熱闘甲子園 今昔物語 50 栄光の足跡 38

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

【概要】
2003年8月7日~8月23日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北
大会9日目。
義足の三塁手として、注目を集めた今治西、曽我健太選手。
今大会№1右腕の選抜優勝投手、広陵、西村健太郎投手
(のちに巨人入り)が、甲子園を去った。

【はじめに4】
左足に義足をつけた今治西の曽我選手は、2回戦で甲子園を去った。涙で濡れた甲子園の土をかき集めた。「ここまで来ていなかったら、何もなかったと思います。」
夢舞台での想い出を、土と一緒にしまい込んだ。
四回の第二打席で、今大会初安打を記録し、続く第三打席では内野ゴロの間に打点もマーク。しかし、2試合で、計6打数、1安打、2三振、1死球、1犠打、1打点に、「もっと打ちたかった。」と唇を噛んだ。今後については「進学して野球を続けたい。」と語った曽我選手。
ハンディーを克服した姿は、全国の高校野球ファンに感動を与えたはずだ。

倉敷工 000 301 000 4
今治西 001 101 000 3(2回戦)
倉敷工投手 陶山
本塁打

倉敷工が、逆転で2回戦突破を果たした。
陶山は、苦しみながら、得意のスライダーをコーナーに決め、三、四、六回のピンチをいずれも1点で乗り切った。
粘りの投球で144球の完投勝利。
倉敷工は、1点を追う四回。一死一二塁から、須田が中前打。
中堅手が打球をはじく間に同点とし、さらに中堅からの三塁送球がそれる間に逆転。清水も中前適時打しリードを広げた。
今治西は、三回二死三塁から、黒川の内野安打で先制。
その後は、小刻みに反撃したが及ばなかった。守りの乱れで、失点した事が悔やまれる。

『苫小牧の分まで』執念の倉敷工
駒大苫小牧戦は、四回までに8点リードされたが降雨のため、ノーゲームに。前日の仕切り直しで、5対2で勝利。
試合後、主将の須田は、駒大の土島主将と握手して別れたが、心に何か引っかかっていた。周囲の目が、気になった。
誰にとがめられたわけでもないのに、悪者になったような感じだった。チーム全体に複雑な気分が広がった。
状況を変えるには、勝つしかない。「駒大苫小牧の分まで勝ち抜こう。」一人ひとりが、そう思った倉敷工だった。
勝利への執念を、かつてないほど燃やして挑んだ2回戦は今治西戦だった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 49 栄光の足跡 37

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

【概要】
2003
年8月7日~8月23日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北
大会三日目。台風が過ぎた甲子園球場で1回戦3試合を行い、春夏連覇を狙う広陵と倉敷工が、2回戦に進んだ。
広陵は、エース西村(後に巨人入り)が、東海大甲府から11三振を奪って完封した。

【はじめに3】
「あと一人、あと一人。」3点リードの九回裏倉敷工三塁側応援スタンドでは、スクールカラーの緑色のチュウリップハットをかぶり、燃えるような真っ赤なTシャツを身に着けた約2200人の大応援団。そして、赤と青のメガホンを打ち鳴らし、マウンドの陶山大介を後押しするように、大声援が沸き起こった。
最後の打者の打球を遊撃手渡部がグラブに収め、一塁手須田が一塁ベースを踏む。その瞬間、倉工ナインの勝利を祝福するかの様に、曇り空から太陽の光が差し込んだ。
大応援団は、肩を組み合い校歌が高らかに響き渡った。

