熱闘甲子園 今昔物語34 栄光の足跡22

46回選抜高校野球大会(昭和49年選抜)

【概要】
1974
326日~46日出場30チーム
入場曲「草原の輝き」
優 勝 報徳学園(兵庫)
準優勝 池田(徳島)

【はじめに】
1回戦磐城に41。2回戦滝川に3対1で勝ち、迎えた準々決勝の相手は、あの「さわやかイレブン」と称された、初出場の池田。池田は、蔦監督のもと強打猛打で知られ、「やまびこ打線」といわれた。
一方、倉敷工もエースで4番打者の居郷を中心として、1番土居、2番神崎、以下武井、居郷、大倉、大本、水戸川、香西、清水と並び、歴代の打線では倉敷工史上Aクラスの打線だったと言えよう。

池 田 000 000 100 001 2(準々決勝)
倉敷工 000 000 001 000 1延長12
倉敷工投手 居郷
本塁打

両チーム共に打線に力がある中で、池田山本投手との投げ合いは、圧巻の投手戦を展開した。
1
0とリードされていた倉工だったが、9回の土壇場で追いつく。延長12回、池田に、1点を奪われ、12で惜敗。終わってみれば、池田は、二塁打3を含む10安打。強打だけでなく、犠打は5。一方、倉工は二塁打1を含む7安打。三振は池田1に対し、倉工は8
5
番センターだった大倉一秀は、「池田は強かったです。」

この選抜後、全国の強豪が倉敷にやって来た。準優勝した池田をはじめ、この年の夏の甲子園で優勝する事になる銚子商等。こうした中、倉敷工の中で、もくもくとトレーニングに励み、努力していた背番号のない打撃投手が、居郷に換わり、倉工のエース№1を背負う事になる。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(
)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(
)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)

中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 33 栄光の足跡 21

第46回選抜高校野球大会(昭和49年選抜)

【概要】
1974年3月26日~4月6日出場30チーム
入場曲「草原の輝き」
優勝報徳学園(兵庫)準優勝池田(徳島)

【はじめに】
昭和47年4月。超大物が入学してきた。
その超大物は、入学と同時に、野球部入部。校内が騒いだ。
「でえれい奴が、入って来たぞ。」と。その超大物の名前は、「居郷肇。」瀬戸中から、野球をはじめ、2年生で県優勝投手。倉敷工では、入部と同時に、二塁手兼投手として活躍。本大会でも、エースで4番打者。
卒業後は、大学で主将。しかも、初のサイクル安打を達成。
大学卒業後は、名門社会人野球を経て、プロ野球球団社長へと進む。

倉敷工4―1磐城(1回戦)
倉敷工 001 000 012 4
磐 城 000 000 010 1
倉敷工投手 居郷
本塁打

磐城エース山崎投手との投げ合いで、好ゲームとなった。
磐城の安打6に対し、倉工も安打6。三振も、磐城7に対し、倉工も7。勝負を決定づけたのは、倉工の犠打(4)。バントの重要性を見せた倉工だった。

倉敷工3―1滝川(2回戦)
滝 川 001 000 000 1
倉敷工 100 010 10X 3
倉敷工投手 居郷
本塁打

右上手投げから、サイドハンドへと投球フォームを替えた倉工エース居郷は、一段と球威が増した。滝川打線を安打6に押さえ、奪った三振も6。小刻みに得点した倉工だった。この頃からだった。居郷は、全国から注目を浴びるようになる。

準々決勝の相手は、あの「さわやかイレブン」と称され強打猛打は、「山びこ打線」と言われた、初出場の池田だった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 32 栄光の足跡 20

46回選抜高校野球大会(昭和49年選抜)

【概要】
1974
326日~46日出場30チーム
入場曲「草原の輝き」
優勝報徳学園(兵庫) 準優勝 池田(徳島)

【はじめに】
中国地区から、倉敷工、岡山東商、境の3校が出場。
倉敷工監督小沢馨と岡山東商監督向井正剛が見つめる中、倉敷工の純白のユニホームと、岡山東商の白桃色のユニホームが、甲子園球場を並んで行進。
まさに壮観。だが、それは岡山県高校球界が、群雄割拠の時代へと突入する「始まり」となるのである。

