次の日から、学校も忙しくなった。待ちに待った、甲子園出場。OBの喜びもひとしお。 羽場 武治教頭 は 「 たくさんの、OBの期待があったんです。県外、外国へも大勢の先輩を送っていまして。ひっきりなしに、電話がかかってくるんです。嬉しい悲鳴です。 」
ところが、「 新しい優勝旗だったんですが、これがまた大変だったんです。 」と、 中山隆幸部長 は言う。何が、あったのだろうか。
まさに、 平成8年の夏 は、長い。

つづく  随時掲載

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参 考
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協 力
小山  稔 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸 氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正 氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 23

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会
決勝 倉敷工 VS 岡山城東
エースは、力投する。エースは、延長に入っても、一人もランナーを出していない。そして、延長12回 倉工打線 が、そのエースを援護する。
送りバントを挟み、連続5本のヒットで 2点 を奪取。倉敷工8点 岡山城東6点となる。延長12回裏、岡山城東は、すでに二死。
血を吐く、死闘を制する時が来た。
倉敷工 100 030 200 002  8
城 東 011 103 000 000  6
3塁側倉工応援スタンドの、視線の先は、エース中原に注がれている。
いや、視線の先は、甲子園。ここで、3塁側倉工応援スタンドは、なぜか静かになった。エース中原 渾身のストレートを、右打者の内角に投げ込んだ。
打球は、ボテボテの、三遊間へ。サード坪井 打球にダッシュ。
そして捕球。捕球した瞬間(捕ったぞ やったぞ)の仕種。ステップして一塁へ、ビシー。ファースト高本 捕球した瞬間、両手を上げてマウンドに走った。
ベンチから、倉工ナイン全員が、マウンドへ。エース中原 は、「よっしゃー」の、雄叫びを上げる。マウンド上で、倉工ナインが、抱き合った。
歓喜の 和 が広がる。ベンチでは中山隆幸部長と和泉利典監督ががっちりと握手。3塁側倉工応援スタンドは、「よっしゃー!」の声に始まり、お互いに抱き合う者、握手する者、そして涙ぐむ者も。
捲土重来。古豪復活の瞬間。全員野球で、勝ち取った10年ぶり8回めの甲子園。
この試合を、スタンドの最前列で見守り、感慨にふける一人のOBがいた。
部長、監督を補佐し、エース中原を育てたOB。そのOBとは、昭和36年夏、県大会直前に大怪我をしたエースの、代役としてマウンドを死守した永山勝利倉敷工投手コーチ その人である。【当HP 昭和36年のドラマ を参照して下さい】
倉工野球の意気と誇りと苦闘の、日々の団結は、しっかりと息づいていた。
県高野連発足50周年を期に、大会優勝旗が新調された。その、新しい優勝旗が、北條剛主将に渡った。捲土重来。古豪復活の瞬間。
スタンドから、大きな拍手が、轟いた。
つづく 随時掲載

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山陽新聞社 「灼熱の記憶」

協 力
小山  稔氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 22

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会

決勝  倉敷工 VS 岡山城東

球史に残る激闘となった 岡山城東 との決勝。序盤の失点にも、倉工ベンチは、エースを続投させる。倉工ナインは、エースを励まし、エースは終盤から、本領を発揮する。そして、勝負の延長12回を、迎えた。