倉 敷 工 012 101 000 5
駒大苫小牧 002 000 000 2
投手 陶山
本塁打

序盤から中盤にかけて、効果的に得点を重ねた倉敷工が駒大苫小牧を振り切った。倉敷工は、二回二死二塁から西野の中前打で先制すると、三回は、須田の左超え適時打と敵失で2点を追加。さらに、四、六回にも加点し、試合を優位に進めた。駒大エース白石投手に対して、コースに逆らわない打撃で攻略した。エース陶山の力投も見逃がせない。切れのある直球、スライダーを内外角に投げ分け、強打の駒大打線から9奪三振。失点を三回の2点に抑えた。
翌年から、夏の甲子園を2連覇し、2006年も決勝に進出するなど、全盛期を築いた駒大苫小牧にとっても語り草となるゲームだった。
『これが礼儀と監督』そして『心の野球』前日の試合で、四回途中まで0対8とリードされながら、大雨のためノーゲームに。この日、倉工ナインは、無言で下を向き、そして帽子は深くかぶり、球場を後にしたのだった。誰一人、笑顔の者はいない。
リセットの好機を得た選手たちは、見違えるような試合運びで駒大を圧倒。効果的に得点を加え、エース陶山が、2点に押さえる完勝だった。
倉敷工監督和泉利典は、真っ先に駒大苫小牧に対し「スポーツマンとして、申し訳ない気持ちでいましたが、一生懸命に試合をする事が礼儀だと思いました。」とコメント。敗者に敬意を表したのだった。
それは、部の大方針「心の指導」がもたらしたものと言えよう。
2回戦の相手は、義足で奮闘する曽我選手に注目が集まる今治西。絶望の淵から蘇った倉敷工が、「心の野球」で立ち向かう。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事を
ご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(
元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 48 栄光の足跡 36

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

 【概要】
2003年8月7日~8月22日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北
忘れられない夏が開幕した。
開会式では、史上最多の4163校から勝ち上がった49代表の選手が入場行進。15日間にわたる熱戦が始まった。
倉敷工は、34番目に登場。ナインは、3万5千人の大観衆を前に、堂々とした入場行進。
それより前、球場に到着した時には、大勢の倉工ファンが、到着を待っていたのも事実。

 【はじめに】
大会第二日の、第2試合で倉敷工は、駒大苫小牧と対戦。失策やエース陶山の制球難で、大きくリードされたが、相手攻撃の途中で、大雨の影響で降雨コールドゲームになった。
西日本を襲った大雨で、応援団の乗ったバスが遅れ試合開始に間に合わない。ブラスバンド部も間に合わない。
高速道路を途中で降り、かろうじて、甲子園に到着できた控えの野球部員や生徒たち約300人が「かっ飛ばせ」「レッツゴー陶山」等と、懸命に声援を送る。
序盤から大差を付けられる展開だったが、四回途中から雨脚が強まり、二死一三塁で中断。そのままノーゲームが決まった。

倉敷工   000 00
駒大苫小牧 071 8  降雨ノーゲーム

陶山は、マウンド上で必死に緊張を抑えようとした。
初回は、自らの牽制球で無失点で切り抜けたが、二回から制球が乱れ始めた。高めに入った甘い直球を狙い打ちされ、下位打線から4連打。さらに、二死満塁から走者一掃の二塁打を浴びる。
「なぜ、打たれるのか。」考え続けるうちに益々冷静さを失っていく。
駒大の白石投手の力のある直球、スライダーに押され、三回まで無安打。四回表一死で初安打が出たが併殺打。ベンチも沈みがちで声が出ない。
四回裏二死三塁から四球を出したところで、雨がさらに強くなり、試合が中断。結局ノーゲームになった。
(チャンス貰った倉敷工だった)

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 47 栄光の足跡 35

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

 【概要】
2003年8月7日~8月22日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北

常総学院が、初優勝。この夏限りでの引退を表明していた木内監督の、花道を飾った。常総は、柳ヶ浦との接戦を制すると、続く二回戦では、リリーフが好投して、智弁和歌山を下す。鳥栖商戦は、雨によるグランドコンディション不良をついて、バント攻勢。桐生第一戦は、継投でしのぐ。
決勝は、控え選手を起用して、随所で「木内マジック」が光った。準優勝の東北は、2年生エース、ダルビッシュを軸に勝ち上がった。