向井正剛。
監督として、春夏通算甲子園出場八回(部長として二回)優勝一回、ベスト4一回、この他国体優勝一回。

小沢 馨
同十五回、ベスト4三回、ベスト8二回、二人抜きには、戦後の県高校球界を語れない名監督だ。

ある年の、甲子園開会式のリハーサル中に、大会役員が全選手にこう言った。「岡山東商の行進を見習え。」
あくまでも投手を含めた守りの野球を基本とし、マナー、精神面を重視した向井。心憎いばかりの人心掌握術でナインの心を一つにした。
昭和40年選抜、岡山東商優勝。岡山県勢唯一の甲子園優勝。この時の、試合直後の向井の談話が残っている。「この世の中に、人の和の大切さを、改めて知った。」

一方、向井の事を小沢は、次の様に話す。
「本当に、指導者として、教育者として我々にはない、例えば、礼儀作法一つにしても、マナー一つにしても非情に信念をもって、子どもの末端までにも行き届いた指導をしていかれる点に、頭が下がりました。」

厳しさに耐えた選手たちは戦い抜き、向井監督の期待に見事に答えた岡山東商ナイン。そして、今でも語り継がれる岡山東商の伝統。それは『野球もマナーも日本一』
両雄が去って何年になるのだろうか。人々は言う「小沢は勝負師で、向井は教育者」と。
向井はこの年(昭和49)県教委に転勤が決まり(当時の)文部省、JOCW杯招致委員会を経て、仙台大学学長へと進む。
倉敷工は初戦磐城と対戦した。

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
()現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
()現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)

中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 31 栄光の足跡 19

44回選抜高校野球大会(昭和47年選抜)

【概要】
1972
327日~47日出場27チーム
入場曲「また逢う日まで」
優勝日大桜丘(東京)準優勝日大三(東京)

【はじめに】
倉敷工は、初戦箕島に21。2回戦今治西に31で勝ち、迎えた準々決勝の相手は、強豪東北。
小沢監督は、この東北をマークしていた。
投打に、まとまった東北だった。

東北51倉敷工(準々決勝)
東 北 010 400 000 5
倉敷工100 000 000 1
倉敷工投手山本
本塁打

「大会出場校を見ると、この東北が強いと、思っていました。」
試合終了直後の、小沢監督の談話である。

一回に先制した倉工だったが、二回にすぐ同点にされる。
東北は、四回に4点、主導権を握る。二塁打1、本塁打1を含む、7安打で快勝。一方、倉工は、東北岡嶋投手の前に、三塁打1を含むが、5安打に抑えられ、三振11を喫した。倉工エース山本は、崩れそうではあったが、最後までの、強気な投球、力投が光った。

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(
)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(
)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)

中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 30 栄光の足跡 18

44回選抜高校野球大会(昭和47年選抜)

【概要】
1972
327日~47日出場27チーム
入場曲「また逢う日まで」
優勝日大桜丘(東京)準優勝日大三(東京)

【はじめに】
4
年ぶりに、伝統のユニホームを、聖地甲子園に見せた倉敷工。
前年の秋の中国大会決勝(宇部市野球場)で、鳥取工を65で破り、中国王者(昭和38年以来2回めの優勝)として、甲子園に乗り込んだ倉敷工。その、原動力は身長168cmのエース山本次祥。下半身のバネを生かし「伸び」「切れ」のあるストレートが武器。(当時の)小山稔投手コーチは、「山本は身長が低かったけど、投手としては抜群でした。」
山本は苫田郡加茂町から、親元を離れ、在学中は、小沢監督の自宅に下宿していた。

倉敷工21簑島(1回戦)
簑 島 010 000 000 1
倉敷工 010 000 01X 2
倉敷工投手 山本
本塁打

投手力の差が、勝敗を分けた。倉工は、簑島の奥田、沖村の両投手から四死球10を奪う。倉工、残塁10ではあるが二塁打1を含む4安打で勝利。エース山本、簑島打線を5安打に抑える。

倉敷工31今治西(2回戦)
倉敷工 100 002 000 3
今治西 100 000 000 1
倉紙工投手 山本
本塁打

倉工は、今治西の矢野投手から、三振8を喫するが二塁打4を含む、8安打で快勝。エース山本、今治西打線を2安打に抑える。

倉敷工、準々決勝に進出。準々決勝の相手は、強豪東北。
小沢監督は、この東北をマークしていた。

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
()現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(
)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)

岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 29 栄光の足跡 17

倉敷が泣いた翌日、地元新聞「山陽新聞」に掲載された評について、その全文を紹介する。

チャンスに打てず
惜しい小山の力投

倉敷工 000 000 000 0
静岡商 011 000 00X 2

【評】
倉敷工は、春に続いてまたしても決勝進出を阻まれた。
静岡商得意のバント戦法に苦杯をなめた。静岡商は、二回一死から、松島が左前打。戸塚も中堅左へ安打。俊足の松島は判断よく三進。寺門は2-1後のウエストボール気味の球を、投前に、スクイズ。松島が楽にホームを踏んだ。さらに、三回は先頭の新浦が四球に出たが、青木の投ゴロで二封された。
青木は、すかさず二盗。ここで、佐藤は1-2から、倉敷工の深い守備の裏をかいてドラックバント。これが、内野安打となって、一三塁。藤波は1-1から外角高めのウエストされた球を飛び上がってスクイズを成功させた。倉工バッテリーはスクイズに来ると読んで外したのだが、藤浪の執念にしてやられた。ここらあたりに、高校野球でのバントの重要性をまざまざと見せつかれた。肘が痛いという小山だったが連投の疲れも見せず、球は良く走り、カーブの切れもよかった。
それだけに、わずかなスキを突いた静岡商のソツのない攻めは、光った。その追加点は、連日炎天下で力投を続け気力だけで、投げている新浦にとって、大きな支えになった事だろう。新浦は、長身から快速球を投げ込んで当たっている倉工打線と、真向から勝負して完封した。
倉敷工もさすがに優勝候補。敗れたとはいえ、持てる力を出して戦った。終盤得点こそ結びつかなかったが、その粘りは、たいしたものだった。惜しまれるのは七回。この回小山の四球、中村の右翼線二塁打で、無死二三塁と詰めよった。ところが、ここで思いもよらぬ不運があった。
富永の打球は、一二塁間を抜いたかかと思われたが、二塁手に、横っ飛びに好捕されて、一塁で刺された。しかも、三塁走者の小山は、いったんホームに、突っ込みかけたがコーチャーの静止にあって三塁に戻った。その間、中村はすでに、三塁へ。小山は、追い出されるような格好で三本間に挟殺された。まずい走塁ではあったが、ここは二塁手の好プレーを讃えるべきだろう。結局、倉敷工は勝機に一発が出ず、惜敗したが速球投手新浦に対してバットを短く持ったミート打法。そして、小柄な小山投手の、力投などが、強く印象に残った。
(昭和43年8月21日付。山陽新聞より)

【おわりに】
3年生の春、強打の銚子商を、完封した試合を自らベストピッチと語る、黄金の左腕小山稔。
しかし、そのベストピッチより、痛みと苦しみの中、歯を喰いしばって投げ続けた、高校最後の夏の姿こそコンビナートよりも、美観地区よりも、全国に誇る(黄金の左腕)の名に、相応しかったのかもしれない。
「岡山県代表、倉敷工業高等学校ピッチャーは小山くん小山くん」
小山と倉敷の熱い夏は終わった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 28 栄光の足跡 16

第50回全国高校野球選手権大会(昭和43年夏)

【概要】
1968年8月9日~8月22日
優勝興国(大阪)準優勝静岡商(静岡)

【はじめに】
準決勝。対静岡商戦の朝だった。顔を洗おうと手に水を汲んだ小山稔。ところが、肩が痛くて手が上がらない。そこで、顔を手に近づけて洗ったのだった。手に持った歯ブラシさえも、口まで上がらない。甲子園球場近くのグランドで練習の時だった。
「とにかく、10メートル先さえボールが投げられなかったんです。肩やひじが痛くて。」と小山。
(母に誓ったプロ野球選手。少年の日の夢)小山は、絶望の中を、球場入りする。グランドに足を踏み入れた小山。倉敷から駆け付けた大応援団に、小山は勇気をもらった事だろう。
しかし、そんな小山を真に支えるものがあった。小山を真に支えるもの。それは、胸にKURASHIKI。背中には倉工のエースナンバー1。このエース№1をつけた小山のユニホームこそが、真に支えるものだったのである。
小山は次のように言う。
「倉工のエースというものは、序盤にどんなに打たれても、最後までマウンドを守り切るのが、エースというもの。また、どんなに肩やひじが痛くても最後まで、投げ切るのが、エースというもの。それが、倉工エースの宿命ですね。それを、途中で止めるようでは、倉工のエースは務まりませんね。」