倉敷工 100 030 200 002
城 東  011 103 000 00

延長12回表、 倉敷工 の攻撃。この回の先頭打者 西川 が、執念のレフト前で、出塁する。無死一塁。ここで当たっている 3番坪井 が、打席に立つ。しかし、指揮官は送りバントを指示。 坪井 送りバント成功。
一死二塁。 4番福原 が、打席に立つ。3塁側倉工応援スタンドは、全員総立ちで、「 福原よ、打ってくれ 」の祈り。 福原 は、2年生時からのレギュラー。元々、打撃には定評があったが、下半身の使い方に難があった。
そこを、 中山 隆幸部長、 和泉 利典監督 が、軌道修正。本人の努力も、合い重なって、今では 倉工4番スラッガー に成長した。スラッガーは、狙っていた。延長に入って、マウンドに戻っていた 岡山城東 のエース坂本 の、外角スライダーを。その、外角スライダーをライト線に運ぶ。打球は早く、ライトが追い付けず、打球の後を追う格好となった。その間に、 西川がホームイン。 西川 両手を握り締め、両脇を締めて身体を、小刻みに震わせての ガッツポーズ。打った 福原 は、二塁へ。一死二塁。続く5番藤原 は、レフト前ヒット。 福原 は、三塁で止まり、一死一三塁。 6番 高本 も、ライト前ヒット。 福原 ホームインし、この回2点めを上げる。
一死一二塁。 7番強肩巧打の白神 もライト前ヒット。 藤原 果敢にホームに突入するも、好返球で、タッチアウト。二死一二塁。 8番渡辺 の打球は、浅い左中間へ。 岡山城東 の センター永井 が、ダイビングキャッチ。
これで、三死となる。延長12回表が、終わって 倉敷工8点 岡山城東6点。
甲子園が、見えている。延長12回裏、守備につく 倉工ナイン に、3塁側倉工応援スタンドから、大きな拍手が、送られた。ベンチでは、 中山 隆幸部長 和泉 利典監督 が、噴き出る大汗を、タオルで拭った。

つづく 随時掲載

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山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

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小山  稔 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸 氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正 氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

捲土重来 平成8年の夏 21

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会
決勝  倉敷工  VS  岡山城東
【 どちらも、2チームとも 甲子園 に出場させてやりたいですね。 】
この言葉は、 元 倉敷工監督 小沢 馨 氏( 故人 )が県大会決勝の解説で、良く好んで使っていた言葉である。「 甲子園の夢の大きさ。 」「 賭けるものの大きさ 」を、知り尽くしているだけあってその言葉には、重みを感じさせる。
小沢氏 は、甲子園でも解説を行った。試合は、延長戦に突入。炎の闘志と団結力で、選抜甲子園4強の、 岡山城東 に挑む 倉敷工。その闘志と団結力は、全国屈指の、エースを欠きながらも、勝ち進んだ 昭和36年夏( 当 HP 昭和36年夏のドラマ を参照して下さい )を、呼び起こす。

倉敷工  100 030 200 00
城 東   011 103 000 00

試合は、 6対6 のまま、延長戦に突入。 倉工エース中原 は、序盤にこそ、失点したが、ここに来て 制球力 球威 が、さらに良くなって来ている。延長戦に入っても エース は本領を発揮しているのだ。 中原 を支える物。それは、3塁側倉工大応援団。スタンドからは、『 中原、中原がんばれよ 中原 』あるいは、『 頼むぞ 中原 』の大声援。倉工大応援団が、 中原 を支える。しかし 真に中原 を支えるものが、もう一つある。真に 中原 を支える物。それは、背中の 倉工エースナンバー 1を付けたユニホームにある。このエースナンバー 1 が、 中原 を支えているのだ。 倉工のエース と言うものは、序盤にどんなに打たれても、最後までマウンドに立ち続けるのが、 真のエース。あるいは、どんなに、 肩 や 腕が痛たかろうとも、投げ続けるのが、 倉工エース の宿命。昭和43年夏。
腕も折れよとばかりに、甲子園97イニングを投げ抜いた 黄金の左腕小山 稔投手( 当 HP 青春ヒーロー を参照して下さい )
また、昭和50年選抜甲子園で、40度の高熱を発し、フラフラになりながらもマウンドを死守した 兼光 保明投手( 当 HP 風雲の奇跡 涙の甲子園 を参照して下さい )そこには、 倉工歴代エース の継投がある。
歴代エースは、 倉工エース の 宿命 を背負い投げ抜き、そして倉工エースの 誇り と 喜び がある。試合は、 延長12回 に入った。
この回の先頭打者は、 2番西川 からだった。