今大会から、ベンチ入り選手数が、15人から18人になった。

【はじめに1】
倉敷工は、7年ぶり9回目の夏甲子園出場を決めた。
「投手はいい。守備もしっかりしている。特に、左打者が非常にしぶとい打撃をしている。こういうチームはなかなか持てませんよ。私も長く高校野球に携わってきましたけど、こういうチームは、なかなか持てませんでした。いいチームを、作っています。」
こう語るのは、元倉敷工監督小沢馨氏(故人)。
監督和泉利典、部長中山隆幸。
二人のコンビは、再び大型チームを作り上げる。

 【倉敷工猛打で夏切符】
岡山大会決勝。倉敷工が倉敷高を下し、7年ぶり9回目の夏の甲子園出場を決めた。
雨が降りしきる中、両チーム共に点を奪いあう熱戦。
倉敷工は、前半リードを奪われたが、六回に倉敷の守備の乱れを足がかりに、集中打で、一挙7点を挙げ逆転し、逃げ切った。

倉敷工 002 017 000 10
倉 敷 120 200 011  7

『レッツゴー陶山ダンダダンダダン』
三塁側倉工応援スタンドの大応援団約300人が,総立ちになって倉敷工エース陶山大介を見つめた。
倉敷工の打線が、火を噴いたのは六回。四球や敵失が続き同点に。さらに、一死満塁で、打席に立ったのは、初回に捕逸で先制点を許した萩原。「ポパイ」のテーマが鳴り響く中、萩原の打球は中継前に。
2人が本塁に帰る。湧き上がる倉工スタンド。
味方の援護を得たエース陶山は、調子を取り戻した。
最後の打者を、三振に打ち取った瞬間、大歓声と共に色とりどりのメガホンが、三塁側スタンドの宙を舞った。
行くぞ甲子園。ありがとう倉敷工業野球部。

つづく
随時掲載

甲子園出場を決め、大喜びでスタンド向かって走る倉工ナイン

萩原が、中前打を打ち、2者生還。 7対5と勝ち越す。

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送はありません。

協力
和泉利典(
元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 46 栄光の足跡 34

78回全国高校野球選手権大会(平成8年夏)

【概要】
1996
8月8日~821日 出場49チーム
倉敷工90中越(1回戦88)
倉敷工53東筑(2回戦814)
鹿児島実92倉敷工(3回戦818)

【おわりに2最終】
平成8年夏。10年ぶり8回目の甲子園出場。
この年の倉敷工は、どの様な戦力だったのか。その戦力を振り返ってみた。
『戦力分析』
選手層の厚さを誇る倉敷工。県内一、102人の部員のし烈な、レギュラー争い。
倉敷市中心部にある鶴形山でのトレーニング。頂上にある阿智神社の182段を駆け上がり約45時間のランニングが延々と続く。今年の冬はこのトレーニングを週3回こなした。

切れ目のない打線は、評価が高かった。藤原守二の526厘を最高に、県大会のチーム打率343厘を誇った。一試合平均得点は、6.4点と、高い高打率をマークした。

主将の、北条剛が県大会の時、大きなヤマ場だったと話す対玉島商戦。1点差の接戦をものにし、自信をつけた。
玉島商竹内監督は「北条、西川のシャープな打撃。福原の勝負強さにやられた。下位打線も息が抜けなかった。九回裏二死無塁から、決勝点を入れられた時には、精神的強さも感じた。」と話した。

勝敗のカギは、投手陣の活躍にかかっていた。
エース中原俊博の、決め球は直球。約130キロと飛び抜けた速球ではないが、防御率は、1.62。やすやすとは打たれない。中原と実力互角の、笹田和之、高本秀樹。
また、対興譲館戦で1安打に抑えた、諏訪正樹(2)
控え投手は充実していた。
『勉強になりました』
倉敷工野球部部長、中山隆幸のコメント。
「今回の、甲子園出場は、色々な事が勉強になりました。
特に、選抜優勝の鹿実戦ですね。あのスライディングは、厳しかったです。勝つ執念を感じました。この経験は、今後に役立ちます。」