静岡商2―0倉敷工(準決勝)
倉敷工 000 000 000 0
静岡商 011 000 00X 2
倉敷工投手 小山
本塁打

倉工は、静岡商得意のバント戦法に苦杯をなめた。静岡商は二回、一死から松島がレフト前打。戸塚もセンター左へ安打。俊足の松島一気に三進した。寺門は2-1からスクイズで1点。
三回は、新浦四球。青木の投ゴロで二封。青木、二盗。
佐藤は1-2から倉工の深い守備の裏をかいてドラックバントの内野安打で一三塁。藤波1-1から外角高めのウエストされた球を飛び上がって、スクイズを成功させる。
(倉工、小山―藤川)
のバッテリーはスクイズに来ると読んで外したのだが、藤浪(後に中日入り)の執念にしてやられた。ここらあたりに高校野球のバントの重要性を見せつけられたといっていいだろう。
倉工は、七回。この回小山四球。中村の、ライト線二塁打で、無死二三塁。ここで、思いもよらぬ不運が生じる。
富永の打球は、一二塁間を抜いたと、思われたが、二塁手青木が、横っ飛びで、ショートバウンドをダイビングキャッチ。
富永一塁でアウト。この時、三塁走者小山は、ホームに突っ込みかけたが、三塁コーチャー角野の指示で、三塁へ戻った。これを見た一塁手小泉は、三塁へ転送。小山は三本間で、挟殺された。まずい走塁ではあったが、ここは二塁手青木の好プレーを讃えるべきであろう。
結局、倉工は好機に一発が出ず惜敗したが、速球左腕の新浦(後に、巨人入り)に対して、バットを短く持ったミート打法。そして、肩やひじが痛い小山の、最後までの、力投が強く印象に残った試合だった。
この日、倉敷が泣いた。

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

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和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 27 栄光の足跡 15

50回全国高校野球選手権大会(昭和43年夏)

【概要】
1968
89日~822
優勝興国(大阪)準優勝静岡商(静岡)

【はじめに】
「親父を早くに亡くしていましてね。お袋が苦労していましたから。その苦労を見て来ましたもんで。それで、お袋を楽にしてやりたい。喜ばしてやりたいと。そのためには、プロ野球に行って活躍する事だと思っていました。」こう語るのは、倉敷工エース小山稔。
しかし、小山の左腕は悲鳴を上げていた。急な投げ込みがたたって小山の左腕は、肘と肩に後々までいえない故障を抱える事になる。
(
母に誓ったプロ野球選手。少年の日の夢。)
小山は絶望の中を球場入りする。ところが、ある光景を見た瞬間あれほどまで痛かった肘や肩が、痛みを忘れたという。
小山が見たものとは何だったのか。それは、倉敷から駆け付けた大応援団だった。そして、アルプス席から聞こえてくる大声援。
「小山、小山、頑張れよ、小山。」の、大声援だった。
小山を支えるもの。それは、大応援団。しかし、真に支えるものが、もう一つある。小山を、真に支えるもの。それは、何か。
こうして、迎えた準々決勝だった。

倉敷工63広陵(準々決勝)
広 陵 000 000 300 3
倉敷工 111 201 00X 6
倉敷工投手 小山(小山7勝め)
本塁打

準々決勝の相手は、昨年の49回大会夏の甲子園準優勝投手、左腕宇根洋介投手のいる広陵。宇根投手は、一回戦北海を1点に抑え、松商学園、東奥義塾を連続完封。準決勝市和歌山商を1点に抑えての決勝進出。決勝では、習志野に、19で敗れての準優勝だった。
4試合だったため、ナイトゲームとなった。両校、共に凄まじい気力と気迫のぶつかりは、高校野球ファンの心を打つ。
先取点、先手を取ったのは倉工。制球力と鋭いカーブが持ち味の宇根投手(後に、近大―社会人野球NTT中国)から、小気味良く点を取って行く。終わってみれば、二塁打1、三塁打1を含む7安打。一方、広陵は8安打、四死球8、残塁10
チャンスを確実にものにした、倉工の勝利と言えよう。
センターポールに、校旗が上がる。倉工ナインのユニホームは全員(甲子園の)土、ドロだらけだった。
こうして、倉工は春に続いて、準決勝へと進む・