つづく  随時掲載

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参 考
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協 力
小山 稔 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

 

捲土重来 平成8年の夏 20

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会

決勝  倉敷工 VS 岡山城東

六回が終わって、 倉敷工4点 岡山城東6点。岡山城東が2点をリード。
倉敷マスカット球場は、内野スタンドほぼ満員。
両校、凄まじい応援合戦が、繰り広げられている。
かつて、昭和30年40年代、倉敷工小沢監督、岡山東商向井監督の 両雄 が戦った 岡山県球場。
バックネットを境に両校の 応援合戦 は、神宮球場の 早慶戦を彷彿させた。
岡山県高校野球黄金時代だった。
試合は、序盤の失点にも、倉工ベンチはエースを続投させる。ナインは、エースを励まし続ける。
迎えた、七回倉敷工の攻撃。
ここで、倉敷工は同点に追いつく。
その原動力は練習をして来た成果を発揮できた事にある。

倉敷工  100 030 2
城 東   011 103 0

七回表、倉敷工の攻撃。
この回先頭の 2番西川 は、セーフティーバントを、試みるも、城東エース坂本の好フィールディングに会い、アウト。一死。
3番坪井 は、外角を右に打ち返した。
球は、ライトライン上に落ち、坪井 は2塁へ。打ち抜いた一撃だった。一死2塁。
4番福原 は、フルカウントから、フォワボールを選ぶ。
ここで、右打ちのうまい 5番藤原 が打席に立つ。 藤原 の打球は、右中間を真っ二つに破った。
坪井福原 が帰り、 6対6 の同点とする。
打った 藤原 は、三塁打で、一死3塁。
ここで 城東ベンチは、投手交代。
6番高本 の当たりはショートゴロ。 藤原 ホームに突入するも、タッチアウト。二死1塁。
7番白神 は、内野ゴロで三死となる。
これまで 倉敷工ヒット10本 岡山城東9本。
大いに盛り上がる、倉工応援スタンド。
中山隆幸部長、和泉利典監督。このコンビは、早くから、 打倒岡山城東 を目指していた。
打撃練習では、 エース坂本 を想定し センター返し を徹底。
外角の球は、右打者なら、右( ライト方面 )へ打ち返す事。
この徹底した指導が、七回坪井 藤原 に練習の成果が出たのだった。
勝つ事の 秘訣 は、「 一つの事を、徹底する 」にある。
燃える 【 夢 】を賭けて、 倉工ナイン は、戦い続ける。

つづく 随時掲載

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小山 稔  氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」

倉工創立80周年記念おいまつ会総会について

1 日時  令和元年5月19日(日)

13:30 ~               総会受付(おいまつ会館)
14:00 ~ 15:30          総会
16:00 ~               懇親会受付(ステーションホテル)
16:30 ~ 18:30          懇親会

2 総会次第             司会(野瀬副事務局長)

(1)開式のことば            木村副会長
(2)物故者に対して黙祷
(3)会長あいさつ            日下会長
(4)名誉会長あいさつ          安藤名誉会長
(5)祝辞                内田前校長
(6)表彰                授与(日下会長)
(7)議事

議長選出          三好副会長

1号議案  会務報告(5年分)    岡本事務局長
2号議案  会計報告(5年分)    森会計委員
3号議案  監査報告      古屋野監査委員
4号議案  役員改選         高林役員改選委員会
5号議案  令和元年度事業計画案 日下会長
6号議案  令和元年度予算案     高林企画委員長
7号議案  その他
退任者代表挨拶  三宅監査委員・古屋野監査委員
新任者代表挨拶  木村企画委員

議長解任

 (8)校歌斉唱
(9)閉会のことば          生田副会長

3 懇親会               司会(岡本事務局長)

(1)会長挨拶            日下会長
(2)乾杯              倉敷市立工業高等学校 越宗 哲生 校長
(3)歓談・支部活動報告
(4)散会挨拶               秋岡副会長