『視線の先』
監督和泉利典、部長中山隆幸の視線の先は、早くも次の甲子園出場を見ていた。

 

 

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
()現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
()現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)

中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 45 栄光の足跡 33

78回全国高校野球選手権大会(平成8年夏)

【概要】
1996
8月8日~821日出場49チーム
倉敷工90中越(1回戦)
倉敷工53東筑(2回戦)
鹿児島実92倉敷工(3回戦ベスト16)

【おわりに1
10
年ぶり8回めの、「夏」。春夏合わせて16回めの甲子園出場を誇り、全国に、その名を轟かせた名門が、久々に檜舞台に、伝統のユニホームが、登場した。
10
年間の、無念さを晴らすかの様に、力を蓄え、岡山大会を勝ち上がった今年のチーム。その復活までの足取りをたどりたい。

『低迷』
ベンチの隅で、大きな背中が震えていた。729日、倉敷マスカット球場。延長12回の死闘の末、岡山城東を下し優勝を決めた、倉敷工監督和泉利典は、OB、コーチらに抱きかかえられ、人目もはばからず泣いた。
もがき、苦しみ抜いて、つかんだ「喜び」。
その姿は、県内屈指の、いや、全国屈指の名門が、復活までに、たどって来た、苦難の道程を表しているように見えた。
昭和50年代に入ると、普通科志向が多くなり、選手が集まりにくくなった。「勝てない」「選手が集まらない」という悪循環。選手気質も変わり、厳しさ一辺倒の指導では、勝てなくなって行った。OB、ファンの期待は、高まるばかりだった。準々決勝あたりまでは、勝ち進むが「あと一歩」で足踏みが続いた。「何が足りないのか。」悩む、和泉に転機が訪れる。
『新体制』
甲子園は、近いようで遠かった。
「華々しい時代を知っているだけに、イライラし通しだった。」
OBで、甲子園出場経験のある、永山勝利は、ファンの声を代弁する。その、永山と同じく、甲子園出場経験のある藤原勝利が、コーチに就いた。さらに、倉敷工時代に、和泉と共に、白球を追った、中山隆幸が部長に。
和泉をサポートする体制が出来上がった。大きな、転機だった。「力のある選手を集め、技術指導で強くする事ばかり考えていた。」と言う和泉に対し、実績のない学校で、監督を務め、「力のない選手を、いかに伸ばすか。」に腐心していた中山の指導は、大いなる刺激となった。
技術指導は、和泉。野球に対する心構えは、OBコーチ。
コンディショニング、メンタル面、さらに、スポーツ栄養学等の指導は、中山。こうして、新体制の「歯車」がガッチリと嚙み始めたのだった。

つづく
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朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
()現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
()現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

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和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)

岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 44 栄光の足跡 32

第78回全国高校野球選手権大会(平成8年夏)

【概要】
1996年8月8日~8月21日出場49チーム
優勝 松山商(愛媛) 準優勝 熊本工(熊本)

「よくやった倉敷工」
大会11日め。倉敷工は、今春の選抜の覇者鹿児島実と対戦。鹿児島実の強力打線の勢いを、止めることができず敗退。ベスト8進出はならなかった。しかし、最後まであきらめずに、白球を追い続けた倉敷工ナインに対し、約4万5千人の大観衆から、大きな拍手と大声援が送られた。

【はじめに4最終】
倉工一塁側アルプススタンドは、優勝候補との対戦を見届けようと、最上段までギッシリと埋まった。球場全体を揺らすほどの、大声援でナインを盛り上げた。
「倉敷工敗れてもさわやか」
最後まで白球を追うナインに「大観衆から拍手と大声援」