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(
)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(
)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 26 栄光の足跡 14

第50回全国高校野球選手権大会(昭和43年夏)

【概要】
1968年8月9日~8月22日
優勝興国(大阪)準優勝静岡商(静岡)

決勝は、興国対静岡商。変化球下手投げの丸山(興国)と左腕速球派の新浦(静岡商、後に巨人入り)。
両投手の対決は、五回の1点で勝負が決まり、初出場の興国が深紅の優勝旗を握った。(当HP。栄光の足跡13号に続く)

【はじめに】
昭和42年2月、新しい倉敷市が生まれた。以後、倉敷は工業に観光にと全国にその名を知られる。特に、美観地区や商店街には人が溢れていた。ところが、倉敷工の試合時間になると、商店街から、人影が消えた。倉敷市民は、テレビにクギ付けとなった。

倉敷工8―0千葉商(2回戦)
千葉商 000 000 000 0
倉敷工400 030 10X 8
倉敷工投手 小山(小山5勝目)
本塁打

エース小山が、6安打完封した。打っては、千葉商今井投手から、二塁打1を含む16安打の猛攻。

倉敷工9―2高知(3回戦)
高 知 010 001 000 2
倉敷工 001 800 00X 9
倉敷工投手 小山(小山6勝目)
本塁打 武

倉工の主砲武に、センターバックスクリーンに、特大の本塁打が出た。高知は、二塁打3、三塁打1を含む10安打し小山に襲いかかった。しかし、小山は高知から、三振7を奪う力投を見せ、失点2に押さえる。四回に、集中打で上げた8点が、大きくものを言う。

昨年の春(昭和42年選抜)、津山商の急な出場辞退により倉敷工が、繰り上がり出場。夏に向けて走り込み中心の練習に取り組んでいただけに、急な投げ込みがたたって、小山の左腕は悲鳴を上げていた。
そんな、小山を支えるものとは、いったい何だったんだろうか。

つづく
随時掲載

お願い
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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部0B会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

 熱闘甲子園 今昔物語 25 栄光の足跡 13

第50回全国高校野球選手権大会(昭和43年夏)
【概要】
1968年8月9日~8月22日
優勝 興国(大阪)、準優勝 静岡商(静岡)

球史半世紀を祝う記念大会。開会式に、皇太子ご夫妻(当時)を招いた。
地方大会出場は、2485校。45都府県から各1校。北海道は南北から各1校。それに、沖縄から1校を加え48代表が、甲子園に集った。
折からの沖縄返還問題とからんで、一大人気を呼ぶ。
50回大会記念の記録映画「青春」が、市川崑監督のもとで制作された。この「青春」に、倉敷工から小山稔と岡本良二が出ている。

【はじめに】
昭和42年2月、新しい倉敷市が生まれた。以後、倉敷は工業都市として未曾有の発展を遂げ、また観光都市としても全国にその名を知られる。
昭和43年春の選抜ベスト4。その快進撃は倉敷の街に満ち溢れるエネルギーと歩を合わせるかの様だった。
そして、昭和43年夏。倉敷工は4季連続(42年春夏、43年春夏)甲子園出場を果たす。倉工アルプススタンドには「議会議員団」倉敷の伝統「素隠居」や何本もの「のぼり旗」を持った大応援団が詰めかけた。そして、倉工応援名物「桃太郎」が大甲子園に響き渡る。吹奏楽が「桃太郎さん桃太郎さん」、続いて応援団が【オウ】「お腰に付けたキビ団子」【オウ】「一つ私に」【クラコウ】(3アウトになるまで、繰り返す)。この桃太郎の応援が相手校を圧倒する。

倉敷工5―1享栄(1回戦)
享 栄 000 000 100 1
倉敷工 040 001 00X 5

倉敷工投手小山
本塁打

開会式直後の開幕試合。始球式の時、帽子を取りマウンドの横に立つ倉工エース小山稔。
倉工は二塁打2、三塁打1を含む9安打。さらに盗塁4を決め、機動力も絡ませ快勝。享栄は、小山から9安打したものの残塁が10。要所で締めた小山の投球が光る。
水島コンビナートでは、連日フル操業。白壁の街に満ち溢れるエネルギーと合わせ、大応援団と共に倉工の快進撃が始まった。

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会