鹿児島実 011 340 000 9(3回戦)
倉敷工  000 100 001 2
倉敷工投手 諏訪―中原―笹田
本塁打

鹿児島実が、投打の力を、十分に見せつけた。
二回二死で、宮田が左中間に先制二塁打。
三回には、先頭の川田が、左超え三塁打と、田上の左犠飛で加点。
四、五回には、倉敷工の相次ぐミスに乗じて大量点を奪い試合を決めた。
先発の、下窪は打たせて取る投球で、5回を3安打1失点。
継投した鍛冶屋が、九回二死後の3連打による1失点で逃げ切った。
倉敷工は、四回死球の西川が、盗塁とけん制悪送球で三進。
福原が、中前打で返したが、五回以後は、高めのつり球に手を出す場面が多かった。
五回、鹿実の攻撃。無死一三塁の場面で、先発の諏訪に代わり中原が、マウンドに立った。直球が切れ、四回三分の二を投げて、自責点0。エースの意地を見せた。倉敷工、最後の攻撃。
二死から、代打の稲岡、白神、渡辺の3連打で1点を返すが反撃もここまで。

つづく
随時掲載

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朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

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和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 43 栄光の足跡 31

78回全国高校野球選手権大会(平成8年夏)

【概要】
1996
8月8日~821日出場49チーム
優勝 松山商(愛媛) 準優勝 熊本工(熊本)

大会七日め。2回戦4試合を行い、高松商、横浜、福井商、倉敷工が勝ち、それぞれ3回戦に進んだ。
1試合では、高松商が93で浦和学院に快勝。
2試合の横浜対北嵯峨は、横浜が八回に逆転し、31で接戦を制す。
3試合は、福井商が八頭の3投手に18安打を浴びせ、圧勝した。

【はじめに3

「倉敷工『浜風』の中輝く笑顔」
「風が倉敷工に味方した」
「好機ガッチリ倉敷工」

倉敷工は中盤以後、東筑の石田投手の丁重に低めに突く投球にてこずっていた。スコアーボードに「0」が並ぶ。
五回には、33の同点に追いつかれる。倉敷工ナインは、粘り強く守って、耐えていくしかなかった。
八回に試合が動いた。一死から坪井が摘出で出塁。
四番福原が、右打席に立つ。5球めの直球をとらえた。
風は、バックスクリーンから本塁へ向かう『浜風』。
打球は風に流されて、突っ込んで来た右翼手内田のグラブの下をくぐった。坪井が、一塁から本塁に駆け込み勝ち超した。

倉敷工 111 000 020 5(2回戦)
東 筑 000 210 000 3
倉敷工投手 中原
本塁打

倉敷工は八回、適失で出塁した坪井を福原が右三塁打で返して勝ち越した。福原も藤原二の犠打で帰り、この回2点を加える。エース中原は、中盤から球の球威が失われていた。東筑打線は、中原のカーブを狙い打ちして、内田の二塁打を含む4連打で2点。五回にも1点を取って同点とする。中原―福原のバッテリーは、六回から配球を替えた。
東筑打線は六回以後、中原のコーナーに決まる直球を打ちあぐねた。
両チームとも、ヒットエンドランを多用するなど機動力を生かし、守備でも動きがいいプレーが目立った好試合。ただ、東筑は失策が3つあり、2つを得点に結びつけられたのが、悔やまれる。

つづく
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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
()現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
()現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)

中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 42 栄光の足跡 30

78回全国高校野球選手権大会(平成8年夏) 

【概要】
1996
8月8日~821日出場49チーム
優勝 松山商(愛媛) 準優勝 熊本工(熊本)
大会の、参加校数が4089校で、前年から9校少なかった。
戦後初めての減少で、少子化やスポーツの多様化などの影響が出て来た。

【はじめに2
「燃え立つスタンド」
「帰って来た夏舞台」
「倉敷工28年ぶり校歌」

純白地に、エンジ色ラインの、伝統のユニホームが、ダイヤモンドを、駆けまわった。好投あり、連打あり、持ち味を存分に見せつけた古豪が、28年ぶりに夏校歌を銀さんに響かせた。投打が、これ以上ないほどがっちりと噛み合った完勝に、監督和泉利典は、「選手が、私の指示以上にやってくれた。」と表情をほころばせた。

倉敷工 010 014 030 9(1回戦)
中 越 000 000 000 0
倉敷工 投手 中原
本塁打

倉敷工が、投打とも安定した力を見せ、中越に付け入るスキを与えなかった。二回、白神の適時二塁打で、1点を先制し、五回にも福原の適時二塁打で加点。六回には中原のスクイズ、西川の2点三塁打。福原の中前適時打で、4点を加えた。さらに八回、中越の三番手投手から3点を奪い試合を一方的にした。
エース中原は、コーナーを突く変化球を武器に、12奪三振、4安打で、中越打線を完封した。
中越は、四投手の継投で目先を変えようとしたが、倉敷工打線に掴まった。
2
回戦の相手は、エースで3番打者、石田を中心とし、基本に忠実な野球をする東筑(福岡)だった。

つづく
随時掲載

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参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」

()現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
()現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

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和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)

中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 41 栄光の足跡 29

第78回全国高校野球選手権大会(平成8年夏)

【概要】
1996年8月8日~8月21日出場49チーム
優勝 松山商(愛媛) 準優勝 熊本工(熊本)

松山商が、熊本工を決勝で破り、27年ぶり5度めの優勝を果たした。
決勝を印象深くしたのは、10回表、松山商の右翼手矢野の好返球だった。
9回に同点にされた松山商は、10回も、一死満塁の大ピンチ。熊本工本多の打球は守備固めで入ったばかりの、矢野への大飛球。
タッチアップで、サヨナラと思いきや、矢野が80mをノーバウンドで返球。本塁で、タッチアウトにする。
11回、松山商は、矢野の二塁打の足掛りから、星加のスクイズで、勝ち超した。

【はじめに】
岡山県大会決勝は、第1(城東)、第2(倉敷工)シードが激突する。
春の県大会決勝で、7対5。8校選抜で、9対8と、いずれも岡山城東が制している。岡山城東は、4試合で45点。1番山上からの打線には、切れ目がない。大会のチーム打率は4割2分4厘。一方、倉敷工は、エース中原が、3試合を完投し、防御率1.00。1番北条、2番西川が、出塁し、足を絡め福原、藤原らの長打で、一気に畳み掛ける。

【あの感動ふたたび】
倉敷工10年ぶり夏つかむ延長12回熱闘打ち勝つセンバツ4強の城東下す。(山陽新聞H8、7,30)

倉敷工 100 030 200 002 8
城 東 011 103 000 000 6(延長12回)

4番福原の執念の決勝打が、右翼線を抜けた。6対6で迎えた延長12回表、一死二塁。生還した西川は本塁で、力強くガッツポーズ。投打に集中力を発揮した倉敷工が、10年ぶり8度めの、夏の甲子園切符を、手中にした。

試合終了後、ベンチから出て来た、監督の和泉利典は、3塁側倉工大応援団スタンドに歩み寄って、帽子を取り深々と頭を下げた。スタンドからは、「和泉」「イズミ」の大コール。
ベンチに戻った和泉は、OBコーチらに抱きかかえられ大号泣で泣き崩れたのだった。
多くの、関係者から、「倉工が、甲子園に出場する事より以上に」
『和泉のために、良かった。』『和泉にとって良かった。』
『和泉、おめでとう。』の、声が、多く寄せられたのだった。
炎の闘志で、一丸の勝利を飾った、平成8年県大会。球史に残る激闘の、岡山城東との決勝。序盤の失点にも倉工ベンチは、エースを完投させた。ナインは、エースを励まし続け、エースは終盤から、本領を発揮し、10年ぶりの甲子園を勝ち取る。
倉工野球の意気と誇りと苦闘の日々の団結は、しっかりと息づいていた。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会